山口県周防大島物語

山口県周防大島を中心とした「今昔物語」を発信します。
(興味のある話題のカテゴリーを古い順に見て下さい。)

魚も釣れない

2022年07月22日 07時01分16秒 | 周防大島今昔物語
今は昔、大島郡のどこでも魚は釣れました。

「イリコ」の原料の小鰯は情島周辺を主な漁場としていましたが、大島郡周辺
ではどこでも取れました。

素人が晩のオカズに居る程度の小魚はどこでも釣れました。

誰でも釣れるのが磯釣り、少し大物を狙うのが波止釣り、大物を狙うのが、沖釣り
でした。沖釣りは勿論、舟が必要です。

海の底が、砂場か、砂と海藻の交じり場か、岩場かにより、魚種が代わりますし
釣るテクニックも変わります。

また、浅瀬か深瀬かで魚種と釣り具、餌、テクニックが変ります。

現在のルアーとか撒き餌漁法とか、はありませんでした。

磯釣りは竿で、船釣りは手釣りでした。

潮目は一番大切で、大潮、小潮、などは漁用のカレンダーを見て、行く場所と
餌を変えていました。

何故か、大雨が降って潮が濁っている河口はプランクトンが流れてくるのか
いつもと違い色んな魚種が釣れるのも不思議でした。

我が家には舟がないので、小学生時代は同級生の漁師の子の同級生に、親が出漁中に
残っている伝馬船を勝手にだして沖釣りを楽しんでいましたが、親に見つかり
しばきまくられ(叩かれる)ました。しかし中学生になったら、餌(小エビ)と
燃料の重油を持参すれば発動船(エンジン付)を貸してくれました。

伝馬船は手漕ぎですから、半径500M程度の沖にしか行けませんがエンジン付きなら
10K程度はOKでした。ただ、玄人漁民の漁場に入ると、子供は漁協に追い出されました。

平郡沖は最高の漁場でしたが、行くのも釣るのも大変でした。
もっとも中学一年生程度釣りでは多寡がしれてます。
重油は開作のアポロ石油(出光興産給油所)を3L程度しか買えませんので
遠出はできませんでした。餌の生き海老は志佐で買いました。
全部で150円以内にしないと、小遣いが赤字となりますので、必死でした。

高校時代は沖浦の同級生の家に小舟があったのでいつもおねだりして行っていました。
この友人は会計の仕事を東京でしていましたが、年なので故郷に帰り悠々自適です。
「暇なのだから釣り舟買って、私と遊んで!」と懇願していますが、船舶免許が要るだの
係船の港の許可を取るのに漁協と交渉するのが面倒などとして「アッカンベー」状態です。
暇つぶしに現在、周防大島町の会計監査をしていますが、そんなの辞めて釣り舟の大将に
なって欲しいと願っていますが。もう身体が動かないかも。はあ~

大学進学で東京へ行ってからは釣りはできなくなりました。

近頃帰ると全く釣れないとのこと。

いつも行っていた鮮魚店はすべて閉店しました。

現在地物が要る場合は、大畠の橋のたもとのセンターでの短時間の売り屋か、
大畠の柳井側と岩国側の鮮魚店しかありません。

これらは地物で物はよいですが、値段も素晴らしい。

リーズナブルの値段で買おうとすれば、室津の道の駅までいかねばなりませんが、
朝早くいかないと昼過ぎは残り物になります。ここの蛸はいい!
「いもゆう」はいませんかと問えば「そんもん、もうとれん」とのこと。
「いもゆう(ハゼ)」のセゴシは旨いが作れない。

この道の駅で弁当を万引きして、光に向かう途中で逮捕されたのが、一時ニュース
を賑やかにした、大島の道の駅でわらじを脱いでいた人ですね。

ともあれ今の大島周辺は魚が釣れない。

水温が1.5度上がったのが原因とされます。
今は千葉県房総沖にも熱帯魚が沢山います。
そのうち福島県沖にも現れるでしょう。

余談ですが、魚釣りが好きな人は「短気」な人が多いとされます。
短気な人ほど「あと一分待てば釣れる」と延々辛抱強く糸をたれます。
気の長い人は釣れないとすぐ飽きて、だらだら話をし始めたり、飲食を始めます。

釣は麻雀と同じく個人の性格が分かりますね(笑)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿