ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

保釈・・・22      リリース

2017-03-15 | 5章 デリー中央刑務所  保釈

 暫らくすると鍵を開ける金属音がした。ぼくは用意したビニール袋を持ってベッドから立ち上がる、チャーリー、オマール、アラジンが立ち上がり最後の強い握手をした。監房の外に出たぼくの目の前で3房の鉄格子が閉められ鍵がかけられた。隣の2房から大きな声で
「トミー」
「アミーゴ、また会おう」
「トミー」
アミーゴは鉄格子を両手で握り締め揺するようにしてぼくの名を呼んだ。
4房の前に来るとピーターとクリスが鉄格子の間から手を出していた。ぼくはその手を強く握った。
「トミー、俺も直ぐ出る」
「ピーター、外で会おう」
ぼくは急いで7房へ行った。ダイクと握手をするようにしてぼくの下着からパケを取り出し彼の手に握らせ
「ダイク、身体に気をつけろ」
「それはお前のほうだ、また会おう」
ジュドゥ、ムサカ、チョコマ、パラ、フランシス、カマル、ムスタファン、ランジャン、エマ、セガ、サンダー・・・。
元気でやれよ、また会おう。
皆は外房に出て口々に声を掛けてくれた。裸電球に照らされた鉄格子と収監者達、Cバラックのゲートの前でぼくはもう一度振り返り両手を広げ叫んだ。
「Good By My Friends and See You Again 」
それは悲しみでも、虚しさでもなかった。ぼくの心に残された記憶の中を吹き抜ける風にGood By My Friends そうぼくは呟いた。
センターゲート外扉の右下の潜り戸からぼくは外へ出た。後ろでドアーを閉める鈍い金属音、デリー中央第一刑務所の鉄扉の前に立った。サーチライトに浮かび上がる巨大な赤黒い鉄扉、See You Again My Friends ぼくは振り向いた。夕闇の向こう通り過ぎる車のヘッドライトが一瞬、両手を上げたマリーの姿を捕らえた。デリー中央第一刑務所を後にしてぼくは歩き出した。

1部 ドラッグの深い闇「デリー中央刑務所」      終わり

しばらくお休みします    tomy
 
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保釈・・・21      最後の日 

2017-02-07 | 5章 デリー中央刑務所  保釈

 大きな木の台座に座ってぼんやりと考えていた。数時間後、ぼくはここから去っていく。ぼくが夕方、リリースされる事を知っている者は近寄って来て祝福をしてくれた。1994年10月24日に逮捕されてから今日1995年9月23日までちょうど11ヶ月、デリー中央刑務所に収監された。ここに入った事を後悔はしていない、ここでしか得られない多くの出来事や出会いがあった。
 昼の施錠時間に荷物の整理をした。大切な3冊のノートと少しの衣類だけをビニール袋に纏めて入れた。残ったトレーナーやセーター等の衣類はこれから必要になる収監者たちへ、3時の開錠時間にそれを残る彼等に分けてあげた。
 夕方6時の施錠前、グラウンドでウオーキングをしていた。バナナ畑は大きくなった数本のバナナの木を残して少し荒れていた。木は高くなっているが幹が細い、花は咲かないだろう。鉄格子を打つガーン、ガーンという金属音がした。施錠を知らせる合図の音だ。薄暗くなりかけたグラウンドから収監者達が夫々のバラックへ向かってのろのろと歩いて行く、もう彼らに会う事はないだろう。ぼくのCバラック3房の鉄格子がロックされた。
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保釈・・・20    朝

2016-11-21 | 5章 デリー中央刑務所  保釈

   9月23日(土曜日)
 朝、6時いつものように、デリー中央第1刑務所、第5収監区、Cバラック、3房の鍵を開ける金属音がした。
 ベッドから起き上がりネットを片付けた。扇風機を止め電線をスパークさせた熱から火を取りオイルランプに火を点けた。房内はまだ暑いがもう肌に白い塩の粒が残るような暑さはない。ピーターが入ってきて
「おはよう、火を貰うよ」
ミルク缶の中のオイルランプに火を点け彼は出て行った。彼が毎朝、火を貰いに来るようになったのはいつからだろう。ビリを吸いながら水の入ったペットボトルをぶら下げトイレへ向かった。グラウンドには薄い靄が立ちその中を朝のウオーキングをしている数名の収監者がいた。トイレは相変わらず汚れていたがもうぼくにはどうでも良い事だった。井戸水で身体を洗いチェーシングをやっているとダイクが入って来て新しいパイプと交換する。
「昨日のパイプ良かった」そう言って彼は開いた鉄格子から外へ出る。
1日使ったチェーシング用パイプの内側にはシルバーペーパーを巻き込んである、そこに付着したスタッフの滓なのだが開いたシルバーペーパーを下から火で焙ると1回分のチェーシングが出来る。それが欲しいダイクは毎朝パイプの交換にやって来た。
 朝、売店に行くのも今日が最後になる、オマールといつものソヤビン入りカレーライスを食べた。第5収監区のゲートに入るとき顔馴染みになった刑務官に木の葉で包んだカレーライスを渡すと喜んでいた。
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保釈・・・19 フィリップスについての推論・・・2

2016-06-17 | 5章 デリー中央刑務所  保釈

1994年10月24日、ぼくが逮捕された事を彼は新聞記事で知っていた。2日後の26日、第1刑務所の仮監房にぼくを引き取りに来ていたリーダーのトビキから一人の日本人が監房で自殺を計ったがインド人に発見され未遂に終った。スタッフ中毒の禁断が激しく第4刑務所、アシアナへ緊急移送されたという話しを彼は聞いていた筈だ。アシアナでぼくが自殺でもしない限り第1刑務所、第2収監区に来る事は確実だ。その事を前提にしてフィリップスは自分の釈放の計画を作った。彼は自分の釈放とぼくのそれをほぼ同時期にしようと考えていた。彼がリリースされぼくが保釈されるまでの間は1ヶ月以内であった。リリースされた彼はいつまでもぼくを刑務所内に置いて他のアフリカンに金を吸い取らせる必要はないと考えた。ぼくをリリースさせフィリップスの目が届く範囲内にぼくを置いておけばスタッフ中毒者のぼくからいつでも必要なお金は引き出せると。
 今のぼくにとってそんな推論はどうでも良かった。もしそれが事実だとしても彼を責める気持ちなどぼくにはない。フィリップスはぼくにとって信頼できる売人である。ぼくがデリーに残りスタッフを吸い続ける限り彼との取引きは継続する。
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保釈・・・18  フィリップスについての推論

2016-06-13 | 5章 デリー中央刑務所  保釈

 夜、ぼくはベッドで横になり考え続けていた。アシアナから第1刑務所に来た時、ぼくとフィリップスは弁護士を誰にするかを話し合った。最初からバクシ弁護士の名前は出ていた、が彼は有能だが弁護費用が高いし今回、ぼくの事犯は小さな問題で彼に依頼する程の事はないというフィリップスの意見で当初の弁護士に決まった。フィリップスがこの最終段階に来てバクシ弁護士に変更した理由をぼくは推測してみた。ぼくが逮捕されアシアナでの治療が終って第1刑務所に収監された時点でバクシ弁護士に依頼していれば今回のような形で早く保釈の判決文を引き出せたかもしれない。フィリップスはぼくのケースを大した事ではない、直ぐリリースされると言った。だがそうはならなかった。彼の弁護士は誰だったのかぼくは知らないが彼のリリースはそんなに長くは掛らないだろうとの心象を彼は弁護士から得ていたのだと思う。フィリップスは自分がリリースされる前にぼくをリリースさせたくなかったではないのか、今、ぼくはそんな気がしている。彼は刑務所にいる間に裁判費用をここで稼がなければならない、そのお金を捻出させてくれる大切な客がぼくだ。ぼくが彼より早く刑務所を出てしまったら彼は金づるを失う。
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保釈・・・17  大使館宛の手紙とフィリップスからのメモ

2016-06-12 | 5章 デリー中央刑務所  保釈

   9月18日(月曜日)
    大使館宛の手紙
面会どうも有難う御座いました。
保釈がほぼ22日か23日に決まりそうです。インド的事務手続きですので遅れた場合は25日になる事も考えられますが。つきましては保釈金40万ルピーの支払いについては前回と同様、バクシ弁護士とマリーが大使館を訪れます。その時、私の自筆の手紙を持参しますのでよろしくご対応下さいますようお願い致します。
22日に判決文が出ますのでたぶん21日にお金を受取りに行くと思います。翌22日に裁判所へ保釈預託金が完納されれば即、釈放される可能性もありますがたぶん23日になると思っています。釈放されました時には大使館へお礼に伺いたいと思っています。
当日、私はお金を持っていませんので21日マリーが大使館へ行ったとき2万ルピーをお渡し下さい。彼女が刑務所へ迎えにきてくれる事になっていますので。

   9月22日(金曜日)
 ニューデリーにあるパテラハウス裁判所から戻って来たアフリカ人のフランシスが一枚のメモ用紙をフィリップスからだと言ってぼくに渡した。
(ハーィ・トミー、今日、保釈の判決文が出た。明日、23日保釈される。マリーと一緒に迎えに行く。フィリップスより)


6月は少しのんびりできそうだ が月末から町の一大イベント夏祭りへ突入していく
それは7月最終土曜日のフィナーレまで続く 区役所、自治会、商店街、子供会
町はその熱気と夏の暑さで風船のように膨れ上がる
しかし、やがて終わりがくる 風船がはじけると平穏な町となる 

お休み中にもかかわらず多くの方が訪問されページをお読みくださりありがとうございました
まだ長い旅が続いていきます・・・   tomy


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保釈・・・16    記憶

2016-03-15 | 5章 デリー中央刑務所  保釈

 いつ意識を失ったのだろうか、センターゲート前でアフリカンから声をかけられた記憶はある、がその後の記憶は途切れた。気がつくと数日前に来た病院のベッドの上でぼくは横になっていた。意識が少しずつ戻ってきていたがぼくは動かなかった。うつろな意識で注射を打たれてからの場景を思い出そうとしていた。どのぐらい時間が経ったのだろうか、ベッドに起き上がろうとして上半身を動かすとドクターは止めた。瞳の動きを確かめた後、血圧や脈拍を調べていた、が正常に戻っていたのだろう
「立てますか?」
と言うので立ち上がって歩いてみた。まだ少しふらつく感じがあり眠りから覚めた時のようなぼんやりとした意識ではあったが不快感はなかった。
 ぼくと刑務官は廊下を歩いていた。彼はぼくを気遣うようにゆっくりと歩き特に階段ではぼくの身体を支えるようにして注意深く下りてくれた。先日、来院して見た各階の廊下に溢れる程多かったインド人の患者達、今は疎らで静かだ。これが今回、バクシ弁護士が描いたシナリオの最後であろう。ぼくの保釈までの日数は後10日しか残っていない筈だ。

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保釈・・・15    一本の注射

2016-03-14 | 5章 デリー中央刑務所  保釈

   9月15日(金曜日)
 朝、クラスでスペイン語の勉強をしていると、インド人が来て診療所のドクターがぼくを呼んでいると知らせてくれた。ポケットの中に危ない物が入っていないかチェックし急いで診療所へ向かった。診察室に入るとドクターはリラックスしてベッドの上で横になるようにと言った。今から一本の注射を君に打つ、ちょっと意識が乱れて身体が痙攣するが心配する事はない、数時間後には元に戻る。君も少し意識して激しく痙攣しているように振舞ってくれた方が良いだろう。
 本当にそんな薬があるのか、薬の量を間違えて意識の乱れと痙攣が治らないなんて事があったら不味いよ。こういう微妙な匙加減となるとぼくはインド人を信用出来ない。不安はあったがここはもうドクターに任せるしかないだろう。ドクターは注射器を持って来てぼくの腕に針を刺した。数分すると本当に意識が薄れ身体の痙攣が始まった。ドクターの大きな声や人間が動き回る音がする、ぼくは直ぐタンカーに乗せられ第一刑務所のセンターゲートへ小走りで運ばれた。ゲート前にいた数名のアフリカンが心配してぼくの顔を覗き見していた。
「どうした大丈夫か、トミー?」
声は聞えるがぼくは話せない、痙攣は続いていた。
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保釈・・・14    大使館の面会

2016-03-09 | 5章 デリー中央刑務所  保釈

ぼくはやっとの思いで9日、刑務所内の診療所での診察とその時ドクターがぼくに言ったバクシ弁護士を知っているか、との問いから弁護士からの依頼であるとぼくは確信している。と同時に11日は外部の総合病院で診察を受けた事などからバクシ弁護士は裁判所へ提出すべきメディカル・レポート、つまり医学的所見を制作しているのではないかとぼくは説明した。弁護士はマリーを通して保釈までの期間を1ヶ月以内とぼくに伝えてきている。刑務所内生活からくるぼくの健康障害はかなり悪化しこれが続けば非常に危険な状態に陥る可能性がある、としてメディカル・レポートによってぼくの保釈の判決文を引き出そうしている、これがバクシ弁護士の考えではないかとぼくは言った。これで大使館の方が納得されたかどうかぼくには分からない。私生活については唯ひたすら御迷惑をお掛けした事を詫び、私生活の改善をすべく努力していると弁解した。日本からの送金については土、日曜日が挟まるとデリーまで5~7日ぐらい必要である、25日、前後の保釈を考えると早急に日本へ送金の依頼をして下さるようくれぐれもお願いした。
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保釈・・・13    大使館の面会

2016-03-08 | 5章 デリー中央刑務所  保釈

ドクターは書類に目を通していた。暫らく待っているとドクターの問診が始まり続いてベッドの上に横になるよう指示を受けた。ドクターはぼくの胸に聴診器を当てたり打診していたが後はシスターに血圧と脈拍数を調べるよう指示していた。診察はその程度で特別な検査などはなく終った。
 病院の外に出て護送車の近くで他のインド人の診察が終って戻って来るのを一時間以上も待っていた。大した検査もなく何故、外の総合病院まで来る必要があったのだろうか。こんな事で保釈まで進めるのか、ぼくは多少心配になった。今日の診察内容から考えられる事は単なる内臓疾患ではなさそうだ、心臓とかの呼吸器系統ではないだろうか。バクシ弁護士は次の一手をどんな風に打ってくるのか。

   9月14日(木曜日)
 大使館の面会。話の中心はバクシ弁護士に既に十五万ルピーが支払われている以上、保釈に向けて具体的な動きがある筈であるとして保釈の進め方、具体的な手段方法の説明を大使館は求めてきた。又、弁護士に支払った金額の内十万ルピーは裁判所への保釈預託金のアドバンスとあったが支払われていれば裁判所発行の預り証明書がある筈だがそれはどうしたのか、そして最後に選任弁護士は面会に来ているのかと問われた。何とも不甲斐ない自分に気付いた。大使館に言われればその通りであった。

   
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