ミヤンマー国境に近い村に立ち寄った。タイ人達の会話は普通であったがケシ畑の話をすると村人の顔から愛想笑いが消えた。ケシ畑は知っているが保証は出来ないと言う、シンジケートが警戒しているのだろう、危険だ、メーホンソンへ引返すことにした。
ホテルの裏山を30分程登ると山寺がありメーホンソンの町が一望できる
小さな町だ、道は山並みを越えた向こう、ミャンマーへ続いているのだろう。
この道は白骨街道と言われているのを寺で聞いた。
インパール作戦は1944年3月開始された。太平洋南方戦線ではアメリカの強力な軍事力によって主力艦隊は撃沈された。前線基地へ民間の徴用船により食料、軍事物資の輸送を行うが爆撃と魚雷で狙い撃ちされ前線基地は孤立してしまう。既に日本軍は制空、制海権を失っていた、それはビルマでも同じような戦況であった。英印軍、アメリカの支援を受けた中国軍の攻撃が始まった。食料、軍備の補給がない日本軍に撤収命令がだされた。インパール作戦で戦死した兵は16万人と言われている。部隊の集結地はラングーン、他の部隊が撤退し集結するのはチェンマイだという。ビルマの山岳を超えて尚チェンマイへの遠い敗退の道のりが残されていた。食料、医薬品もない、飢餓とマラリア等の病に多くの兵が倒れた、その道に1万8千の兵の屍があった。(wikipedia 帰国された方の文章を参考にした)
お寺に供養の寄進をするとタイ人のお坊さんはとても長いお経をあげてくれた。
記帳があり開くと多くの日本名の記入がある、遺族の方だろうか、どのような思いでこの寺をお参りされたのだろうか・・・ぼくに分からない。
ぼくはチェンマイへ戻りチェンライからミヤンマーとの国境、北東部の町メーサイへ行く予定だが・・・