ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ちいさな畑

2012-10-31 | ちいさな畑



白菜ー5株 じゃが芋ー7株を植えた。今年の春から野菜つくりを始めたど素人
よく見ると虫が美味しそうに葉を食べている ぼくも早く食べたい
土はふるいにかけなくてはならないと教えられた 土が荒すぎる
収穫ができるのだろうか?期待と不安が半分々・・・
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ジャンキーの旅             逮捕・・・11

2012-10-28 | 1部1章 逮捕
私服の執務室の中、奴はまた机の上に粉を置き手で
「やれ」 という合図をした。
首に巻いたタオルで鼻をかみ出し左右の鼻の穴に粉を吸い込んだ。粉が置いてあった紙の上を舐めた指でなぞり舐めた。
 また2人の日本人の面会があった。スーツを着た男性とインド服を着た女性だった。外務省を通してぼくのパスポート記載の住所確認と東京にあるぼくの銀行口座の確認をしたようだ。裁判と生活に必要な費用の送金は大使館口座を使用しても良いという話だったように思う。面会が終わると警察署の前からオート力車に乗って街を走った。眩しかった。ぼくが自由に歩いていた街がそこにあった。金網を張ったオンボロの大型バスが何台も並んで停車している、その横をぼくを乗せたオート力車が大きな建物の奥へ進んで行った。私服に連れられ階段を上ったり下ったり、幾つかの部屋に行きその都度待たされた。両手の平と足裏にローラーで真黒い墨を塗られ白い紙に手足の紋形を押した。建物から一旦外へ出たとき水売りの荷車の前で私服は
「水を飲むか?」 とぼくに聞いた。
頷くと私服は小銭を払いコップ一杯の水をぼくに渡した。2日間ぼくが口にした物はその一杯の水だけであった。ぼくはパールガンジ警察署へ戻るものと思っていたが、その時点でデリー中央刑務所への収監手続きは終っていた。ぼくに与えたコップ一杯の水は私服が示したぼくへの最後の情けだったのだろうか、巨大なデリー中央刑務所へぼくを送り込んだ奴の。
 建物の中庭を歩いて鉄格子の並んだひとつの鉄扉の前で、紙切れと同時にぼくは裁判所警務官に引き渡された。放り込まれた留置場には20人程のインド人がたむろし、大声で喋ったりフロア―に食べ物を広げ仲間と食べていた。その間も次々とインド人達が入れられてきた。留置場内は座っていられない程のインド人で一杯になった。すると何か合図でもあるのか、彼等は鉄扉に殺到し押し合いを始めた。扉が開けられ彼等は吐き出されていった。留置場に静けさが戻り片隅の壁に背を凭れ掛け座り込んだ。次に何が起こるのか解かりもしない時間をなされるままに待っていた。喧騒が何度か終わって夕暮れの風の気配を感じ始めたとき、最後に残されていたぼくの名前が呼ばれた。日中見た金網を張ったオンボロバスの後部に立ち、オールドデリー裁判所ティスハザールを出発した。裁判所のゲートを出て右折し少し行くと赤や黄色の沢山のピラミットが目に入った。インドの食生活に欠かせないスパイス街だ。夕食の為ターメリック、ガラムマサラを買い求める自由な人々がいた。力車、大八車、のんびり歩く牛、井戸水で水遊びをし身体を洗う子供達。チャイ屋の長椅子に座りビリを吸うインド人。バス停の近くではスピードを落したバスから人々が吐き出され、人々が飛び乗った。ペプシコーラの看板のあるコールド・ドリンクショップ。人が群れた映画館。ベジタブル・バザールで買い物をする人々。赤信号で停止したバスの前を歩いていく自由な人々。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・52

2012-10-23 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録

   12月27日(水)(入院して24日)

 ドラッグの闇のトンネルから抜け切れない、入院して24日間では当然だろう。アシアナで50日間スタッフを断ったけどその後、1年間も吸い続けてしまった。良い薬を使ったとしても後2週間ぐらいは肩の痛みと不眠は残るだろう。上手くいけば日本へ帰った頃、ちょうど抜け切るかもしれない。昨夜から新しい薬に替えるとドクターが言っていた。ぼくの体内に残っているドラッグをプッシュアウトするための薬だ。今まで薬が多かったのは肝臓やダメージを受けた脳を治療する薬が含まれていたらしい。後2日で退院し外へ出られる。しかし今、入院しているのはぼく1人だけなのか、男性の大部屋を見てきたが誰もいない。
日本の精神病院には大部屋があるのだろうか、患者にはそれぞれに異なった病状や症状があると思うが、もしぼくが精神科に行くとしても入院はしない。アシアナのように同じ薬物症状の患者が多くいると何となく気分が紛れた。暗く寒々とした病院に後2週間も1人ぼっちでいたら鬱になりそうだ。
 午後5時頃、3人のシスターがぼくの病室に入って来た。いつもの彼女達とちょっと違う、顔の表情が硬い。何かあるなと思っていたら、
「今から注射をします」
これか、ドクターが言っていた注射とは。容器に入った注射器や血圧計等がテーブルの上に置かれた。
「細心の注意が必要だ、健康状態を見て決める」とドクターは言った。
ベッドの上で横になり左腕を出すと血圧や脈拍数をシスターが調べている。普通の静脈注射のようだ、そんなに神経質になる事はないだろう、とぼくは思っているが彼女達は真剣だ。担当のシスターが上腕部に黒いゴムを巻き注射器を受取った。大切な注射だというのにドクターは姿を見せない、左腕の中を冷たいものが流れた。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・51

2012-10-19 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録


午後4時頃、Bさんが来てくれた。ぼくはすべてを話した。こうして治療を受けている間は禁断を圧さえる事ができる、しかし依存症は残る。暫らくは我慢出来るだろうが何れまたスタッフに手を出す。治療が終った今、帰国し日本の精神科で治療を続ければ依存症を治す事が出来る。
印・ネ国境はネパール人の手助けがあれば抜けられる。カトマンズの日本大使館が速やかにパスポートを交付してくれるなら帰国は可能だ。Bさんは黙ってぼくの話を聞いてくれた。ぼくの話が終るとBさんは
「それしか方法はないでしょう。29日の退院という事でドクターに話しをしましよう」
それしか方法はない・・・Bさんは黙認した。逃亡による成否の責任の一切はぼくにある。
大使館は28日で年内の日程が終り閉館される。Bさんは29日も仕事があるらしい、ぼくの退院手続きが遅くなっても大使館で待つ、と言ってくれた。
 夜中だが何時頃だろう、薬を減らしているので肩の痛みと不眠は続いている。シスターは夜間巡回をしていたのか、以前は眠っていたので知らなかった。先程、シスターから痛み止めを貰って飲んだ、効いてきたのか少し痛みが引いたような気がする。29日、金曜日の退院が決まった。退院してデリーに滞在できるのは4日間だけだ、出発の準備は整うだろうか。ネパールの滞在を含めて約2週間でぼくの旅は終る、帰国するしか他に方法はない。1月の最も寒い季節の帰国となるがそれで良い、2ヶ月も経てば春になる。今が底だとすればこれ以上、下に落ちる事はない。長いどん底の生活だった、もう終わりにしたい。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・50

2012-10-17 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
   12月26日(火)(入院して23日)

 前庭の椅子に座り冬の太陽を身体に受けていた。
「トミー、お薬の時間よ」
シスターは水の入ったコップをぼくに渡し薬を手のひらに置いてくれた。
「随分、薬が少なくなったわ」
「あ~、ぼくはもう直ぐ退院するんだ」
彼女の瞳を捕らえてぼくはそう言った。一瞬、彼女の動きが止った。
「そう」
一つ頷いて彼女は病棟の方へ戻って行った。
数日前、ぼくはドクターと年内退院について話し合った。その時、ドクターは
「退院する前に大切な注射を君に打たなければならない」
非常に大切な注射とは、ぼくの体内に残っているすべてのドラッグをプッシュ・アウトするために必要な注射だと彼は言った。
「細心の注意が必要だ、君の健康状態を見て決める」
 退院した例のインド人が今日も診察に来ていた。眠れないし身体が痛い、と言っては何度も生欠伸をしている、同じドラッグをやった人間だから症状はぼくにも良く分かる。彼がスタッフを断つことができたのは家族の愛だろう、妻や子供が身近にいる。薬物へ逃げようとしても彼を引き止める家族の絆がある。もしぼくが日本へ帰る事が出来たら母の住む町で生活をしよう、薬物への欲求があっても母の顔を見ていたら出来ない。これ以上、家族を悲しませたくはない。
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ジャンキーの旅              ブラック・アウト・・・21

2012-10-11 | 2章 ブラック・アウト
路地裏の薬局で注射器を2本買い1本は奴にやった。
「最近、打ってないだろう。打ってやろうか」
「大丈夫だ、何とかなる」
「やり方、知ってるな。25ml以上は入れるな危ないぞ。慣れたら少しずつ量を増やしてもいい」
何をするつもりなのか、自分でも分からない。もしランジャンの部屋に明かりが点いていなかったら、ぼくは注射器を買わなかった。人間が生きていく道には良いにしろ悪いにしろ流れがある、流れに沿って生きるしかない。
 スプーンに入れたミネラルウオーターを、1度沸騰させ常温に戻す。スタッフを入れ混ぜるが、灰色の液体には不純物が混じっている。タイのホワイト・スタッフのように完全に精選する技術がないのだろう。新しい煙草のフィルターを抜き出しスプーンの端に置く。そのフィルターに針を刺しそこから液体を吸い取る。不純物はファイターに付着し残る。注射器内の液体は25mlの目盛りをかなり超えていた。針を上に向け空気を出すと準備は出来た。腕の中を一瞬すっと冷たさが走る、と同時に頭の中に白い冷たさを感じた。左腕から心臓までの距離は短い。時間をかけゆっくりとポンプを押す。注射器内の液体が体内へ流れ赤い血液と融合する。終った。注射器は2度と使えないように処分した。壁に凭れ掛かり効きを待つ。
 2日の夕方、ぼくは自然に目が覚めた。不快感はない。生きている、それはそれとして良い。どうしても死のうと考え注射を打ったわけではない。もし死んでいたら、それでも良かった。水を一杯飲むと空腹感がある。美味しいスープが食べたい、メトロポリスへ行こう。帰りに文庫本を2冊だけ買った。治療で症状の回復が進めば必要になる。
 12月4日の朝、アルファーが迎えに来た。彼を部屋の中に入れドアに鍵を掛けた。ぼくは最後になるであろうスタッフを吸い込んだ。パッキングした残りのスタッフとチャラスをアルファーに預けた。
「今日から入院する。1ヶ月間それを預かってくれ」
「本当なのか?」
預けるとはどういう意味なのか。退院したら又スタッフをやるのか、ぼくには分からない。ドラッグの深い闇から回帰する。綺麗な身体になり、もう1度だけ現実に戻る。それから先は、その時点で決まるだろう。裁判所への出頭が終りぼくは大使館へ向かった。

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ジャンキーの旅              ブラック・アウト・・・20

2012-10-03 | 2章 ブラック・アウト
ホテルのベッドで横になりぼくは考え続けていた。
「良い病院がある。入院して治療しましょう」
「4日は裁判所への出頭日です。それが終わり次第、大使館に来ます」
「病院の手配はしておきます。必ず来て下さい」
「約束します」
今日、Bさんはぼくにお金を渡さなかった。正解だ。残りのお金は数千ルピーしかない、これでは何も出来ない。もし15万ルピーが手に入っていたら、ぼくは逃げ続けようとしただろう。
 皆と一緒に吸う最後の夜になるかもしれない、ピクニックGHで吸っていた。
「病院に入院する事になった。スタッフを止める」
「スタッフを止めてどうするの。退院しバザールに戻っても止め続けられるの」
「難しい問題だが取りあえず止める。後のことはどうなるのか、ぼくにも分からない」
アシアナでの苦しい禁断治療が終って第2収監区に移送されたその夜、ぼくは何の躊躇いもなくスタッフをスタート・アゲインした。入院している間は止められる。退院してメインバザールに戻る、スタッフを止め続けることが出来るのだろうか、デリーではアルコールよりも簡単に手に入る。
スタッフによる禁断は1ヶ月で抜け出せるかもしれない、だが依存症は身体の中に残る。一時的にスタッフを断つ事は誰にでも出来る。依存症から解放されるには何年かかるか分からない、一生かかっても治らないかもしれない。また同じことを繰り返す。二ナの部屋を出ると右奥にあるランジャンの部屋に明かりが点いている、ドアをノックした。中でごそごそ音がしていたが小窓から奴が顔を覗かせた。
「注射器を買いたい、どこで手に入る?」
「お前が使うのか?今まで打っていないだろう」
「たまには打つさ。どこで買えるか教えてくれ」
「待ってろ、一緒に行ってやる。お前1人だと売らないだろう」
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ジャンキーの旅              ブラック・アウト・・・19

2012-10-01 | 2章 ブラック・アウト
4日前にぼくを脅した裁判官だったがキャンセルについて彼は何も言わなかった。次回、12月4日の出頭日を指示されただけで無事に終った。しかしスタッフを続ける限り今回と同じ問題を起こす危険性は残る。
 パテラハウスでピーターに会った。
「俺も12月にはリリースされる。お金の手配がついた」
「そうか、それは良かった」
第4刑務所内にある薬物中毒者更生施設で初めて彼に会ってから1年が過ぎていた。お金さえあれば保釈という条件がつくにしろ刑務所から出る事が出来る。肝炎で死んだクリスはどうなった、アミーゴは何をしているのか、ジャクソンやフランシスの刑はいつ終るのか、もうすぐ寒い冬がやってくる。去年、クリスマス・カードを書いていたアミーゴは後何回クリスマスを刑務所で過ごせば出てこられるのか。
ぼくと前後してリリースされた者は、
アシュラム、チャチャ、ムサカ、ショッカン、ランジャン、チャーリー、パラ、ムスタハンとアルファー等がいる。釈放されると彼らはすぐドラッグ・ビジネスに精を出している。逞しいアフリカンだ。
12月1日、ぼくは大使館へ日本から送金されたお金を引取りに行った。いい加減な言い訳でその場を取り繕うとしたぼくに
「何度、嘘を吐いたら気が済むんだ」
「そんな嘘がいつまでも通ると思っているのか」
Bさんは机から立ち上がり大きな声でぼくを叱責した。怒りの目はぼくを捕らえている。
執務室にはAさんもCさんもいる。事の成り行きを見守っているだろう。ぼくは決断を迫られている。考える時間が欲しい。黙って下を向いた。
「この状態を続けて、これから先はどうなる。またお姉さんに心配をかけるのか」
もう逃げるのに疲れた。どの様な形であれ今の生活にけじめをつけなければならない。ぼくはすべてを認めた。立ち上がり深く頭を下げ
「申し訳ありませんでした」
もう良い。何かが終り、何かが始まるのかもしれない。
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