ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

マナリ        ヒッピーたちの聖地・・・8

2017-02-23 | 70年代のマナリ


山岳の若者ヨーグラッジ

彼が住んでいるブルワ村までたったの6Kmだ、一緒に来いと言われぼくはその気になった。歩いても歩き続けても村には着かない、足が痛くなって休む。そこには丁度いいあんばいに、あまり綺麗とはいえないが食堂があった、バハン村だ。中へ入るとさっき一緒に歩いていたチベット人がいる、一足先に戻っていたのだ。ここは彼の食堂であった、すぐチベットティーをご馳走してくれた。
もうこれ以上歩いて行けない、明日ここで会おうと約束をして彼と別れた。1トラー15ルピーでチャラス5トラを彼が持って来る予定だ、そんなこんなでブルワ村へは行かなくて済んだ。彼は山の方を指して「あそこに温泉がある」と言う、行ってみたいが明日にした。
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チェンライ        桃源郷とは・・・2

2017-02-14 | チェンライ・ミャンマー国境



メーコク・ビラ 2階の休息場はぼくの部屋のすぐ隣にあったが泊り客はいないのかいつも静かだった。
川沿いのすえたような悪臭がするゴミ捨て場に入ってココナツの殻を拾い持ち帰った。陽の当る窓辺にはシャワールームで水洗いをしたココナツが数個、乾かすために並べてある。
サンドペーパーで削ると表面の模様に変化が現れる、それを磨いた。磨き続けるココナツにぼくは同化していく。
「分離したリアリティー」とは何なのか、リアリティーの相互を歩く。
脳はリアリティーが支配しているというのは本当なのだろうか、そこから分岐し形成される擬似脳もリアリティーを支配しようとする。
桃源郷という言葉の内容を感じる、チェンライから雲南省のことをそう言うらしい。
その風に吹かれてぼくは生きた。出発の日が近づいてきた。

タイの旅はこれで終る。

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チェンライ       桃源郷とは・・・

2017-02-11 | チェンライ・ミャンマー国境

GTOで場所を確かめると地図を指してこの辺りだろうと言う。探し歩いて陽が落ちる頃やっとフルーツ・ゲストハウスに辿り着いた。
小さな川を左に見ながら雑木沿いの道を上流へ向かっているとその間から灯りがちら々と見え、御用の方はお入り下さい、とでもいう風に雑木が途切れていた。上の目立たない看板にはフルーツ・ゲストハウスとあるので間違いない。チェンライで安全にドラッグを入手できる場所の情報はバンコックで得ていた。
中へ入ると突き当たりの小屋がメインハウスなのだろう、開いたままのドアの奥にカウンターが見える。左を向くと丸テーブルが3台あり、そのひとつのテーブルに欧米人だろう数人が座っていた。そこが中庭のようになっているのだろう、バンガローが囲むように雑木の間に不規則に建っている。
カウンターの前に立ち声を掛けると男が出てきた。バックパックは持っていない、泊り客でないのは直ぐに分かったのだろう、外で待ってくれと言って彼は中に入った。川沿いの木の下で値段を確かめる。スタッフ1ボトル600、ガンジャ1パケ100バーツ、当日プライスの変更がありえる、翌日渡しだ。タイでは売り手が強い、確かめるだけで交渉はない、OKした。

強い冬型の気圧配置が3日間続いている 雪と北風で部屋に缶詰め状態になっている
明日は一応 釣り具を持って湾へ行ってみる
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保釈・・・21      最後の日 

2017-02-07 | 5章 デリー中央刑務所  保釈

 大きな木の台座に座ってぼんやりと考えていた。数時間後、ぼくはここから去っていく。ぼくが夕方、リリースされる事を知っている者は近寄って来て祝福をしてくれた。1994年10月24日に逮捕されてから今日1995年9月23日までちょうど11ヶ月、デリー中央刑務所に収監された。ここに入った事を後悔はしていない、ここでしか得られない多くの出来事や出会いがあった。
 昼の施錠時間に荷物の整理をした。大切な3冊のノートと少しの衣類だけをビニール袋に纏めて入れた。残ったトレーナーやセーター等の衣類はこれから必要になる収監者たちへ、3時の開錠時間にそれを残る彼等に分けてあげた。
 夕方6時の施錠前、グラウンドでウオーキングをしていた。バナナ畑は大きくなった数本のバナナの木を残して少し荒れていた。木は高くなっているが幹が細い、花は咲かないだろう。鉄格子を打つガーン、ガーンという金属音がした。施錠を知らせる合図の音だ。薄暗くなりかけたグラウンドから収監者達が夫々のバラックへ向かってのろのろと歩いて行く、もう彼らに会う事はないだろう。ぼくのCバラック3房の鉄格子がロックされた。
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マナリ        ヒッピーたちの聖地・・・7

2017-02-02 | 70年代のマナリ


バハン村 チベット人の食堂

橋を渡ってマナリ・レーハイウエイ(工事中)を歩いていると1人のチベット人と一緒になる
馴れ馴れしく話しかけてくる彼の顔を見ると人の好さそうなチベット人だった。ブッダガヤで日本人に会ったらしく懐かしそうに話す。ブッダガヤではぼくもチベタンテントに泊まったことがある。周りはテントで囲まれベッドが置いてある、旅人はそこで寝泊まりし中庭の食堂でチベタン料理を食べる、話しが弾んだ。そこへインド人の若者が来て3人並んで歩き始める、別に目的があって北へ歩いている訳ではない。マナリへ来たぼくの目的は良質なマナリチャラスを手に入れることだ、それとなくインド人にチャラスを持っているか、と聞いてみると5トラぐらいはあると言う、これで決まりだ。彼の村へ行くことにした。

おいちゃんの禁酒は続いとるばい おかしかぁ~
・・・・・うぅ~呑みたかぁ~~・・・・・
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