Dさんは何故これほどまで親切にしてくれるのだろうか、ぼくは在インド日本大使館員Bさんの事を考えていた。ぼくの逃亡を知っているBさんが最後の別れの時「ご無事で・・・」と言ってくれた。運良く国境を抜けカトマンズに辿り着き大使館を訪ねたら日本へ帰らしてやろう、Bさんはそう考えておられたのではないだろうか。Bさんは立場上ぼくの逃亡を支援することは出来ない。何らかの方法でDさんにその意図を伝えられた、とぼくは考えた。薬物に溺れそこから這い出せないぼくに闇から抜け陽の下で生きよ。ぼくは多くの方達に助けられた。
大使館が開くのは朝9時30分からだ。Dさんは書類をぼくに渡しながら
「これでもビザが取れなかったらすぐ連絡して下さい」と言われた。
2日間通った事務室の管理官はぼくが提出した書類に目を通すとビザ申請書に簡単にスタンプを押しサインをした。
「表のビザ申請受付けカウンターで手続きをしてくれ」そう言って申請書を戻してくれた。
それを持ってぼく達は表のビザ申請カウンターに行きトラベル・ドキュメントと一緒に提出した。ネパールのビザ代は高い、1週間で18・75ドルだ。20ドル札を払うとぼくのトラベル・ドキュメントの受取書とお釣りがカウンターに置かれた。これでぼくのビザ申請書はここ出入国管理事務所で受理された。今日の午後3時から4時の間にここへ来て受取書と交換にビザのスタンプが押されたトラベル・ドキュメントがぼくに戻される。全身から力が抜けていく自分を感じた。
「トミー、やっとビザがとれたね」
ありがとうスンダル、ぼくは彼の手を握り締めた。
後 30枚ぐらいだろうか 「終わり」を記入するまで