大便用は十個しかない。タイミングが悪いと暫らく空くまで通路で待つ事になる。10個のトイレ全部が使えればこんな事にはならないのだが何故だか3~4個が汚れて使えない。日本の和式用便器と同じタイプで、ただ前の金隠しの部分がない。普通に便の落とし穴に排便をすれば汚れる事はない。わざ々便器の前に座り小便の受け皿に排便している。後から入った者はとてもじゃないが使えない。普通に便器を跨いで座るとちょうど目の前にそれがある。トイレが終って持って来た水でお尻を洗う時にもそれは邪魔になる。目の前で手の平に水を溜めその手をお尻の下に持って行きお尻を洗うのだから。今回、新しく監房が替わってインド人がいなくなるからトイレは汚れないだろうと思っていたのに如何も良く分からない。
オマールはインド食が食べられるようになった。彼は盗みをしたり嘘をついたりはしない、まあ良い奴だ。ただモロッコ大使館の面会や援助が全くなくお金に困っていた。ぼくは200ルピーを彼に貸してビリの商売をするように進めた。条件は、お金は返さなくて良いからビリ1本5ルピーで40本をぼくに戻すという条件だ。またそれ以後もぼくに対しては1本5ルピーの値段で売る。オマールはスタッフをやらない、ビリを売って少しずつだがお金を貯めているようだ。日用品や食べ物くらいは自分のお金で買えるだろう。
2月25日(土曜日)
スリランカ人グループが第5収監区へ移って来て一週間になるだろうか、やっと許可が出たのだろう。10房に入っているのはショッカン、セガ、サンダーそれにキタの4名だ。アンクル・チャチャは奴らとは別になりランジャンのいる8房の外房にベッドを持ち込み寝泊りしていた。チャチャが奴らと離れたのは理解できる、彼の収監理由はドラッグ事犯ではないような気がする。年齢も50歳くらいで紳士的なスリランカ人だ。だが良く分からないのは
ディクソンだ。グループのリーダーだった彼はインド人専用の第8収監区に替わっていた。
1960年代 ネパールは開国した 世界中のヒッピー達は何かを求めてカトマンズへ向かった