ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・8

2014-11-30 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

どうもアフリカンのデブとは上手くいきそうにない、新しく替わってまだ3日だというのに。チャッキするとしたら3房のフィリップスの所か、ここは3名だから一応OKだ。ただ汚い、掃除をしてないのだろう。4房はピーター他2名で1名分の余裕がある。後は8房のランジャンの所も可能性がある、がどこにチャッキしても面白い事はなさそうだ。3房に入ったらスタッフの心配はない、フィリップスと同房だから、ただ他の売人から粉を買う事は出来ない。
 明日も裁判所出頭だからディクソンの衣類はそのまま借りる事にした。
「ノープロブレム」とディクソン。

   1月20日(金曜日)
 疲れた。どうしてぼくの場合、2日連続の出頭になるのか、1日だけでは終らない。今日、何があったかと言えば裁判書類を15枚くらい貰っただけだ。肝心の私物の返還はなかった。大切だと思われる裁判書類が15枚も出されているのに弁護士は来ていない。法廷で30分以上待たされた。その間、刑務官に頼んで知らないインド人からビリをバクシシしてもらって吸っていた。パールガンジ警察署の私服のポリが来ていた。2度目の再会だ。奴がここへ来た理由はぼくの私物の件だろうと思ったので聞いてみたが、その件は知らないと奴は言った。
 次回の出頭日は5日後の1月25日と決まった。弁護士はやはり昨日、来ていた。申請書を法廷に提出していたと書記官が教えてくれた。弁護士が今やろうとしているのは裁判所の権限でぼくの小切手を現金化する事ではないかとぼくには思えてしょうがない。彼はまず弁護費用を確保したいのだ。昨日、弁護士もマリーも来ていた。今日、15枚ものぼくに関する裁判書類が出される事を知らなかったのだろうか。裁判の進行さえ順調に行けばぼくは弁護費用の準備は当然する。今日、受取った書類の内容をぼくは早く知りたいのだ。大使館と東京銀行のゼネラル・マネージャーにぼくが手紙を書かないので弁護士はぼくを通さない別のルートを急ぎ出した。裁判所の審理は進んでいるのだろうか全く分からない。次回の出頭日、1月25日でぼくが逮捕されてちょうど3ヶ月になる。誰もが、裁判が動き出すのは3ヶ月後からだと言う。これからぼくの審理は本格化するのだろう。それにしても昨日、今日と弁護士に会っていない、ここにきて弁護士が不在だと心細い。数多くの依頼人を抱えていてぼく1人に掛かりっきりとはいかないだろう、それは分かる、しかし1月5日に会っただけだ。お金の催促の為に刑務所に来る時間があるのだったら裁判の方をちゃんとやってくれよ。
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・7

2014-11-26 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

「スタッフを入れよ」
「次回、何時間後のスタッフを用意せよ」
その指示を忠実に守った時、ぼくらジャンキー達は何の不安もなく心穏やかに過ごせる。だが一度でもその約束を守らないと厳しい禁断という罰が与えられる。苦しみもがくジャンキーに
「スタッフを入れよ」
という指示が同じく苦しむ擬似脳から連続して出される。スタッフの補給を断たれた擬似脳の中枢は乱れる。禁断に苦しむ擬似脳は肉体を直撃する。体の激しい痛み、下痢、不眠、頭の中を切り裂く電気。耐え切れなくなった肉体はスタッフを手に入れようとする。スタッフの注入は終った。悪夢は去った。
 朝8時頃までに2パケを入れ、ビリをズボンの裾の折り返しに隠して裁判所へ出発した。1本のビリは真中から折れていた。護送車に乗る時インド人は座席を取る為、乗り口で揉み合いぼくもそれに巻き込まれてしまった。留置場に着いてアシアナで知り合ったインド人を見つけ奴にビリを渡す、火がどこにあるのかぼくには分からない、が奴は口から煙を出しながら戻ってきた。ビリを吸っているとインド人が集まってきた。アシアナで一緒だった奴は当然のような顔をしてぼくに近づいて来る。ビリを半分くらい吸って火を点けてくれたインド人にそれを渡し輪から離れた。
 第1刑務所に戻って来たときのチェックは厳しかった。ズボンの折り返しから靴まで徹底的にやられた。ライターの持ち込みを考えていたが無理だろう、精々マッチ棒くらいなら何とかなるかもしれない。マッチを包んだハンカチを手に持って両手を上にあげチェックを受け、終ればハンカチをポケットに入れてしまう。後は靴の調べが終れば中に入れる。見つかれば蹴りとパンチくらいの覚悟は必要だが。午後2時ごろ第5収監区に戻って来た。3時まで施錠されていて房に入ることはできない。大木の台に座って開くのを待っていた。静かだ。暖かい陽が差して鳥の声と木の葉を通り抜ける風の音だけが聞こえた。
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・6

2014-11-21 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 Cバラックの監房とメンバー
1房 エマ、他4名のアフリカン古参
2房 アミーゴ、デブ、ダニエル、ハッサン
それとぼくの5名
3房 フィリップス、キシトー、オマル3名
4房 ピーター、アフリカン他2名
5房 アフリカン5名
6房 ムサカ、カヘル他2名
7房 ダイク、ヂュドウ、チョコマ他1名
8房 ランジャン、カマル、ムスタハン3名
9房、10房は空きでライブラリーの予定。
 旧Cバラックにはスリランカ人6名の他にパキスタン、イラン、アフガニスタン人等を合計すると10名強が残されていた。それを一括して9、10房に入る移転の為の申請をディクソンを中心にして進めようとしていた。明日、ぼくは裁判所出頭日だ。旧Cバラックのディクソンに会いに行きジャンバー、ズボンそれに靴を借りた。皆、集まって来て靴下だセーターだ、それよりこれの方が良いと色んな物を出してくれた。ショッカンはスタッフの禁断から抜けて人の良いスリランカ人になっている、がこの状態がいつまでも続くとはぼくは思っていない。目の淵が黒ずみ嘘と猜疑心に囚われスタッフに振り回される毎日、それを知っていながら又、戻って来る。恐ろしいドラッグだ。
 夜、アミーゴからシルバーペーパーを借りてチェーシングをした。やはり効きが強い、このあとビリで引っ張ると心が揺れるようだ。
アミーゴは時々、インドの裁判について話をする、判決が出るまで長い日数が必要で彼はもう3年になると言っていた。この話を聞いて裁判所に行くのは億劫だが早くここから出る為なら何度でも出頭しよう、だら々と刑務所で過ごしているとその生活に慣れてしまうその事が恐い。刑務所に居ると何かを考えたり自主的に行動する意識を失ってしまう。決められた事だけをやっていれば良いと思うようになる。
 毎日の拘束時間は15時間、狭い鉄格子に囲まれた檻の中で過ごさなければならない。クラスが1時間、水汲み、食事の受取り、食器洗い等で1~2時間、残された時間はただスタッフをやる事しか頭にない。スタッフは脳を変えていく、普通の脳とは別に擬似脳を作り上げてしまう。そして全ての優先権はその擬似脳に集中する。刑務所だろうと塀の外だろうと関係ない、お金の事も同じだ。擬似脳が宿る肉体が死へ進んで行こうがスタッフにとっては何ら意味を持たない。
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・5

2014-11-17 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

   1月18日(水曜日)
第2収監区を出ると左右に延びる一本道がある。この道は見上げるほど高い第1刑務所の外塀に沿っている。右へ進むと右側に女性専用の第1収監区があり、外塀に沿ったその先に第1刑務所センター・ゲートがある。左へ行くと直ぐ第3収監区のゲート、開かずのゲートだ。明らかに他の監房と異なる。高く強固な鉄格子の扉と静かで人の気配がない中庭、右側に1棟の監房があるが人の声はない、24時間施錠の懲戒房だ。その前を通り過ぎると塀に囲まれた1棟だけの小さな第4収監区がある。その監房の塀が途切れた所から左へ入るとゲートがあり、これが今回ぼくらが新しく収容された第5収監区である。ゲートは開いたままで収監者の出入りが多い。
 通路の左側に刑務官詰所、その右先の建物がライブラリーだ。この建物の先に水場がある。水場を出ると目の前にグラウンドが広がっている、幅25m、長さ50mはあるだろう。グランドに入った手前側、幅25mのちょうど真中辺りに巨木がありこの木は2段の円形台座によって囲まれている。下段は直径5mぐらいはあるだろう、その台座の一部に祠がありヒンズー教の神が奉られていた。収監者にとってこの場所は生活の中心になっていた。食事の大鍋はこの台座に置かれ各房の担当者に配給された。台座に上がるときは皆サンダルを脱ぐ、ここは誰もが暗黙に認めた一種の聖地であった。
 グラウンドの左側に建っているのは第4収監区の後ろ塀である。手前に水場があるがここは井戸だけだ。塀に沿った奥にもう1ヶ所水場があるがこことライブラリー横の水場だけに水道が配管されていた。飲み水はこの2ヶ所から給水される。給水時間は朝8時と夕方5時からの各1時間だ。この時間、バケツや水瓶の長い列が出来る、持ち主不在の水瓶は勝手に列から外され、そして何時もの口論となる。この水場の奥がトイレだ。建家はTを右に倒したような形をしていた。大便用トイレは10個、2個分が小便用になっていた。トイレの奥と第3収監区の塀の間が塵捨て場だ。
 グラウンドの右側が収監者の監房である。トイレの前辺りからA、B、Cの順でバラックが一列に並んでいる。A、Bバラックには各5房がありCバラックのみ10房だった。各バラックはそれぞれ独立した建物で高い塀で囲われ出入りはバラック中央のゲートからしか出来ないようになっていた。Aバラックには既決の長期刑者と模範囚が入った。Bバラックは殆ど同じ旧Bバラックの部屋割りとメンバーでスライドしていた。Cバラックは旧AとCの混成を主体として、Bバラックを出た者で部屋割りとメンバーが構成された。
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・4

2014-11-13 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

支払いが遅れている事については事情を知っている筈だし、今回ぼくが捕まった件について彼らに不都合があったという事はなさそうだが。ただぼくがあっちこっちで摘まみ食いするように他の売人からスタッフを買っている事が気に食わないのだ。彼が見てない所で買っているのにどうして彼の耳に入ってしまうのか不思議だ。ちょっと寒かったがテニスコートぐらいのグランドの端にある井戸で身体を洗った、3日振りだろう。明日の天気がどうなるか分からないし、太陽が出ていたから洗う気になった。風が吹き抜けるとブル々と震えがくるがスタッフをやっているので風邪を引くことはないだろう。
 大使館員の面会があった。少し多いが、と言いながらも5000ルピーをぼくに渡してくれた。それと十冊くらいの週刊誌を差し入れしてくれた。ヨーロッパ各国の大使館は最低でも月に一回、面会に来てくれる。お金や生活に必要な物を差し入れる為だ。大使館からみれば不良滞在者で出来るだけ早く刑を終え出て行ってもらいたいと考えているだろう。でも刑務所にいる限り不快だが面倒を見ざるを得ない。ぼくの場合はパールガンジ警察署に逮捕された翌日すぐに大使館員が面会に来てくれた、その翌日も。アシアナでの面会はなかったが第1刑務所に移送されてから面会があった。前回、12月はお金、冬用衣類、下着それに刺激的らしい女性の写真が切り抜かれた週刊誌を差し入れてくれた。
「1月にはまた来ます」
約束を守って今日、面会に来てくれた。デリー中央刑務所でぼくは一人ぼっちだ、でも日本に繋がるぼくの細い糸は切断されていなかった。生きる可能性の糸口の端緒は何処かに残されている。
 




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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・3

2014-11-11 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 ここの外トイレは内からロックが出来る。ノックもしないでドアーを開けるインド人には閉口していた。これからインド人はいない、トイレもそんなに汚れないだろう。引越しが一段落して前のCバラックに行ってみた。ガラーンとして当然だが外国人の姿はない。インド人の間にぽつんとスリランカ人、イラン人等が小さく集まっていた。今迄ぼくのお金を当てにしてインド人に洗濯などをやらせていたがこれから如何なるのか。夜、ショッカンがいくら騒いでも誰も助けてはくれない。15時の開錠後、シックに入ったショッカンはずっとこちらにいた、落ち着きがない。それまでに皆から借り集めたお金だろう、60ルピーを見せながら足りない10ルピーを貸してくれとぼくに頼みに来た。その70ルピーで1パケを買い帰って行った。セガと2人でやるには少な過ぎる、シックは治らないだろう。明朝、奴は駆け込んで来る。

   1月17日(火曜日)
やはり夜は冷える。入口が鉄格子なので毛布で風を通さないようにしているが、冷たい風が隙間から入ってくる。完全に冬の天気だ。朝、10時頃までガスが晴れない。ぼんやりとしたオレンジ色の太陽。夏の切り裂くような太陽と較べて何と弱々しく優しく見えることか。昼前やっとガスと雲が消えて少し暖かい陽が差しだしてきた、それまで冷たい風が吹いていた。小便がしたいのだがトイレが遠くて行く気にならない、内トイレで済ましてしまった。ティーを飲んで9時頃まで寝床でゴロゴロしていた。
 昨日とうとうフィリップスからのパケは回って来なかった。朝、キシトーに会ったが奴はかなり怒っていた。
「お前はデビルだ」
怒った顔でそうぼくに言った。この言葉は二度目だ。4時頃、彼に会ったら少し機嫌が良くなっていた。笑いながら後からで良いから3房に来いとぼくを誘った。
「心配かけてすまない」
「気にするな」
とキシトーは言ってくれたが少し気まずい感じは残った。
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・2

2014-11-06 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 19時頃、最終点検が終った。18時の施錠で人数点検をしているが、もう一度人数の確認をする。外房に全員並ぶという事はないが一応、房内での頭数の確認はする。これが終ると内房の鉄格子ドアーに毛布を掛け外からの冷たい風を防ぐ、と同時に定期的に巡回して来る刑務官から中が見えないようにしてしまう。これからビリやスタッフを吸う事が出来る。ここで吸うのはぼくとアミーゴだけ、考えて見ればこのメンバーで良かったのかもしれない。スリランカ、パキスタン、アフガニスタン、イラン等は一般外国人と区別され今回の移動はなかった。スリランカ人は何だか淋しそうだった。これでやっとスリランカ人と離れられると思っていたが、第2収監区から歩いて2~3分くらいの近さなのでショッカンは殆んどこちらに来ていた。
 何かあったのだろうか粉が回って来ない。ピーターも探し回っていた。ぼくは1パケ買っていたので何とか今夜は凌げる。フィリップスから付けで買ってまだお金を払っていないのだから文句は言えないのだが今日は一日中顔を見なかった。裁判所への出頭日だったのか、とにかく粉が回って来ないのが一番堪える。ワードが替わったら火の事が心配だと思っていたがその通りになった。開錠中は探せばどこかに隠し火がある、問題は施錠された後の火を如何するかだ。他の房でも考えているだろう。今日、買ったパケは最悪だった。湿気が多いのか固まっていた。それを食器プレートの上に置きナイフで小さくカットして鼻に入れてしまった。アミーゴは何も言わなかったが奴はどこで手に入れたのかシルバーペーパーを持っていた。さっきぼくが鼻に入れたスタッフはチェーシング用だったのだ。ここだったらそれが出来る。アミーゴは蝋燭で焙りながらチェーシングをやりだした。ぼくも一回やらしてもらったが変な味でやけに咳き込んだ。奴も咳き込んでいる。良く見るとシルバーペーパーの数ヶ所にピンホールがあった。そこから蝋燭の煙や煤を吸い込んだのだろう気持ちが悪くなった。


11月か・・・朝晩冷えるようになってきた 冬用衣類の用意をしなければ・・・
何故 今なのか カミュの異邦人を読んでいる 何回目だろうか 少し理解が深まっている
ように思える がどうだろうか
「ある日、看守が来て、私がここに来てからもう5ヶ月になるといったときにも、
その言葉は信じたが、よく理解できなかった。私にとっては、絶え間なく、同じ日が独房のなかへ
打ちよせて来・・・・・」とつづく がぼくと重なる訳ではない 気配はおぼろげに見え隠れする
 
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・1

2014-11-03 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

  Delhi Centrsl No1Jail No5Ward
    
   
  
   1月16日(月曜日)
第2収監区の引越し。クラスが終った11時頃、外国人全員を集めて通達があった。以前から度々その話しはあったのだがこんな形であろうとはやはりインド的だ。アミーゴが言っていたように各独房に4~5名が入房した。奥に続く2部屋形式の独房だ。外房の両側はコンクリート、前面と上部は鉄格子だ。広さは6畳くらい。内房に入ると左に1台のベッドがありその奥がトイレと水場が並んであった。天井には扇風機と裸電球がひとつ。奥の壁の上部には通風口がありそこから電線が入っていた。雨が降れば外房は使えないがインドでは雨季以外めったに雨は降らない。4月頃から雨季までの暑い乾季は外房の方が涼しいかもしれない。
 人数合わせだろう他の監房からも誘いがあったが結局アミーゴの誘いに乗った。
デリー中央第1刑務所、第5収監区、Cバラック2房これが新しいアドレスだ。どういう理由からか1つしかないベッドをアフリカンのデブが取った。アミーゴ、ダニエル、ハッサンそれにぼくの4名がフロアーに毛布を敷いて寝る事になった。夕方6時から翌朝6時までの12時間,この狭い場所に5名の収監者が顔を突き合わせて過ごさなければならない。動けるのは6畳くらいの広さの外房だけだ、まるで動物園の檻だ。これだったら前の大部屋の方が良かった、我が儘が言える立場にはないが。
 ここは暫らく使われていなかったのだろう、掃除が大変だった。まだ慣れていないぼくは何をしてもその都度注意をされた。荷物をそんな所に置くな、内房に入る時はサンダルを脱げ、施錠時間以外は外トイレを使え。個人で使う物は夫々が持っている、衣類、歯ブラシ、石鹸、タオル等。房全体で使う生活用品がかなりあることを初めて知った。ぼくは食器もティー・コップも持っていなかった。食事やティーは各個人が受取りに行くのではない房全体で配給される。その為には大きな鍋やプレートが必要だ。特に昼食は3人で受取りに行かなければならない。サブジ用大鍋、ダル・スープ用鍋、ライス用プレート等だ。それを持ち帰って5人で食べるからそれなりの食器が必要だ。食事の時、水を飲むコップがいるし、汲み置きする飲料水用瓶、洗濯や身体を洗う為のバケツも必要だ。初めての全員の夕食、ぼくは何もしていないがそれなりに揃っていた。アミーゴ、デブが用意してくれたのだろうか。アミーゴ、ダニエル、ハッサンとは何とかやって行けそうだが、アフリカンのデブはちょっと煩い。お互い慣れてしまえばなんとかなるかもしれない。どのくらいここに居る事になるのだろうか、あまり長くはいたくない。



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