ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅           アシアナ(医療監房)・・・・・5

2012-12-29 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ


朝、鳴き声を聞いた鳥だろうか高い塀の上の有刺鉄線に羽根を休めさえずり、飛び去っては戻って来た。前庭から見た空は高い塀と病棟の建物に囲まれ狭い。あの6月の熱で切裂くような研ぎ澄まされた青はない、10月終りの少し優しい空は晴れていた。右の方に小さな黒い影のような物が目に入った。高い空を飛んでいる一羽の鳥か?じっと見ているとゆっくりと動いている。鳥じゃないだろう高度が高過ぎる飛行機・・・
「飛行機?」
と思いながら再びそれを見るとぼくは起き上がった。高度を上げているジェット機じゃないか、少し前10時の投薬があったのだから今10時半頃だろう。ロイヤル・ネパール・エアー、デリー発カトマンズ行き、フライト・タイム10時。25日朝、薄暗い留置場の天井を見つめながら10時の飛行機に乗れるのだろうか、エアーチケットはどうなるのか、そんな心配をしていた。今ぼくはここアシアナにいる。見上げる空に3日前ぼくが乗る筈だったジェット機が高度を上げながらカトマンズへ向って飛んでいる。あれはカトマンズ行きに違いない。高度とスピードを上げながらジェット機は左の空に小さくなって消えた。
 青い空だけが残った。もう考えるのはよそう、この巨大な組織の壁の前でなすべき事は何もない。生きている今を、生きてしまっている今を自ら拒否することはない。生きることの厳しさがぼくの生を拒否するのならそれはそれとして良しとするしかない。
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ちいさな畑            収穫

2012-12-26 | ちいさな畑
もうそろそろ掘ったほうがいいよ と経験者 そうした
10月1日 種芋を植え付けた 10日 土の間から芽を出す 風の強い日が続き茎が曲がっていた
支え棒をする 追肥は3回行った 育てるにはそれなりの手入れが必要なのだ やりましたぁ~



久し振りの晴れだ 竿を持って自転車で釣り場へ行く 冷たい北風が強い 2枚重ねの手袋
鼻水がたれる リールをゆっくり巻きながらイカの当たりを待つ 触手で餌木をぽっとつかむ
当たりだ 3回当たりがあったが釣ったのは甲イカ1 イイダコ4 釣果としては物足りないが
2時間がんばった


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ジャンキーの旅           アシアナ(医療監房)・・・・・4

2012-12-21 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ
午前中の陽射しはそんなに強くはない、前庭に莚を敷いて横になる。バラックの中にはベッドの数よりも収監者の方が多く、かなりのベッドには二人ずつ寝ていた。そこからあふれた者はベッドの間のコンクリートでしか寝る場所がなかった。ぼくは一人のインド人とベッドを共有することになった。昨夜も眠れなかったに違いないのだが強い身体の痛みは感じなかったし、ベッドの上を転がったり通路を動き回った事もなさそうだ。ひどい疲労感と頭の中にガスが溜まったような不快感はあるが涙も鼻水も流れてない。下痢をしてない、これは4日間何も食べていないからかもしれない。時々、脳内を切裂くように光る稲妻も今のところはない。
何度も粉を断った事があるがその苦しさに死んだ方がましだと思ったこともある。スタッフをやり始めた頃、あるジャンキーから
「1ヶ月やったら1ヶ月粉を断つ。長く続けると切り抜けるのが大変だ」
と教えられてそうしていた。粉が手に入る場所では絶対に粉は切れないそれが出来ない遠くの町へ移動した。北インド、ヒンズー教の聖地リシケシで何度か粉を切った。デリーから200km、禁断がどんなに苦しく粉を欲しがっても8時間バスに乗ってデリーまで粉を買いに行くことは不可能だ。そのうち1ヶ月やって1ヶ月苦しむのは得策ではない、1年やって苦しむのは1回だけその程度ならまだ現実への回帰は可能だろうと思った。
逮捕されて25日と26日は私服のポリから1日1回、粉を与えられていた。完全な切りに入ったのは27日から、今日で2日目だ。一番苦しい時なのに前庭に莚を敷いて横になりぼ~とデリーの青い空を見ている。アシアナのようなドラッグ中毒者専門の施設で治療を受けるのは初めてだ。どういう薬を使っているのか、どのくらいの日数で抜けるのか、完全に抜け切るには粉を使った年月だけ必要だと聞いた事がある。考えてみれば何ヶ月掛かろうと何年掛かろうと
「大使館が言う、ミニマムで10年の刑」
より長い事はないだろう。どの道この刑務所からは出られないのだ。日中、40度を超える熱暑のインドの夏を10回も生き延びて出所の日を無事迎えられる事など有り得ない。明日から先の事を自分で考える必要など何もないのだ、自分では決められないのだから。だったら全て施設に任せて治療を受けていれば良い、中毒から抜け出せるかもしれない、費用はインド政府が支払う。長いスタッフ中毒の治療から何とか解放されたからといって自由になるという訳にはいかないのが欠点だが。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・57

2012-12-19 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
これは病院からの請求明細である どうしてこんなものが残っていたのか もう一通は処方箋だろうが
それはない 今も通っている精神科クリニックへ治療のため先生へ渡したのだろう
ソラナックス ヒルナミン トリブタノール アビリット レンドルミン等を服用していた
現在はレンドルミンだけ 精神的な調子によってはヒルナミン パキシルを2週間分処方してもらうこともあったがそれもない 安定している


  
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・56

2012-12-17 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
   12月29日(金) 退院

 午前中に退院ができると思っていたが遅くなった。昼食が終り前庭の椅子に座っていると1人の刑務官が病院の中へ入って来るのが見えた。制服を見ると分かる、一般のポリや刑務官ではない、裁判所から調査に来た上級刑務官だろう。彼はぼくを見たが何も言わない。ドクターを待っているのだろうか待合所の椅子に座っている。何時に退院が出来るのかシスターに聞いてみたがドクターが来ないので分からないと言う。病室に戻って入院用のトレーナーを脱ぎ私服に着替えた。明るい内に退院したい、陽が落ちると寒くなる。
 外が薄暗くなり始めた5時頃だろうか、やっと退院手続きが終った。入院費用請求明細と退院後にぼくが飲まなければならない薬名を書いた処方箋がドクターから渡された。
ラウラシカがオート力車を停めて待っている。シスター達はゲートまで出てぼくを見送ってくれた。彼女達は手を振りながら
「元気でね、トミー」
「ありがとう、さようなら、シスター」
ちょっと淋しい別れだった。1ヶ月足らずの入院でしかないのに遠い旅をしたような気がする。ひとつ々の別れの悲しみを耐えてぼくは生きていかなければならない。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・55

2012-12-15 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
昼食をしているとドアをノックする音がする。こんな時間にドクターが来るわけはないのだが、しかし病室に入って来たのはドクターだった。ぼくは急いでベッドから降りるとドクターの方へ歩み寄り、右手を出しながら
「サプラィズド」
と言ってドクターの手をしっかりと握った。2度も握手を求めるぼくの顔から、自然に笑みが込み上げていたのだろう、彼も嬉しそうだった。
「全て順調に進んだ」
ドクターは安心して病室を出ていった。
 どうやら禁断は抜けたようだし、明日の午後には退院ができる。先の事を考えるとまだ大変であるに違いないのだが、今ぼくはハッピーな気分だ。分離したリアリティーを彷徨った5年間だった。ぼくの旅は終ろうとしている。無事に日本へ帰ることが出来たら暫らくは休養をしたい。日本で何をやるのか、ネパールへ戻るのか、休養後に考えよう。5年間の長い過酷な旅に耐えてくれたぼくの心身に感謝と労わりの言葉を贈りたい。失ったものは大きいかもしれない、でもこの旅はぼくにとって必要だった。良い旅であったとは言えないかもしれないが。

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ちいさな畑

2012-12-13 | ちいさな畑
白菜は葉を広げようとする その葉を採って食べても美味しいらしい が 
ぼくは野菜売り場でいつも見るあの芯を巻いた白菜に育てたい  



白菜にとっては迷惑なのかもしれない が 紐をかけてこんな風にしてみた ちょっと窮屈そうではある 


 
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ちいさな畑

2012-12-11 | ちいさな畑
じゃが芋の根元をちょろちょろと土を掃き出す。花が咲かないので駄目だろうと思っていた。
なぁ~~~んぅ~とぉ~  アイボリーカラーのういういしい~じゃがいもさんではありませんかぁ~
まだ収穫するには早い 土と堆肥をじゃがいもさんに寒くならないように盛りかけた。




 
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ジャンキーの旅           アシアナ(医療監房)・・・・・3

2012-12-10 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ


朝の作業が終ると陽当りの良い場所に気の合った患者達が集り冗談を言ったり情報交換をしていた。前庭の奥にある水浴用プールでは身体を洗う人も多い。ここでは水浴をする事によって体内から薬物を流し出し同時に冷水の刺激による神経と身体の細胞の活性を促がすと考えられていた。1日5回の水浴は大切な治療法として取り入れられていた。
玄関フロアーに全員が集ってきた。フロアーの時計は10時を少し回っていたる、投薬の時間だった。中毒から回復し元気になった患者が世話をする。素焼きの水瓶と一個のコップが用意された。名前が呼ばれる順番は新しい患者から、ぼくは新参だから最初に呼ばれた。薬務員の前に出ると処方箋を確認しながら用意されている薬、5~6個の赤、黄、白の錠剤やカプセルが手の平に置かれた。薬を一気に口に含みコップの水を飲んだ。
「口を大きく開けて」
薬務員から指示された。薬を残らず飲んでいるかの確認だった。薬を飲まないで舌の裏に隠し後でトイレなどに吐き出すインド人がいるらしい。薬が嫌いなのか薬局が出す処方薬に不信があるのか、薬が必要なぼくには分からない。ぼくは薬を飲むため水を普通に飲んだ。すると周りのインド人からブーイングされた、コップの縁に唇が触れたと。インド人の習慣だからなのか、ヒンズー教徒だからなのか、人が口をつけたコップは不浄で使わない、コップを洗った後は清められるので問題はないということらしい。ひとつのコップの飲み物を回し飲みするときは顔を上に向けコップが唇に触らない高さから開いた口に水を注ぎ込む。これがなか々難しい、目標を誤って鼻であったり下唇から喉、胸に水を流すこともあった。
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ジャンキーの旅           アシアナ(医療監房)・・・・・2

2012-12-07 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ
暗い空が微かに変化し始めると鳥の声と羽ばたきが聞えた。夜から朝への移行を鳥は知っている。鉄格子を打つ金属音がして目の前を収監者達はのろ々と動き出した。10月28日、逮捕されて4日目の朝、ベッドから出るように言われた。ふら々と人の後ろについて行く、立つことも歩くことも辛かった。腰巻ひとつで朝の水浴を終えたインド人達とすれ違った。ぼくは前庭の壁に凭れ掛かり座り込んだ。そこへ着替えを済ましたインド人達が塀に沿って二列に並ぶ。彼らはサンダルを脱いで筵の上に立ちゲートの方を向いた。各列の前に一人が向かい合って立ち彼のリードで全員の合唱が始まった。ヒンズー教のお経と言うよりは宗教歌のようなものではないだろうか、二曲目も大声で歌い終わった。それが終ると食器置場から各自コップを持って来て莚に座りティーが運ばれて来るのを待った。塀側の列はどうして長くなるのか?禁断で体力のない者は塀に凭れ掛からないと座っていられないからだろう。ステンレス製のバケツに入れられたティーが運び込まれた。コップにティーが注がれその上に二枚のトーストが置かれた。全員に配り終わると短い唱和があり食事が始まる。ぼくにとって4日振りの食事なのだが食べられそうもない、トーストは隣のインド人にあげた。ティーは少しずつゆっくりと飲んだ。
食事が終ると各自コップを洗い元の食器置場に戻した。ぼくは誰もいない病棟に戻ろうとした時、入口でインド人に止められた。施錠以外の解放時間にベッドで横になることは禁止されていた。症状が良くない数名を除いてそれぞれ軽い作業分担があるようだ。前庭と病棟の両横・裏庭の掃除。玄関、病棟内それに皆が嫌がるであろうトイレ掃除。ぼく達は邪魔にならない場所を見つけては莚を引き摺って移動した。
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