ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・28

2013-10-29 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

 野菜を売りにくるリヤカーとは別に荷台に棚付きの木製倉庫を乗せて来るリヤカーがある。両方共、広い刑務所内をスピーディーに回れるように自転車が取り付けられている。刑務所内に1カ所ある売店で売っている品物を荷台に乗せて各ワードを回る、出張販売だ。石鹸、歯ブラシ、ノート、ボールペン、飴玉、質の悪いぼそぼそしたビスケット3~4種類その他雑貨類。日常生活に必要ものは大体揃っている。次がチャイ屋だ、午前と午後に回ってくる。毎朝、当番が受け取ってくる刑務所で出されるティーとは全く味が違う。ミルクと砂糖をたっぷり入れた塀の外で飲むティーと同じで美味しい。チャイ屋は小さいリヤカーを自転車の荷台に取り付けて来る。今日はポテト・オニオンの衣揚げ、当然カレー味なのだが絶妙に美味しい。インド料理の殆どの味付けは塩それにターメリックとガラムマサラ、当然ニンニク、ジンジャーも使うと思うがそれぞれのブレンドによって無数の味が出せるのだろう。昨日はスイートが2種類あった。ティーを除いて調理した食べ物は5ルピー単位で2~3個とか皿状にした木の葉1杯分として買う。
 フィリップスが会う度にお前はマークされている気を付けろと注意する。本当かどうか分らないが気を付けるにこした事はない。今夜はどうした事か皆もう寝る用意をしている。ビリを吸おうとしたが火がない。インド人の所へ火を貰いに行った。屋根の低い外監房の裸電球はそこを寝場所にしている奴らの権利だ。火を貰った代償として3分の1程ビリを吸われてしまった。
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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・27

2013-10-28 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

 フランシスは模範囚だ。ここのところ奴からビリを買っている。フランス人だからお金については聡い、安く買って利益を乗っけて売る。自分の吸う分ぐらいは浮かしているのだろう。彼の刑務所生活は長くて5~6年にはなると噂を聞いた。何年後、生きてここから出られるのか、そんな話しは誰もしない。彼はビリを売ってもドラッグには関わらない。ビリは刑務官に見つかれば没収か酷くても2~3日の懲戒房で済む、がスタッフは刑の延長を意味する。彼はビリを売るだけでなく火を用意してくれている。たぶん宗教の祈りなどに使う目的で蝋燭の持ち込み許可を得ているのだろう。施錠後Cバラックの中に2~3ヶ所隠し火がある。その火が完全消えてしまったときは裸電線を擦り合わせ火花から火をとる、又は電球に紙を巻き付けその熱で火をとる。インドの電気は200V、空気が乾燥しているので難しくはない。
 刑務所で配給される食べ物は決まっている。それ以外の食べ物といえば面会の差し入れだ。定期的に面会を受けている者は人気がある。フルーツや特に甘い物は貴重品だ。チョコレート、ケーキそれにビスケット等は王様で口にすることは滅多にない。第2ワードに来てスリランカ人グループと共同生活をしているが嫌な事が多い、でも一つだけ良い点がある、それは食べ物が豊富にあるという事だ。刑務所にいて豊富な食べ物とスタッフがあればこれ以上の贅沢はないだろう。サンダーを除いて他の3名に順送りの様にして面会がある。今日はセガのバースディだった。珍しいスリランカの食事が差入れられた。この時ばかりは全員、食べ物を囲んで仲良く食べた。ココナッツ・オイルにスパイスを効かせた炊き込みご飯やココナッツを使った料理が多かったが堪らなく美味しかった。
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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・26

2013-10-25 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

 日曜日・祭日を除いて毎日午前9時~10:30時まではクラスという勉強会がある。収監者が講師で自主的に運営している。黒板、白墨それにノート、ボールペンは請求すれば支給される。科目は語学で英語、フランス語、ヒンディー語、アラビア語などがありその各語に初中上級のクラスがある。第2収監区は本来外国人専用なのだが半分以上はインド人が占めていた。ヒンディー語クラスで読み書きの勉強をしているのは多くの若いインド人だった。事情があって学校に行けなかったのだろう。
 アミーゴはいい加減な野郎だ。スペイン語クラスの新設の許可が出たのに昨日、今日とクラスを休んだ。講師なのに参加せず寝床で横になっていた。ありもしないおこぼれのスタッフを待って夜遅く迄起きていたせいだ。ショッカンが吸う準備をしようとすると、すっと起き上がり物欲しそうにじっと見ていた。期待が見事裏切られてドターと横になり、ちびたビリをやけにプカ々と吹かしていた。アミーゴはシックなのかもしれない。しかしクリスマス前、大使館の差入れがあったんだろうその金がもう無いと言うのか、ここでは他人のこと等考える余裕はない。自分のことは自分で始末するしかないのだ。
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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・25

2013-10-24 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

   十二月二十七日(火曜日)
今年も残すところ後4日となってしまった。刑務所で正月を迎える事は間違いない。自分の不注意によるものだから仕方がない。来年の正月は自由になって楽しく迎えたいものだ。昨日、ピーターがアシアナから戻ってきて彼と話しをすることが多くなった。彼は頭が良いのだろうぼくの解かり難い英語を理解してくれ会話が出来る。
 元プレジデントの死で昨日に続いて今日も裁判所やオフィス等は休みになっているそうだ。数日前、お金を貸してくれたアフリカ人に御礼としてリヤカーの移動売店で買ったビスケットを贈った。少しの事で気持ちが通じる、困った時また頼むこともあるだろう。毎日同じ日々が延々と続いているがその1日々を積み重ねていくしかここから出る方法はないのだ。
 フィリップスのスタッフの量は増えたが質が落ちて効きが持続しない。鼻水が出たり軽い風邪症状がでるとシックだよと体が合図を送ってくる。このままでは眠られないのだ、眠ろうとすると身体に痛みが始まる。やっかいなドラッグだ。正月は良いスタッフが欲しいな。スタッフの刑務所への持ち込みは裁判所に出頭したアフリカ人プッシャーによる。外国人犯罪者の多くはニューデリーの裁判所パテラハウスが管轄している。元プレジデントの死でインド政府は喪に服し政府機関をクローズしているがそうすれば年内、新しいスタッフの持ち込みは不可能になる。一度フィリップスにワード内にどの位のスタッフがあるのか聞いたことがある
「無くなる事はない心配するな」と奴。
 ビリの値段が上がった二本で15ルピー。昨夜はここCバラック内でビリが不足した。6時の施錠後だから他バラックからの補充が出来ない。吸う奴は今夜自分が吸う分1~2本は持っているが売らない。1本10ルピーの高値になってやっと1本買うことが出来た。一度安いのが手に入ると高値は買い難い。
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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・24

2013-10-22 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward
     十二月二十七日(月曜日)

 昨日フィリップスと仲直りしたのに他のアフリカ人から5~10パケ買う約束をしてしまった、がすぐ奴の耳に入った。そのせいか今日、奴から届けられたパケはいつもの50%増しでスタッフの質も良い。今、吸ったばかりだが多過ぎたのか胃の辺りに吐き気を感じる。パケを開いてちょっと多いなとは思ったがアミーゴの欲しそうな顔をちらっと見て全部入れてしまった。胃がもつかどうかちょっと心配だ。
 またビリの値段が上がった。この世界も狭くて供給が減るとすぐ値段が上がる。その反面ビリが多量に入ると売人は売り急ぎ値段を下げてくる。手持ちにしたくないのだ。抜き打ちの調査に引っかかるとビリと現金は没収される。その事は次の商売の仕入れ資金を失う事になる。没収した刑務官は現金だけ自分のポケットに入れビリはインド人の売人に売らせる。刑務所内にビリ、タバコを持ち込むのは奴ら刑務官なのだ。頭にターバンを巻いたシーク教徒の刑務官がターバンの中に多量のビリを隠し持ち込もうしてセンターゲート警備のSPに逮捕された、と言う噂話を聞いた事がある。ビリが多量に入ると1本5ルピーまで値が下がる。売人はそれでも捌き切れないと判断すると1パッケージ20本入りを70~80ルピーまで値をさげて様子を見る。買い手も値動きを見てないと損をする。こんな日は必ず値段の下げと上げの時間帯がある。売人はある程度、安売りで捌いて安全な手持ち量になると値段を元に戻す。安い時まとめ買いしたぼく達は考えもせずぷか々と吸いまくってしまった。
   
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ちいさな畑

2013-10-21 | ちいさな畑



今年は芽がでるのに3週間 遅かった 10月1日に種イモを植えた 昨年と同じだ
じゃが芋は連作できない 小さい畑だ もう植える場所が限られて6株だけ 
3株が芽を出している それだけで十分 収穫が楽しみだ



ベランダのプランターに水菜の苗を6株植えているが順調に育っている
昨年は苗を直接畑に植えて6株とも虫(てんとう虫)にやられ全滅した 葉ものは難しい
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血圧を下げるどぉ~~ぅ

2013-10-11 | おやじ・海

夏の血圧値は高かったように思う 早朝、釣竿を持って自転車で湾に行っていた
帰りの自転車こぎはしんどく汗が流れる 風呂場で道具を洗いシャワーだ その後シュポッと
ビールとなる 猛暑で海水温が上昇し湾の魚が浮いた 外海と違って海水の入れ替わりには日数が
必要だ 8月下旬、雷雨となり気温は一気に22-25度となった その後もしとしと雨が降り続く
やる事はない 朝からちびちび焼酎を飲む 九州は何といっても焼酎だ そんな飲み方をして
体に良いことはない 9月に入ると持病の膵臓が痛みだした 即 禁酒 食事は病人食となる
中心はお粥 みそ汁 豆腐 納豆その他牛乳 ヨーグルト 野菜とフルーツだ 
アルコールを抜くと健康的な食生活になる 9月3日 朝150-96 夜136-89 
やはり高い しかし病人食に入って3日目から血圧は下がりだしている
4日  朝      夜     6日              8日
  129-82  136-80  128-82  122-73 128-81  128-75
  126-83  137-76  126-79  118-69 127-79  121-72
1週間禁酒していたが9日からは少量だがちびちびと性懲りもなく晩酌をやりだした
11日  朝     夜     13日             22日
  137-80  116-77  128-78  106-71 126-83  124-75
  125-81  122-75  130-78  105-71 124-76  123-76
この数値をどう判断したら良いのだろうか 昆布水の効果はあると5月頃に書いたと思う



毎日 夕食後昆布水を飲んでいる コーヒーの空き瓶250ccに細く切っただし昆布を12時間
漬けている それだけだ う~ぅ~わぁからぁ~ん 朝からあ~めぇ~・・・   
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ジャンキーの旅        遠い道・・・・・3

2013-10-09 | 4章 遠い道・逃亡

 ベッドの上で横になるともう動けそうにない。こんな事でネパールへ逃げられるのか、不安になった。ふらふらとレストランへ行ってみたがどこも旅行者で一杯だ。年末年始の休暇で旅行者が増えている。ゴールデン・カフェへ行った。日本人旅行者が置いていったインド旅行の本がある。デリーからネパールへ行く陸路の最短ルートを調べてみたがゴラクプール経由スノウリがベストだろう。ゴラクプールまでの距離を計算してみたが、とてもタクシーで行ける距離ではない。夜行の急行列車を使うしか方法はないようだ。調べている間にオーダーしていた料理がテーブルの上に置かれたが、その料理を見ただけでうんざりしてしまった。こんなに量が多かったのか、入院している間に胃が小さくなったのか、食べたいと思っていた料理なのに半分も食べられなかった。身体は痛いし食欲はない、退院はまだ早かったのか、病院へ戻りたくなった。ホテルへ戻ると3~4人の日本人を見た。キーランまで旅行者が流れてきているのか、どうせすぐいなくなるだろう。
 右肩と後頭部それに右目の奥あたりが痛む、痛み止めのパラシタモールという薬を飲んだが効かない。バッグの中に睡眠薬がある今夜、使うつもりだがこれも効かないだろう、病院の薬とは違う。
23時30分、睡眠薬を2錠飲んで横になっている。二ナが泊まっているピクニックGHまで歩いて10分足らず、今からでも行けばスタッフは手に入る。後3日でやるべき事は沢山ある準備はできるのか、最悪の場合は1週間遅らせるしかないだろう。24時45分、身体の痛みは我慢できそうだが、睡眠薬を2錠追加した。普通の睡眠薬では効かない、病院はどんな薬を使っているのだろうか。ドラッグに犯された脳に作用しなければ眠れないのだ。明日はマリーに会いに行く。
 
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ジャンキーの旅        遠い道・・・・・2

2013-10-07 | 4章 遠い道・逃亡

人の流れの間を縫うように歩いていると、前へ進んでいるようには思えない。5㎏くらいしかない中型バッグなのに重い。左右の手を替えて持っていたが、今では両手で抱きかかえるようにして歩いている。やっとキーランGHへ上る階段の前に着いた。もう先へ歩く体力はない、迷うことなくキーランGHの階段を上った。
 1部屋しか空いていないとマネージャーが言うが、他のホテルを探す体力も気力もない。ラジューに荷物を持たせてトイレもシャワーもない暗い部屋の中へ入った。明日は入院前にぼくが泊まっていた部屋が空くらしい、ラジューに5ルピーを握らせてその部屋を絶対に確保するよう命じた。宿帳を持って部屋に入って来たマネージャーに後はよろしく頼むと言いながらぼくは100ルピーを彼の手に握らせた、パスポートを持たない弱い立場だ。彼はそのお金を受け取ると、もう1度右手を出し100ルピー出せと言いやがった。ふざけるなこの野郎、頭にきたぼくが
「何だ、その手は」
「シーツ代だ。分かるだろう」
と奴。そうかブラックアウトして焼いたシーツを隠してぼくは逃げていた。2度とこのホテルへ戻る事はないだろうと思っていたので忘れていた、100ルピーを払った。焼いたベット・マットには気付いていない様子で安心した。
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ジャンキーの旅        遠い道・・・・・1

2013-10-06 | 4章 遠い道・逃亡
 大使館の執務室にはBさんだけが残って仕事をされていた。大使館に預けていた荷物を受取り、Bさんとぼくは支払い等の事務的な作業を始めた。病院への支払いは25日で64000ルピー、1日の入院費用は2500ルピーと思った以上の高額である。ぼくはちょっと嫌味に
「随分と高い入院費用ですね」
「君が使っていた薬物の値段と比較すれば、高くはないでしょう」
と嫌味で切り返された。病院から持ってきた着替えや本をバッグに入れた。袋に入れられた残りのお金をBさんから受取りこれで全ては終った。もう2度とBさんに会う事はない。
「長い間、大変お世話になり有り難うございました」
ぼくは深く頭を下げた。
「無事を祈っています」
顔を上げたぼくの目とBさんの強い視線が合った。
「必ず日本へ帰ります。失礼します」
ぼくは大使館を出てデリー駅へ向かった。何度も何度も有り難うございます、と心の中でぼくは呟いた。
 デリー駅前は大混雑していた。何かあったのか、ぼくはオート力車を駅の手前で降りメインバザールの通りまで歩いた。夕方の最も人出の多い時間帯ではあるが、まともに真直ぐには歩けない。バザール入口のゲートが閉められる事はないのだが、半分閉められ3名の警察官が立っている、スリや盗みの警備だろう。駅前はいつもこんなに混雑していたのだろうか、通りに入ると道がどこまでも続いているように見え、大勢のインド人が忙しく行き来していた。両側の商店も大きく見える、ぼくはいつもスタッフをやってバザールを歩いていた、素面で街を見るのは久し振りだ。
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