ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅              ブラック・アウト・・・13

2012-07-31 | 2章 ブラック・アウト
 ぼくは日数を失い日付を間違っていることに気付いた。コンノートにある日本情報センターへ行った。日本からの手紙が着いているか調べるためだ。情報センターに着くと休館になっている。今日は金曜日なのに何故だ、日本の祭日でもない。ぼくは暫らく入口に立って館内の様子を見ていたが誰もいない。通りのインド人に確かめてみると今日は土曜日だと言う。ぼくが考えていた日は一日遅れていたのだ。もし、この一日の遅れに気付かなかったらぼくは月曜日ではなく火曜日に裁判所へ出頭していただろう。保釈中のぼくにとってそれは許されない重大なミスだ。弁明の余地はない。
 何度も転ぶようになった。膝や肘の傷が絶えない。歩きながら何を考えているのだろうか、小さな起伏や段差に足を取られ、ばったりと倒れる。倒れた自分にやっと気付き、地面に伏した顔を上げ周りを見るとインド人達が笑ってやがる。
商店を一つ挟んでキーランとカイラスのGHがあるが、何度か間違えてカイラスの階段を上った。
「ジャパニー、ここはキーランじゃありませんよ」
間違いに気付き階段を下りようとしたぼくに
「部屋、空いてるよ。替わりますか?」と言って笑いやがる、嫌味なマネージャーだ。
 カトマンズのスンダルへファクスを送ったと二ナはぼくに言った。彼からの連絡を待っているが何とも言って来ない。二ナの頭はドラッグでどうかなってしまったのか。彼女はカードを持っているが、何のカードなのかぼくには分からない。
「このカードでトミーのお金が引き出せる」と言う。
東京銀行へ行って2度やってみた。名前、パスポート番号とそれから銀行の暗証番号を入力する。そんなことでぼくのお金が引き出せるだろうか、どう考えても不可能だ。他の都市銀行に預金してあるのだから。そんな二ナと真面目に付き合っているぼくも、おかしなジャパニーなのかもしれない。出国する前、ぼくは預金を東京銀行へ移そうと考え、支店へ行って話を聞いてみた。同じ東京銀行だがデリー支店は、システムが異なりカードでの引き落としは出来ないと言われやめた。日常生活での二ナとの付き合いは楽しくて良いのだが、それ以上の事は相談しても無理だとぼくは分かった。
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ジャンキーの旅              ブラック・アウト・・・12

2012-07-26 | 2章 ブラック・アウト
毎夜、ブラックアウトしている。途中、1時間くらい眠っているようだ。目が良く見えない。チェーシングをやろうとするのだが火のコントロールが出来ない、指を焼いてしまった。
二ナの事をぼくは何も知らない、国籍も年齢も。20年間スニッフをやっていると彼女は言うが、鼻の中にトラブルはないのだろうか。確かに効きは良いし道具もいらない。彼女はいつもキャンディーやスイートを持ち歩いている。スタッフが鼻から口内に流れる、その苦味を消す為だ。目が悪くなって字が書けない。ノートの線が二重に見えてどこに字を書いているのか分からない。
 サンダルが滑ったのだろう、両足を前に出した姿勢で、お尻の尾てい骨を大理石の階段にダンダンダンと打ちながら、ぼくは2階から滑り落ち始めた。後からマネージャーの大きな声が聞える。パタパタと駆けるサンダルの音が追いかけ、近付いてくるとぼくの両脇を掴まえた。狭い急な階段の中頃である。もしぼくの身体が後ろに倒れていたら、大理石の階段の角に後頭部を激しく打ち付けていただろう。スタッフを吸い自分に何が起こっているのか分からず防御の動きをしなかった、それが良かったのかもしれない。尾てい骨のダメージは長く続いた。座ることも歩くことも、トイレで用を足すにも痛みで辛かった。この夜、横座りしてスタッフを吸いキックしたぼくは、斜め前に屈み込み居眠りをしていたのだろう、髪の焼ける臭いと額に熱を感じ飛び起きた。ローソクの火で額から髪を焼いてしまった。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・44

2012-07-24 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
 1週間、遅らせて出発するという案を考えてみよう。国境の町スノウリは抜けられると思っている、インドからネパールへ1本道だ。もし通りでヒンディー語なりネパール語で話し掛けられた時はどうする、外国人であることを見破られる危険性がある、どうしてもネパール人の助けが必要だ。1月3日に裁判所へ出頭して、その日の夜行列車で国境へ向かう。1月4日ゴラクプール着、夕方まで時間を潰し暗くなって国境を抜ける。1月5日朝にはカトマンズに着く。次の出頭日は1月10日だろう、これをキャンセルする。インドの日本大使館からネパールの大使館へ連絡が入るのは10日以降になる、その時点でぼくは既にパスポートを入手している。この計画がベターだ。そうするとデリーには1週間滞在することになる。夜行列車の切符の手配もある。信頼できるネパール人の助っ人を探さなければならない、1週間は準備するに丁度良い日数だ。ぼくにとって最後のデリーになるかもしれない。
 病院には1度くらい通院して安心させておいても良い。とにかく早くマリーに会って正確な出頭日を確認したい、それによって逃亡日を決める。出頭したその夜に出発するのが一等良いだろう。よし、先が見えてきた、これでいける。前方に何かしら薄日が差してきた、もうひと頑張りだ。

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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・43

2012-07-20 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
 少し身体が動くようになるとスタッフをやりたくなる。100gくらい持ってカトマンズへ逃げようか、スタッフが切れたらどうする、デリーへ買出しには行けない。また1ヶ月禁断に苦しむのか、中毒だな死ぬまで止められないかもしれない。しかしカトマンズで新しいパスポートが手に入ったとしても安全ではない。超大国インドはネパールを自国の一つの州くらいにしか考えていない。インド警察の捜査はカトマンズに及ぶだろう。ネパールを早く出国しなければならない。やはり退院したら直ぐネパールへ逃亡し帰国するしかスタッフを断つ方法はない。
 夕方、ドクターの往診があった。退院の件は概ねドクターの了解を得た。26日にBさんの面会がある、ドクターとぼくの3名で話し合って最終的な退院日が決まるだろう。年末は大使館も忙しいのではないだろうか、だとすれば27日の退院が有望だ。直ぐ出発すれば正月はカトマンズで迎えられるかもしれない、そうなると良いな。来年1月3日が裁判所出頭日のようだが、これをキャンセルする。裁判所か警察から大使館へ連絡が入るのは何日頃になるだろうか。まだ問題は残っている、パスポートの件もある。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・42

2012-07-18 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
   12月22日(金)(入院して19日)

 体調が良くないのは分かるけど、もう少し状況を良く考えてくれよ。明日23日~25日まで大使館は休館になる。年内に大使館が通常勤務をするのは26日~28日の3日間だけだ。その間に退院する事が出来なかったら年明けの1月5日までの入院が確実になる。あと2週間もこの病院に足止めされるなんて、思っただけで本当に頭がおかしくなりそうだ。症状の回復は65パーセントぐらい、欲しい薬は痛み止めと睡眠薬だ。退院したインド人のように通院しても良い。インド人の話では食事なしの大部屋で、1日の入院費が千ルピーの請求だったらしい。ぼくは特別個室だからもっと高い金額になる、無駄な出費だ。大使館が開いている最終日の28日の退院でドクターの許可を得なければならない。
 午後、事務室へ行った。
「大使館のBさんへ電話をしたい」
シスターは迷っている。ドクターの指示がないと勝手に出来ないのかもしれない。
「Bさんと大切な話しがある。電話を掛けなさい」
ぼくの強い態度にシスターは受話器を取り上げた。
Bさんは電話に出てくれた。だが彼にとって好ましい電話ではない様子が電話口から感じられる、だがぼくは引くわけにはいかない。年内の退院についてはドクターから良い感触を得ている、それと退院後のぼくの計画について話したい事があると伝えた。
「退院後のぼくの計画」
この言葉はBさんを動かした。26日の面会の約束を取り付けた。Bさんの面会まで後3日ある、その間に逃亡計画を作り上げなければならない。
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