ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・10

2011-12-29 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録


ムサカ、ムスタハン、アシュラム、フランシス等グリーン・GHの客の90%はアフリカンで占められている。普通の旅行者はあまり近寄らない。何となく危ない雰囲気が漂うドラックの溜まり場だ。アフリカンは気儘で気難しい、だが知り合いになってしまえば楽しい、どんな薬でも用意してくれる。パラが興味本位で何かハード・ドラッグをアユミに飲ませたのかもしれない。刑務所内でドイツ人のピーターが口から涎を流し異常な顔をしているのを見た、
「どうした具合でも悪いのか?」
「タブレットをやった」とピーター。
翌日どうだったと聞いたら奴は疲れた、とだけ答えた。アユミはグラスやチャラス程度と言っているがぼくにはとても信用出来ない。彼女の描いた絵を見たとき彼女はまだ飛んでいたのだから。何かの切っ掛けでドラッグがリアリティーの配線回路に侵入する事がある。ドラッグの飛びが静まり帰路へ向かおうとした時、脳に侵入していた異分子は現実回帰への指標を狂わせる。トリップからの帰り、迷路に彷徨う人間を何人もぼくは見た。アユミのビザは後3日しか残っていないらしい。オーバー・ステイだと何かと問題になりそうだが、大使館とドクターが何等かの手を打つだろう。
 パスポートのないぼくは日本との送金に大使館口座を使わざるを得なかった。それしか送金の方法がない、送金額から足がついてしまった。刑務所の塀の中で動けないぼくの代理として大使館に出入りしていたマリーは、大使館員に度々ぼくの金銭の使用について追求を受けていた。使用金額が多過ぎる。保釈後、大使館に保釈の報告とお礼に行き金庫に保管されていたぼくのお金、インド・ルピーを受け取った。そのお金は小さなダンボール箱に入れる程の量だった。刑務所内で吸った粉代や借金の支払い、新たに買い付けた粉代でお金は消えてしまい、再び日本へ送金を依頼した。大使館へお金を引き取りに行ったぼくは、大使館員の厳しい追及をかわし切れず、すべてを認めてしまった。何という失態だ。その為こんな苦しい思いをさせられている。この状態はたぶん1ヶ月は続くと考えて良いだろう、長い日数が待っている。この病院に入院していることも既に姉には連絡されているだろう。ヘロインで捕まり保釈中またヘロインをやっていたとは、呆れて物も言えないとはこの事か、本当に麻薬は怖い。              
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・9

2011-12-26 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録

12月9日(土) (入院して6日)

 今日の朝は参った。とうとう垂れ流してしまった。不味い朝食に食欲はないが少しでも食べなければ動けなくなる、体重は48kgになっていた。鼻につくバタートーストと生温かい牛乳を口の中で混ぜ柔らかくしては胃に流し込んでいた。食べ終わって十分も経っただろうか、お腹の中がごろごろと盛んに動く、下腹に力がなく危ない感じがした。やばい、肛門を窄め内股で歩いてバスルームへ向かったが下の出口に絞まりがない。歩きながら重いものがルーズなブリーフの下を引っ張る、内股に生温かさを感じてバスルームに駆け込んだ。誰にも気づかれなかった。誰にも見つからなかった。汚物に汚れた尻とブリーフを水で洗った。汚物に汚れたぼくの心は深い傷をいつまでも残すだろう。投げ捨てたトレーナーを着てベッドに戻った。そこに崩れるようにして横になり天井の一点を見詰めるぼくの目は動けない。こんな時、無理をしてはいけない。体力の回復を待とう、時間は十分にある。何度もこんな状況を生き抜いてきた。
 退院したら日本に帰るのか、帰る家もない、自分の本も机もすべて処分し遺言まで書いて出国してきた。本当に日本へ帰るのか。カトマンズにいるスンダルはどうしているのだろうか、ぼくを待ってくれていたとしたらそれには応えなければならない。ヘロインを本当に切れるのか、その事を今はっきりと自分に言ってみろ、正直に粉は絶対吸わないと言い切れるのか。気持ちは定まっていない、退院したらまた粉の世界に戻るのか?
 ニナは二十年間インドでスタッフを吸い続けそして今日も吸って生きている。ぼくの運は下がり続けているのかもしれない。密告による逮捕、11ヶ月の刑務所生活、40万ルピーでの保釈、その保釈中に今度は大使館に捕まり粉を切るために詰らない病院に入れられてしまった。早くここから逃げ出そう、こんな病院なんて何の意味もない。
 アユミは何か薬をやったのだろう、グリーン・GHに泊まっていた。
「パラ、知ってる?」とぼくに聞いた。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・8

2011-12-21 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録

   「デリー中央精神病院・入院記録」・・・6


 12月のデリーの夜は少し冷える。マリーのアパートからこの病院までは随分と遠いところだと思う。11日裁判所に提出するドクターのメディカル・レポートは昨日には用意されていなかったのだ。その為、今日再び受け取りに来てくれた。マリーから新しいニュースが伝えられた。上手くいけば退院後、ぼくは帰国出来るかもしれない。大使館と弁護士が裁判所に働きかけ、ぼくの審理を終了させ帰国させる可能性を捜していると彼女は言った。どちらが良いのか、裁判が終了せず保釈の状態が長引きインドから出国が出来なければ、またスタッフをやり始める。メインバザールに留まれば絶対にスタッフは切れない。しかし帰国してぼくはどう生きていけば良いのか。何がどう狂ってしまったのか、これから先どう生きていけば良いのか何も分からない。
 入院前、ぼくはランジャンと注射器を買いに行った。ホテルに戻ったぼくは高濃度のスタッフ液を作り注射針を腕に刺した。今回も又失敗してしまった、どじな野郎だ。生きる事が何故こんなにも辛いのか、自分で走ったのがドラッグの世界だった。ドラックが新しい何かを生み出す可能性があるかもしれないと思った。しかしドラッグの世界は何も生み出す事などない、ぼくに残されたものは深い心の傷だけだった。
 大使館員のCさんが面会に来てくれた。ぼくが逮捕、連行された翌日、パールガンジ警察署に突然面会に来てくれた2人の日本人の内の1人がCさんだった。インド服を着てヒンディー語を堪能に話す女性をぼくはインド人だと思っていた。保釈後、何度か大使館で顔を合わせ相談に乗ってもらった事もある。インド滞在は長いだろうと思っていたが今日、聞いたら十六年になるそうだ。とても素晴らしい方だ。薬物中毒者のぼくに
「苦しいでしょうけど頑張ってください。まず健康が第一です。それを得ることができれば状況に対する正しい認識と理解力が生まれてくると思います」
種々のドラッグとヘロインを求めインド、ネパール、タイを旅して四年が過ぎていた。逮捕されアシアナで治療を受けていた50日間を除いて、デリー中央刑務所内でさえスタッフを吸い続けていた。元、妻だった女性から離婚請求があった時の条件に、ぼくの銀行口座に残されている預金の全ての所有について関与しない、と言うことだった。日本ではなくここインドではドラッグを含めた年間生活費用100万円は十分過ぎる。十五年間ヘロインをやり続けられる保証を得た事にぼくは満足した。心身共にぼろぼろになっていた。              
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・7

2011-12-19 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録

   「デリー中央精神病院・入院記録」・・・5

12月8日(金) (入院して5日)

 症状は全く良くならない。治療のやり方に疑問がある。肛門の出口を防いでいた硬い便が出てしまうと昨夜から下痢が始まった。薬を飲んでいるのだが、続く下痢と涙や鼻水が止らない。頭から首と手の震えには困る、それは禁断に伴う症状である事は分かっている。症状が回復するには日数が必要だという事も体験的に知っている。しかし今まで何度もスタッフを断ったことがあるがこんなにきつい思いをしたのは初めてだ。今日は少し楽になると思っていたが昨日と全く同じだ。こんな状態が1週間も続けば首を吊りたくもなるだろう。刑務所内で首を吊ったボブは運が良かったのか悪かったのか助かった。ニューデリーにある高裁パテラハウスで彼に会った。ぼくの手を強く握り締めた彼の目は「生きていて良かった」とぼくに語った。スタッフを断って5日目になると症状の変化が出てくる頃なのだが全く良くならない。座っているのさえきつい、横になっても楽ではない。良い病院があるからと言う、大使館の言葉を信用してやって来たのだが本当に失敗だった。何とか早くこの病院から逃げ出したい。昨日はちよっと粉の欲求が薄れたように思えたが、今日は粉を欲しがっている。頭の中を電気が走る、鋭い電気だ。食欲はない。無理して食べても直ぐ下痢でトイレへ直行だ。体調は最悪の状態にある。こうしてノートを書いている事さえ辛い。
 午後、マリーの面会。マリーは大使館に寄ったのだろう、日本の姉からの手紙を持ってきてくれた。彼女を日本の大学に留学させる為のギャランティーの依頼だったが、それは出来ないという厳しい姉の返事であった。その後の文面は裁判の進行についての気遣いが窺われた。手紙を読んでいたぼくはマリーの視線を感じていた。読み終わったぼくは一度、窓の外を見た。そして、
「ギャランティーの件は駄目だった」
「気にしないで」
旅先で交わす言葉だけの約束の軽さ、誰もまともに信用してはいない。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・6

2011-12-16 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録

   「デリー中央精神病院・入院記録」・・・5 

ぼくのベットの前にある椅子に、マリーが座ると周りをシスター達が取り囲んだ。マリーが面会に来ても、絶対に2人だけにはしてくれないだろう。
「どうして?マリーと2人だけの話があるのに」
ドラッグ中毒のジャパニーと、ガールフレンドはアフリカ女。シスター達の目は警戒と不快感を露わにし、面会時間が終わるまで彼女達は立ち合った。ぼくは目でスタッフを持って来たかと、マリーに問うがとぼけているのか知らん顔で、下着や厚手の靴下等をベッドの上に置いた。それらはシスターによる不信物チェックは既に済んでいたのだろう。
 毎週月曜日10~11時の間にオールドデリーにあるティスハザール裁判所へぼくは出頭しなければならない。だが今、ぼくはそれが出来ない。大使館とドクターそれにマリーが話し合って決めたのだろう、ぼくの代わりにドクターが用意するメディカル・レポートを持ってマリーは裁判所へ出頭する。辛い仕事だ。
「今日より明日、次に来る時にはトミーはもっと良くなっているわよ」
ぼくの手を握ってマリーは帰って行った。
病状は良くない。下半身の衰え、身体の震えが止まらない。
 
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・5

2011-12-12 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
   「デリー中央精神病院・入院記録」・・・4   

 大使館の良い病院があるから入院して治療しなさいという言葉にぼくは同意した。ここはどういう病院なのかぼくは知らないが、薬物治療専門のアシアナとは異なっているように思える。アシアナでは入院した翌日から処方薬の効果は明らかだった。禁断特有の下痢と涙や鼻水などの症状は出なかったし、脳内を切り裂くような電気も感じなかった。辛かったのは夜、眠ろうとすると疼きだす身体の痛みと、退院するまでの50日間続いた不眠だった。この病院に入院してまだ4日目で、どんな薬を使っているのか分からない。禁断特有の症状は続いているが、昨夜は眠れたような気がしている。もし本当に夜、眠れるのであれば日中に感じる禁断症状は我慢できる。いつ終るともしれない、不眠の恐怖の夜から解放されるのであれば。
 マリーが面会に来てくれた。ぼくはマリーのアパートを出て、メインバザールのホテルに住むようになってからも、彼女とは時々会っていた。しかし今回、ぼくが入院する件について、彼女は正確な事は何も知らなかったはずだ。マリーはどうしてこの病院が分かったのだろうか?入院するとは彼女に言ったかもしれないないが、どこの病院であるかはぼく自身でさえ知らなかった。大使館の車でここへ来たのだが、今でもこの病院の名前もデリーのどこにあるのかぼくは知らない。マリーは大使館に寄って、病院の場所を聞いてきたのだろうか。ぼくは毎週月曜日に裁判所への出頭命令が出されている。それが出来ない場合は、ドクターのメディカル・レポートを裁判所へ提出しなければならないそうだが、その件についてマリーがぼくに教えてくれた。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・4

2011-12-09 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
  「デリー中央精神病院・入院記録」・・・4
  
   12月7日(木)(入院して4日)
昨日から1日3回、毎食後8錠の錠剤とカプセルを飲んでいる。それに夜は睡眠薬が加えられる。痛み止めが入っているようだ身体の痛みは感じない、が心身ともに衰弱し切って動けない。禁断に入るといつもの事だが食欲は全くなく下痢が続く。何故だか今回は便秘になっている。便は肛門口まで出ている。指を肛門の中に入れると硬い物に当たる。多分それが硬くなった便のようだ。下腹部の筋力が弱っているのだ、力むのだが押し出せない。いつも煙草を吸って用を足していた。ビリを吸えば出そうな気がして、介護士に頼んだが断られた。
「ここは刑務所じゃない、ビリくらい出せよ」
と文句を言ったが、奴は英語が分からないのか知らん顔、多分ドクターから煙草やビリを吸わせないように指示が出ているのだ。最後の手段だ、肛門の回りを指で押し出すようにマッサージをしていたら、やっと頭が出始めた。息苦しくなるくらい肛門の回りを力んでいると、石のように硬い便がごろんと落ちた。その後は少し楽に太くて長いのが続いて出た。肛門の回りが切れたのだろう、指を当てると赤い血が指についた。疲れた、でも大分楽になった。
 入院したのは誤りだったのだろうか、自分自身では切れなかったからなのだが。毎日、ベッドで寝ているだけで煙草はだめ、食事はインド食だけ。苦しいのは同じだけど、外だったら規制はないし自由に動き回る事が出来る。病院には沢山の薬があって、スタッフを切るのに少し楽をする、と思っていたのだが甘くはないようだ。
 過ぎてしまったから言えるのだろうか、アシアナでの治療生活を思い出し、アシアナの施設や治療方が、この病院より良かったように思える。それは多くの同じ薬物中毒者達と生活を共にした、懐かしさからくるのかもしれない。デリー中央第四刑務所内にアシアナ・ホスピタルがある。デリー刑務所に収監された薬物中毒者を収容し治療と更生を目的とした医療監房である。ちょうど去年の今頃、ぼくはそこでヘロイン中毒の治療を受けていた。ニューデリーのメインバザールにある安宿ウパハル・ゲストハウスに2人の警察官が踏み込み、ヘロイン120g所持の現行犯としてぼくは逮捕された。パールガンジ警察署で2日間の取調べの後ぼくはデリー中央第一刑務所に収監された。翌朝、禁断の苦しさから監房内の鉄格子にロープを架けぼくは自殺を計ったがインド人に発見されアシアナに緊急移送された。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・3

2011-12-07 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
   「デリー中央精神病院・入院記録」・・・3

 ベッドで横になろうとしていると、シスターが新しいシーツを持って病室に入って来た。街の安ホテルとは違う、やはり病院だ。彼女は新しいシーツをテーブルの上に置き、使ったシーツを持って病室から出て行ってしまった。普通だったら使ったシーツはその辺りに置いて、まずベットメーキングをして患者が早く横になれるようにすると思うのだが、待っているが中々シスターは戻って来ない。それでもやっとベッドメーキングが終り、ぼくがベッドに上がると今度は枕カバーの交換を始めた。まあインドにはインドなりのやり方がある。さっき患者を毛布で包んで運んだのだから、今この病室には毛布がない。彼女は分かっているのだろうか。暖房設備などない病院だ、12月は少し冷える。やっと毛布が揃ってぼくはベッドの上で横になった。
 前の部屋より狭くなったようだが窓があり少し明るい。暗い病室は気が滅入る。ぼくはベッドに横たわり時を失うように時間が早く過ぎ去る事だけを考えていた。5日が過ぎ1週間、10日が過ぎて、薬物禁断から回復している自分を知る事が出来る。処方薬を飲んだのは朝の1回だけで薬の効果はまだ分からない。禁断になると何故だか涙や鼻水が頻繁に出始める。風邪のような肌寒さと微熱が続き、頭を動かすと脳内に青白い電気が稲妻のように奔る。窓を見ていた。寝返りを打って壁を見る。壁を見ているとぼくは時を失う。
壁には染みや線と濃淡の影がある。それらは色々な画像をぼくに見せてくれる。ぼくは気ままに絵を描く、飽きると新しいイメージを求めて視線を移動させる。元の場所へ目を向けるがそこにはもう同じ絵は見えない。
 人が歩くサンダルの音がして、誰かがぼくの病室に入って来た。
「ねえ、この絵、見て」
ノートの1ページにカラーペンで描かれた絵を持って入って来たのはアユミだった。ノートの右上と左下だけに小さく描かれた絵
「この上の絵と、下の絵はねぇ~」説明を続けるアユミ
「ふぅん、この絵と絵の間は白いけど何も描かないの?」
「白い部分には描けないの。上と下の絵は繋がっているんだから」
絵を描いたら見せるとぼくに約束してアユミは戻って行った。
彼女の絵はドラッグの深みからリアリティーに帰着できずにいる心象を現しているようにぼくには思えた。スタッフを断って3日目
「分離したリアリティ」をさ迷っているぼくはそんな彼女の不可解な絵を一緒に考え話し合うことが出来た。
 
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・2

2011-12-04 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
   「デリー中央精神病院・入院記録」・・・2

 24時間の介護士がついていた。これは介護もあるがぼくから煙草やライターそしてお金まで取り上げ、まだ何か隠し持ってないか監視を続けた。面会人が変な物を差入れしないか、禁断の苦しさから自殺でもしないかと煩くぼくに纏わりついた。トイレに入ってもドアーを押さえて閉めさせないで外で見張っていた。頭にきたぼくは
「出る物も出ねぇだろう、馬鹿野郎」
と日本語で怒鳴ると、ドアを押さえた手を放し、今度は横へ回り鉄格子の窓から覗いていやがる。嫌味な野郎だ。
 昨日で必要な検査は終り結果が出たのだろう、今日の朝からシスターが薬と水を持ってきてくれた。1日中ベッドの上で横になっている。何もする事はないし何も出来ない。1時間の禁断の耐え難い苦しみが24時間続く。その1日々を過ぎ去った日数としてカウントしていくしか、禁断から抜け出す方法はない。スタッフを断って今日で3日目、72時間。スタッフを入れないぼくに対して、スタッフによって作られた擬似脳はぼくの肉体を攻撃し続ける。スタッフを断たなければならないぼくの状況と病院からの薬が
「スタッフをすぐ入れよ」
という擬似脳の欲求を弱めているのか、スタッフへの強い欲望は抑えられている。
「トミー起きて、別の病室へ替わるから」
とシスターがぼくを呼びに来た。ベッドに起き上がるのでさえ辛くて面倒臭いのに、と思いながらぼくはのろのろとベッドから下りた。シスターの後ろについて新しく替わる病室に入ると、ベッドの上には毛布を頭から被って寝ている患者がいる。シスターが毛布の上から患者を揺すり起こそうとするのだが、患者は壁側に逃げて起きようとしない。ぼくは少しでも早くベッドで横になりたいのだが、仕方なく傍にあった椅子に座り込んだ。応援のシスターが来た。患者を毛布ごと包み込み運び出すようだ。足をバタバタさせて抵抗する患者の顔が毛布の間からちらっと見えた。日本人の若い女性か?それが日本人女性アユミとの出会いだった。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・1

2011-12-03 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
   「デリー中央精神病院・入院記録」・・・1

デリー中央精神病院。シスターに聞いたら入院して今日で3日目だと言う。その間、曖昧なぼんやりとした映像の記憶がある。シスターが無理矢理ぼくの口に食べ物を入れようとしている。首を左右に振ってそれから逃れているぼく、口の周りから白い牛乳が流れ落ちた。
「これを飲んで、食べなきゃ駄目でしょう」 「少しだけ、これだけ食べて、そしたら終わりにする」
「だめ、食べられない、吐くから」
彼女は一生懸命ぼくに食事を摂らせようとしていた。
 奴らは何をするつもりのか、着替えさせたトレーナーを脱がせようとしている。ぼくはベッドの上を転がって逃げようとしたが、ベッドを囲んだシスター達に捕まり裸にされた。そして奴らは最後にはぼくのブリーフを剥ぎ取った。皮と突き出た骨だらけの痩せこけた身体、そのみすぼらしい身体が禁断からくる熱と寒さに震えた。膝を折り曲げ細い腕でまるめた身体を抱きしめ
「寒いよー、毛布をくれ。何で裸にするんだよ」
髯もじゃの大男がぼくの尻を掴み指をぐいと肛門に突き入れ、ぐりぐりと中で動かした。
「ヒィー、やめろよ。痛い、痛いよ」
シスターや病院で働く奴らが珍しいものを見てくすくすと笑ってやがる。
「助けてくれ、何も持っちゃいないよ」
65㎏あった体重は48㎏になっていた。
 毎日、決まった時間になるとティーや食事がテーブルの上に用意され、インド人の彫りの深い美しいシスターが様子を見にくる。
「トミー、具合はどう」
食事に手をつけてないと
「食べないと身体に良くないわ。少しだけでも食べて」
と食べさせようとする。1日目も2日目もいろんな検査をしたようだ。頭から足先まで電気コードの先端を貼りつけ何やら調べていた。だがその間、1度も薬をくれなかった。禁断に苦しむぼくは、睡眠薬や痛み止めをくれと何度もシスターに頼んだ。身体は動かないが声だけは出る、ぼくは怒り叫び続けた。そんなぼくにシスター達は
「はいはい、すぐあげますからね」と言うだけだった。
 
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