ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

帰国

2019-08-23 | その後・帰国
 ぼくは眠っていたのだろう、上海を通過しダイレクトに関空へ向かうという機内アナウンスがあった筈だが聞き逃していたのだ。時間がない。早くトイレへ駆け込みパケを使ってしまわなければならない。後ろの様子を見るとネパール人の女性乗務員がシートベルトを着用して座っている。今は動けない。財布からパケとスニッフ用にカットした紙を取り出し胸ポケットに入れた。皆が出口へ向かっているとき、逆方向の後部トイレへ行きスタッフを鼻に入れ、急いでバッグを持って列の最後尾に並んで機内から出なければならない。飛行機がとまると前方のシートベルトのランプが消えた。立ち上がり後部へ歩きだしたとき、何処へ行くの?という顔をした乗務員と通路で向き合った。
「ほんの1分だけ、トイレです」
「どうぞ」
彼女は笑みを浮かべて頷いた。トイレのドアをロックし用意している紙を細く丸め唇にくわえる。パケを開くとスタッフは圧迫され薄い煎餅のようになっていた。パケの外側から指でほぐすとパウダー状になる。2本のラインを作ることは出来ないがどちらの鼻から吸い込んでも体内に入ったスタッフの量は同じだ。適当に左右の鼻から吸い最後にパケとパイプの中に付着したパウダーを強い息で吸い込む。残った紙は丸めトイレに流した。バッグを提げ出口へ急ぐとちょうど最後の人が機外へ出るところで追いついた。
「ネパールは美しい国です。また伺います」「どうぞ、何度でもいらっしゃって下さい。お待ちしています」
美しくスマートな女性乗務員に笑顔で見送られながら空港内通路へ向かった。



               帰国・・・終わり
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その後    帰国・・・7

2019-07-13 | その後・帰国


 もし、ぼくがスタッフのパケを持っていないのであれば、ここが関空であろうと日本の何処の空港であろうと構わない。もし、ぼくがスタッフの中毒者でないのであればパケの中の粉を床の絨毯にばら撒いて立ち去れば誰にも分からないだろう。小パケの粉の量は病院で処方される粉薬と同じくらいだ。だがその粉を処分することは出来ない。そうすれば東京へ向かう新幹線の中で禁断に苦しむ。財布の中に隠したパケを持って空港内の麻薬犬の嗅覚をかわし外へ出られる確かな保証はない。ジェット機はエンジンを逆噴射しスピードを落としながら滑走路からゆっくりと駐機場へ向かった。その時、関西国際空港という文字をはっきりと見た。間違いなくここは日本の関西国際空港だ。思いもよらない帰国となってしまった。
 逃亡を生き抜きほっと気が抜けていたのだろうか、ちょっとでも状況を考える余裕があったなら分かりそうなものを。RA401はカトマンズ空港を夜中00・05分定刻に離陸し関空に翌朝10時着で飛行していた。トランジットに2時間が必要であり、時差の3時間をマイナスすれば飛行時間は5時間だ。仮に上海を中間点だとするなら飛行2・5時間に時差の1・5時間をプラスすれば上海着はまだ暗い早朝4時頃になっていた筈だ。そこを6時に離陸し2・5時間の飛行に時差1・5時間をプラスすれば関空10時着で計算が合う。夜中に食べた軽食は上海を離陸した後に出そうと用意されていたものに違いない。
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その後    帰国・・・6

2019-06-12 | その後・帰国

 まだシック(スタッフの禁断症状)は感じていないがそろそろ症状が出る頃だ。上海を出てから最後のスタッフを使う予定にしているがトランジットすると普通、離陸まで2時間くらいはかかる。昨夜11時頃にスタッフを入れているので我慢できるぎりぎりの線だろう。朝食が終ると座席の上にある荷物ケースからバッグ類を出している日本人が増えてきた。かなりの人が降りるようだが入れ替わりに多くの日本や中国の人々が乗ってくるのかもしれない。禁煙になる前に一服しようとタバコに火をつけた。食後という事もあるだろう、それと降りる前に用を足しておきたい人達だろうかトイレへの動きが暫らく続いた。機内前方から日本人グループの楽しそうな話し声や笑い声が聞えてくる。シートベルトとノースモーキングのランプが点いた。
 ジェット機はゆっくりと高度を下げているのだろう、それは気圧の変化からくる耳の変調によって分かる。機が進路を変えると緑に覆われた山間部や青い海と白波が描く海岸線が見渡せた。海を見るのは何年振りだろうか?コロンボの防波堤に打ち寄せる大きな波。インド亜大陸最南端の聖地カニヤクマリでは西からアラビア海、東からインド洋が出合い穏やかな海は赤道へ向かって広がっていた。高度は下がり続け都市の高層ビルの上空を飛び過ぎると前方に滑走路や建物と駐機しているジェット機が見えた。漢字で書かれた大きな看板が建っている。上海だから当然、漢字があっても不思議ではない。機が着陸のため一段と高度を下げた時、カタカナや関西という文字を見つけた。ここは上海ではないのか、という疑念が初めてぼくの中に芽生えうろたえた。事情があって飛行が遅れることがあっても、上海にトランジットしないというフライト・スケジュールを変更するだろうか。如何なっているのか?どちらの空港に着陸しようとしているのか?
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その後    帰国・・・5

2019-05-15 | その後・帰国

 缶ビールを飲んでうつらうつらしていると食事だと声を掛けられた。クロワッサンとバターそれにジュースという軽食が準備したテーブルに置かれた。何故?こんなタイミングで軽食のサービスがあるのか分からない。空腹感はないが無料で出される食べ物は腹に入れてしまうという習性は長い旅や刑務所生活から生じたものだろう。
 トランジットの上海を離陸して関西空港に着くまでの間に帰国後のことを考えよう。迷惑をかけた姉やその家族、九州の実家の母や兄弟に何と言えば良いのか、言葉がない。5年間の旅の間に離婚をした。ヘロイン所持でデリー警察に現行犯逮捕され中央刑務所に収監された。収監中も保釈中も薬物に溺れ今度は大使館の厳しい追及を受けデリー精神病院 へ入院させられた。入院という隔離によって厳しい禁断に苦しみながらもやっと薬物を断つことができた。しかしデリーはドラッグの坩堝だ。退院して薬物の誘惑を我慢できたのはたったの3日間だけだった。
 又うとうとしていた。薄目を開け窓を見ると明るくなっている。小さな置き時計はバッグの中にあり時間が分からない。それにフライト中であれば正確な時間というものはない。日本に着いたとき3時間だけ短針を早回しすればそれが日本の時間になる。それにしてもそろそろ上海に着いても良い頃なのだが皆は眠っているのか静かで機内を歩く人もいない。用を足しトイレから出ると奥の方でガチャガチャと食器らしい物音がする。覗いてみると女性乗務員と目が合った。聞くと朝食の用意をしていると言う。座席に戻って何をするでもなく睡眠不足でぼんやりした意識で空を見ていると後ろからワゴンを押してくる音がした。
「何?」「食事?」
振り向いて気づいた日本人の話し声が聞え、同時に人の動きが広がっていく。朝食は夜に出た軽食と殆ど同じメニューでそれにティーとフルーツがプレートに追加されていた。可笑しな朝食の出し方だ。本来なら上海を離陸してから出すべきものではないだろうか、そう思いながら食事を終らせた。
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その後    帰国・・・4

2019-04-24 | その後・帰国

 デリーからカトマンズへ逃亡して2週間が過ぎている。インドかネパール警察が機内の前座席からパスポートのチェックを始めるのではないかという不安が頭の中にあった。だが飛行機は定刻通り滑走路へ向かってゆっくりと走り始めた。此処にぼくの逃亡劇は終った。カトマンズ盆地の上空を右旋回しながら上昇を続けていたジェット機は安定した飛行にはいったのだろシートベルトとノースモーキングのサインが消えた。後部の喫煙シートにぽつりと座ってタバコに火を点けた。身体の中から緊張感が弛んでいくのが分かる。
もう終ったのだ。すべて終ったと自分に言い聞かせた。しかし成功したにもかかわらず晴れやかな気分にはなれない。欲しかった自由をやっと取り返したというのに何故か重い荷物を引きずりながらの帰国のような感じがする。それはまだスタッフと完全に手が切れていないからだ。奴がぼくの身体の隅々に種子を残し燻ぶり続けている。空港の搭乗ロビーのトイレで1パケを鼻に入れた。財布の中に隠して持っている残りのパケは関西空港に着く前に機内でスニッフする。
 もしスタッフを断ち真面目にカトマンズの外国語学校に通っていれば、今頃は2学年の後半に入り勉強したかったサンスクリット語が視野に入っていただろう。カトマンズの旧市街アッサン・トーレ辺りで土産物店でもやりながらネパールでのんびり生きようと思っていた。そんな夢も消えてしまった。日本で生きることは何も考えていなかった。一から出直す計画を練らなければならない。生き続ける価値を見い出すことが出来るのだろうか。
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その後    帰国・・・3

2019-03-14 | その後・帰国

「怖いのか?”ドラッグの最後のトリップは死であるという微かな予感を持っている”と言ったのはお前じゃないのか?」
「それは分かっている。だが俺はまだ耐えられる」
「何故、耐えるのか。もう十分にドラッグをやったじゃないか。日本ではできない。これから先、生き続けてもスタッフより楽しいものを得ることはないだろう」
「笑っているのかお前は、好きにしろよ。だがお前と生きたのはたかが5年足らずじゃないか。その何倍もお前なしで俺は生きてきた。これからも生きていける」
「お笑い種だ。デリー刑務所で首を吊ったのは誰だ。ランジャンと買った注射器で高濃度のスタッフ液を腕に打ったのはお前じゃないか。お前の脳に咲いた真っ赤な花は蓮華ではないケシの妖しい花だ。お前が逃亡し逃げ切ったのはインド警察だけだ。ドラッグにとっては国境も人種も何の障害になりえない。人間がいるところなら何処にでも俺は風のように忍び寄ることができる」
 ベランダの手すり越しに眼下を見た。ほの暗い街路灯がレンガ敷きの歩道を照らす。汚れた青の信号が10回点滅すると歩道を赤に染めた。ボロ雑巾のように潰れた肉体。砕かれた頭蓋骨から流れる液体。再び青が点滅する。
「10・9・8・・・3・2・1・飛べ」
その瞬間”通りゃんせ”のメロディーが鳴り始めた。2月の風は冷たい。部屋へ戻り強く窓をロックしカーテンを閉めた。照明を点け暖房を入れると座椅子に凭れタバコに火をつけた。
「お前はいつも決断ができない。生きることにも死を前にしても・・・。俺はお前につきまとう、俺から逃げ切るのは不可能だ」
朝までこうしていよう。朝になったらもう一度、病院へ行こう。
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その後    帰国・・・2

2019-02-14 | その後・帰国

 照明を消すとじわじわと覆い被さってくる闇の恐怖に捕らわれた。眠れないのは分かっていた。薬が効かないのも分かっていた。だがハルシオン2錠とカトマンズで買った睡眠薬2錠を飲んだ。眠りをつかもうとして何度も何度も布団の中で掻いた。
 抑揚のない無機質で無神経な”通りゃんせ”のメロディーが繰り返し鳴り続けている。目を開けると遮光カーテンを通した街の灯りが部屋の中の僅かな家具類をぼんやりと浮びあがらせる。眠りを邪魔するように左側の窓から執拗にくり返される通りゃんせのメロディーに苛立つ。左肘を突きゆっくりと上体を起こし音が鳴る窓をじっと見た。子供の頃よく聞いた童謡”通りゃんせ”とはあまりにも異質だ。交差点の信号機に取り付けられた装置によって寸分違わない音を吐き出す。人通りの途絶えた交差点で勝手に鳴り続けるその音が次第にぼくを追い詰める。起き上がろうとすると睡眠薬の効いた身体がふらついた。だがスタッフの支配下にある擬似脳だけがギラギラと目覚め続けていた。肉体を責め苦しめれば弱い人間なんてスタッフを手に入れる為なら狂ったように何でもやる。その事を奴は知っている。それが出来ないような肉体であれば死んでも構わない。薬物に溺れる替わりの人間なんて掃いて捨てるほどいる。
 窓の前に立ちカーテンを引く。窓を開けベランダへ出た。けばけばしいネオンサインがプログラムによって正確に画像を描き点滅する。下を見ると無人の交差点で信号だけが変わり、それに合わせた別のメロディーが流れ始めた。ベランダの手すりを両手で握った。
「ジャンプしろよ」
奴は誘いをかける。

この文章は一度 深い闇に掲示していた 
ファイルの流れで書いた一部分なのに切り取って貼るなんて今でも理解できないでいる
再掲示になりますが文章の流れで読んで頂ければと思います 深い闇は削除しています
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その後    帰国・・・1

2019-01-16 | その後・帰国

「入院しましょう。これ以上一人でいると危ない。今ちょうど病室が空いています」
「先生、まだ耐えられます。何度もこんな状況を生き抜いてきましたから。自分の症状は分かっています」
「分かっているって、何がどう分かっているんですか?」
先生には5年間のインド滞在で酷い躁鬱症を患い大使館の忠告でデリー精神病院へ1ヶ月間入院していたとだけ問診で伝えた。デリー精神病院を退院するときドクターから引き続き薬を飲むようにと渡された処方箋はそのとき先生に提出してある。薬物中毒による禁断症であるだろうという印象を先生は持たれているのではないだろうか?インドでのドラッグに溺れた生活を精神科の先生といえども話すべきではないとぼくは考えていた。ここはインドではない。どういう形で情報が漏れていくのか分からない、その事を警戒した。重症の薬物中毒患者が診察にきたと連絡され取調べを受けることだけは避けなければならない。禁断に苦しみながらデリー警察で厳しい取調べを受けた場面が頭をよぎった。ここは日本だ、犯罪者として逮捕されることだけは絶対に避けなければならない。

バックアップのデーターを調べていたとき 帰国・1というファイルを見つけた
サイズは24kb 30枚程度だと思う いつ、何故書いたのか 分からない
一応 目を通して見た 一部 訂正すればと思うのだが その続きがない
先の見えない文章だ・・・
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