ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

コ・パンガン・・・9   旅と病・・3

2015-11-06 | コ・パンガン


(photo by M Sakai) 

原因はガンジャだったのだ。イーストのジャンキーもあのクリニックの世話になったのだろう。名医の診断は正しかった、それでよかった。ガンジャかよ~肝炎でなくてよかった。傷が治るまで数日かかるだろうけど、もう何も心配することはない。
夕方、Sさんが予定より早く来た。歯の治療の最終日は8日後なのでその間ここで過ごすらしい。ぼくは喉と体力の回復に専念する。ガンジャは駄目、今のぼくにはLSDは危険だ、粉を少し分けてもらった。スニッフだから喉に影響はないだろう。
夜、レストランへ行くと3日後のチケットの予約が取れたとフロントの女性が知らせてくれた。コ・パンガンに来て11日目の夜が過ぎようとしていた。
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コ・パンガン・・・8   旅と病・・2

2015-11-05 | コ・パンガン

ベッドで震えながら考える、そうしなければ回復への道は開かれない。バンコックで買った粉を切る薬を飲む、もうそれしか残っていない。
朝、少し熱が下がった、38度。歩きは幾分しっかりとし空腹感もある、レストランへ行きバタートースト2枚とブラックティーが美味しかった。
高熱を発して4日目の朝、38度から熱が下がらない。肝炎なのか?医療が受けられるバンコクへ戻るべきだろう。ビーチハウスへ行き夜行列車の寝台予約を頼んだ。浜辺に沿った小道を休みながらイーストビーチへ向かう。
ドラッグの三大聖地のひとつと言われたカトマンズ、今その面影はない。ぼくのこれからの旅は不確かではあるがここでLSDを手に入れておかなければならない。ジャンキーの旅はドラッグとの出会いである、それは自分に合った物でなければならない。
ジミーは戻っていたが粉はない、大量のLSDは入荷してない、手持ちは全部で4錠だという。しけてるョ、4錠買った。
その帰りクリニックに念のため寄ってみた。ドクターは肝臓もどの臓器も悪くない、喉がひどく化膿しそこから発熱しているという。血液検査もしないでそんな診断ができるのかぁ~お~ぅ このへぼドクターめぇ~
薬を処方してぼくに渡すときドクターは「喉だよ のど、分かるだろう・・・」と言った。
昼と夜、その薬を2回飲むとあれだけ下がらなかった熱が下がりだした。
「のどだよ のど・・・」そうか、やっとドクターが言った意味が分かった。
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コ・パンガン・・・7   旅と病・・1

2015-11-04 | コ・パンガン

今は耳だよ耳。片方の耳の聞こえが良くない。スピーカーからの音は分かれて反響し何処からでも聞えるから気にならないけど、クリニックへ行く事にした。ドクターはぼくの耳を診て道具がないのでここでは治療は出来ない、床屋へ行って取り出してもらいなさい、と親切に言ってくれた。タイの床屋さんは耳の掃除も受け持っていたのか、ちょっと怖い気もするな~ 2~3日前床屋へ行った時、顔を剃ってくれたおばさんは3カ所も切ってちょっと血が出た。不安だョ 耳の中へ入れる液状の薬を50バーツで買った。穴の中へ入れて軟らかくしてから出そうという計画だが、上手くいくのかどうか。
ボ~と海を見ていると何が何だか分からなくなってしまう。ぼくは今、何をしょうとしているのか、何もしていないんじゃないかと・・・
毎日ベッドの上から、テラスからボ~と海を見ている。

二日間、死んでいた。その前夜から熱が急激に上昇し原因不明の高熱は39度になった。38度は抗生物質を使う限界線だ。出国する前、友人が3種類の抗生物質を用意してくれていた。2日間でその内の2種類を14錠も使った、が下がるかと思わせた熱は再び39度へ上昇した。もう何が何だか分からない、あらゆるものが原因であり、どう対応したら良いのか判断できない。
夢だったのだろうか、子供の頃、熱を出して寝ているぼくに冷たいタオルをおでこに乗せてくれた母、そうだ熱のある身体を冷やさなければならない。ふら々と共用のシャワー室へ行き震えを我慢して裸になる。シャワーの蛇口を回す、水が頭から身体へ流れた時・理科の実験室に置いてあった不気味な人体の全身骨のすべてが電気のスイッチを入れられたかのように暴れ踊った。 ふぅ~ん アホかぁ~
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コ・パンガン・・・6   読書 と L

2015-11-03 | コ・パンガン

読書は午前中、小さいんだけどうるさい蚊。昼食前にジョイント半分、これだけで十分だ。これ以上やるとベッドから動けなくなる。キックするよ、タイのガンジャは。ボブマーレーはガンジャしかやらないと言うがビデオの画像を見ると彼の目は飛んでいる。モロッコにもすごいものがあるとモロッコ人のオマールから聞いたことがある。2時LSDを食った。前回はLの後ガンジャに引っぱり回されたような気がしている。今回はLの流れでピークまで乗ってみる。蜂のイラストはポカラで会ったジャンキーから聞いていた、ゴルビーより弱いのかもしれない。
合わせが難しいL、気分屋だ。自然のマッシュムームじゃあるまいしLを飲んで3時間、ジョイントで誘いをかけてみたりしていたが煙草のせーラムで引っ張りだした。今は心地よい波に乗っかっている。2日前のあの体験は厳しかった。あの地点から先に進む勇気があるかどうかだろう、信念みたいなものか、その先を知ってみたいという欲望はある。しかしあの恐怖はストップをかける、怖いョ、半端な怖さじゃないョ、今は行きたくない、帰れないと思ったもん・・・。
そういえば日本はそろ々冬本番か、季節がどうなっているのかわかんないョ、11月末のカトマンズは初冬を思わせた。そのまま冬にならないのが旅、夏に戻ってしまった。
ここでの生活も1週間が過ぎて少し慣れてきた。今「虹の理論」中沢新一著を読んでいる。難解な文章だ。Ⅱバリの呪術師についての記述は興味を持たせる。ドラッグとシャーマン、シャーマンとドラッグ。鶏と卵の話しをしても結論はでない??エ 結論があるの??
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コ・パンガン・・・5  リアリティーへの回帰

2015-11-02 | コ・パンガン

 

バンガローに戻りウッドデッキに座って海を見ていた。3時間が経過し神経と脳の疲れを感じた。太陽の光から逃れ薄暗いバンガローの中に入りベッドに横たわる。その時どこまでも深く広がり続ける光の渦を見た。目の前に様々な色が無数の輝く光線となって流れる、ぼくは帰り道を求めていた。分からない、どの流れに乗れば見慣れた風景に戻れるのか。
「その中の一本に乗れ、一本だけだ。お前に分かるか」分からない、教えてくれ。
「お前はコントロールできない世界へ入った。Lの空間を超えた領域へ・・・」リアリティーへ帰りたい。
パシパトナートで手に入れたセブンムキのルドラクシャは中心にあり、右にシバ、左にシャクティを従えている。その首には血が滴る数個の頭部の飾りを下げていた。右手に三重に巻いた数珠、身体中からあらゆる不純物が今にも爆発的に流れそうだった。ぼくの仏陀を見た。何度も内臓を搾り出すような吐気がきた。帰れないかもしれない、苦しみの中ぼんやりと思った。自分自身を信じろ、強く信じろ。悶えながら伸ばした手が何かに触った。流れる光の中に小さな四角い窓がある、それを顔に近づける、鏡だ。恐怖に歪んだ自分の顔を確かめるように見た。鏡の中のぼくは平然としてぼくを見ている。ぼくには帰る力があると知った。心身の緊張がゆるやかに抜けていった。
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コ・パンガン・・・4  L・・の空間

2015-10-30 | コ・パンガン

翌朝イーストビーチへ買物に行く、島の地図はフロントで貰ってある。昨日ボートで寄ったハドリンビーチの方へ向かって歩いていると、小さい島だが迫り出した中央の山に塞がれる。道は山あいに沿って右へ曲る。抜けると小さな湾が広がっていた。山肌までバンガローが立ち並ぶ。湾の端にわらぶきのような建物がある、目的のレストランだ。中は広い、昼食前の時間帯なのだろうか静かだった。カウンターへ行きジミーはいるかと聞くがバンコクへ行って不在だと言う。また出直すか、帰ろうとすると奥から他の奴が出てきた。Lsd-200B、ガンジャ1袋100Bだ、ゴルビーはもうない。どんなLsdか分からない、効き方を知るため2枚としガンジャ1袋計500Bで買う。その場で水を貰い1枚食べた。
イーストビーチへ行く途中ちょっと開けた場所に商店などがあるのに気づいていた。帰りそこで蚊取線香、ろうそく等の日用品を買う。本来ぼくは方向音痴なのだ。小さい島、車などないから交差点はない、複雑な路地もないのに道に迷ってしまった。うろ々しているうちにLが効きはじめた。やっと山あいを抜ける。目の前にビーチが広がり1軒だけ流行りそうにないレストラン、と言うよりコールド・ドリンクショップがあるのは知っていたし、Lを食べた帰りに立ち寄るつもりだった。
浜辺に置かれた丸いテーブルと椅子、そのひとつに座って海を見ていた。高い椰子の木の葉が風に揺れ真っ白い砂浜にライトブルーの薄い波が寄せる。コーラーを飲みながら飛びはじめたぼく自身を感じていた。創られた音は自然の奏でる世界を決して超えることはないと知った。白いヘロイン色の砂を手にとって何故だか微笑んでしまう。そこは間違いなく楽園だった。今まで体験したことのない世界に意識は流れるように空ろだ、嗚呼、このまま死んでもいいと思った。ぼくは自然に同化していく。椰子の木にハンモックを吊って宙に揺られているぼくが見えてきた。ふっと笑う。
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コ・パンガン・・・3     バンコク~コ・パンガン

2015-10-13 | コ・パンガン

移動はやっぱり疲れる。バスはリクライニングで楽だったしタイ人の手順もいい、インドとは大変な違いだ、がそれでも疲れた。
カオサンを出発したのは夕方6時頃、途中で食事しスラターニ着は翌朝5時30分、フェリーは8時発、コ・サムイ着11時、コ・パンガンには12時頃着いた。時間も正確だしすべてスピーディーだった。フェリーの中には有料だがACルームもあった。
ポカラで会ったジャンキーから教えてもらったライト・ハウスへ向かう。港で乗り合い船に乗りハドリンビーチへ、そこから先は小舟をチャーターした。ブルーサファイヤの海面は太陽の光を吸収し放出していた。島の突端の小さな山の斜面に少し大きなビーチハウスがありその周りにバンガローが点々とある。近くの船着場で降り歩く。何もかも小気味よく進行する、ぼくにとってはその事が有り難い。疲れているとき理解できない時間待ちは神経を逆なでする。
一軒のバンガローにやっと落ち着いた。綺麗とは全く言えない、蚊も多そうだ。あるのは静けさとその中に囁くような波の音だけ・・・
初日の感じとしては1ヶ月もいることは無理なように思われる。とにかく虫が(蚊、南京虫、ヒル、のみ全部体験済み)嫌いだから。ここでSさんと会う約束なのだが辛い待ちになるのかもしれない。
日中の暑さからは想像できなかったが夜は蚊帳の中に入っても涼しかった。夜中は少し肌寒いとまではいかないが薄いシーツを掛けバリウムを飲んで快適に眠った。夜だけでも涼しく眠れるようであれば長居は可能だし、それはひとつの救いであった。
普段、必要な物はビーチハウス内のレストランとフロントを兼ねた売店で用が足りる。ビーチ内であればタバコ、ミネラルウオーター等を買ってもその都度、現金で支払う必要はない、最後に清算すれば良い。食事はちょっと高いが部屋代が50Bと安い、50B×6=300円×30日=9000円  エ~~そんなもんでいけるのかぁ~のんびり楽ができるかもしれない?
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コ・パンガン・・・2     パッポンで買い物

2015-10-12 | コ・パンガン

二日酔いみたいに身体が重い。みたいじゃなくて久し振りにアルコールを飲んだ。タイ・ビール、ウイスキーなど、二日酔いだったのだ。ドラッグの二日酔いには慣れていたけどアルコールの酔いの引き方はちょっと違う。冬へ向かうカトマンズから暑いバンコクへの移動による体の調整がきつい。疲れも溜まっていることだから無理をしないことだ。カオサンに行って明日のコ・パンガン行きバスの予約をした。バス、船代全部で240バーツ。ついでに1ドルの海賊テープをまた買ってしまった。よい部屋に落ち着く事ができれば1ヶ月ぐらい動かないかもしれない。本と音は必要だ、のんびりしたいよ。
昼食後また下痢になる。そんな事より買いましたぁ、なにじゃないょ~薬だよ薬。
昼飯を食っていると、ここ空いてますかと変な日本人が話しかけてきた。他のテーブルは幾らでも空いている、がどうぞと言って相手の顔を見た。バイブレーションというやつなのだろう、合いそうだ、Sさん。彼はもっぱらタイを中心に旅をしている。おもしろい薬が買える店を知っているという、夕方、2人で出かけることにした。
派手なネオン街のパッポン、路地に入って目的の店へ。バリウム30錠(100B)×2、アンフェタミン(スピード)12錠×5シート、Capthagon粉切りに使う、その他、何かないか迷っていると可愛い女性店員がにっこり微笑んでアンフェタより強いのがあるョ~ときた。1錠(95B)×5コだけ買った。
何とかブツは揃った、Lsdとガンジャはコ・パンガンで手に入る。
北京飯店でビールを飲み食事をして別れた。明日ぼくは夜行バスで出発する。
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コ・パンガン・・・1   カトマンズ~バンコクへ

2015-10-10 | コ・パンガン

何故だか昨夜、無事に飛ぶ事を祈った。いつもはそんなことはしない。
早朝、空港に着くと様子が違う。ある筈の飛行機がないのである。えらい一日の始まりだった。ドバイと香港へ飛んでいるRNAの二機が帰ってきてない、どないなってんのかぁ~~うぅ~   会社の車でニューロードのRNAオフィスへ移動する。ネパール美人の説明だからそれぞれにおとなしい、が今日中に飛ぶのかはっきりしない。ドバイからでは出発しましたと言われても困る。10時頃になってやっと午後4時には出発できる目途がついたのだろう、2時にチェックインしてくれとなった。
何時に出発したのか定かではないがタイ時間で8時頃着いた。時差と飛行時間を考えればネパール時間では6時過ぎだろう、がとにかく着くには着いた、そんなもんだ。
定宿ホテルJulyに着いたのは9時過ぎ、早速、前の屋台へ直行。ビールを飲んでエビ、貝、イカを焼いて貰って食す。久し振りや、誰が何と言おうと美味しかった。ビール2本、ウイスキー小瓶、全部で(二名分)350バーツ、散財した。屋台は12時過ぎまでやっていてフラ々で部屋へ戻る。何が何だか分からないうちに眠りに落ちる。暑さは我慢できるが出費の足は速い。


カトマンズ フリークストリート ぼくの定宿ウパハル・ゲストハウス
毎夜 遊びにきていたナイジェリア人のイサ 年が明けてバンコクから帰ってきた
どこに消えたのかデリー・メインバザールでも会うことはなかった
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