山口県周防大島物語

山口県周防大島を中心とした「今昔物語」を発信します。
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屋代川が涸れなくなった。

2022年07月22日 06時56分58秒 | 周防大島今昔物語
これも今は昔、周防大島最大の河川である屋代川は毎年夏になると、大正橋近辺で
水が涸れるのは風物詩でもありました。上流の屋代橋までは細くの流れ、大正橋から
下流の片山橋手前で伏流水がまた表の顔を出します。

よって涸れるのは数百メートルです。

涸れる直前から子供たちはワクワクしました。鮎やドンバイ、鯉、鮒、鰻が掴み取り
状態になるからです。早いもの勝ちでした。ドンバイや鯉、鮒は食べないので
あまり価値はありませんが、鮎も鰻は美味しい。
特に鰻は田やタンポにいるものは泥臭いが、川の鰻は臭みが無いので最高でした。

【タンボは田ですが、タンポは田に水をやる溜池です。藩政時代は「堤」と云います】

上流にダムが出来たから屋代川は涸れることは無くなりましたが、川草が生い茂り
川床が1M上がりましたので、大雨の時はその分、洪水の危険は高まりました。

子供が少なくなりましたので川遊びや、魚を獲る姿も見られなくなりました。

かっては片山地区の盆の精霊送りも、近くの弘法堂の卒塔婆を集め、近くの大工さんが
舟を作り、お供え物を満載して、あの世の御帰りになりご先祖様を大正橋の涸れた
川で火をつけて送っていました。

等覚院の和尚様の読経されるなか、すべての家から見送りしましたが、
その光景も無くなりました。

まだ、鮎は上がってきます。

ある時、おっさんが屋代川でコソゴソしているので、今の町長がたまたま通りかかり
「あんた何しよるんね?」と聞けば、鮎を採取しているとのこと、釣り師の風体でない
おっさんは「この川の鮎のDNAは万葉時代からのものを継承しているので研究している」
とのこと。このおっさん、どこかの大学の教授であったそうな。

そうか万葉から続くのか。

万葉時代は旧屋代小学校あたりが屋代川の河口であったのだから、鮎も代々
時分の川を子供たちに教えて1500年以上、屋代川を母川としてくれていたの
ですね。

大島に帰らない、また、帰れない人達のために、徒然なるままに・・・


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