9月のある朝、陽はまだビルなどに隠れた早朝。
樹上に射す陽の光は秋の気配だった。
ふと目を留めると、昨夜の男たちが集い、談笑していた場所がいつも変らぬ様にゴミが放置されていた。
毎日のことではあるが、時には腹立たしくなる。
夕暮れになると毎日のように、男たちが三々五々6,7人集まってきて飲みながら談笑を始める。
ジュースかお茶かお酒かはわからない。
特段、騒ぐわけでもなく、大声をあげるわけでもない。
9時ごろにはいつの間にかいなくなる。
一日の仕事の疲れや憂さを晴らしているのだろうとほほえましくみていた。
ところが、ある時、空き缶や料理の皿や袋などが大きなビニール袋に入れられて、写真のように置き去りにされているのに気がついた。
袋に入りきらないのか、袋や空き缶、タバコの吸殻などがテーブルの上、足元、階段とところ構わず散乱しているのである。
最近、これらのゴミが朝にはきれいに片付けられている。
どうしたのだろうと不思議に思っていたら、偶然、この日にゴミ拾いをしている婦人をみつけた。
早朝、六時過ぎのことだ
最初、公園を管理する人だと思っていた。
数日後、この人の正体がわかった。
最近、この公園の広場で6時半頃から、5,6人集まってラジオ体操をするご婦人たちがいる。
その中のひとりだった。
ゴミ集めを終えた婦人が作業衣を脱いで、金網にかけると体操着姿に変った。
声をかけ、写真もという衝動に駆られたがやめた。
10時ごろになると公園の様子が一変する。
近くの幼稚園児達だろう、賑やかな声が響き渡る。
ひと月に何度かこの光景に出くわす。
わたしが一番寛ぎを覚える時だ。
昼ごろにはサラリーマンや作業着姿の若者たちが、ここで弁当を食べたり、おしゃべりしたり、ひとり物思いに耽ったりしている。
昼食を食べ終えてうとうとしていたら、空気を破り、激しく泣き叫ぶ幼児の声がして飛び出てみた。
階段のところで、2歳くらいの女の児が若い母親の両足にすがって泣いている。
どうしたのだろうと心配しながらみていたが、母親はじっとわが子をみつめたまま声も出さず無言で立っているだけだ。
泣き叫ぶ女の児のするがままにしていたが、やおら女の児からそっとはなれて行ってしまった。
取り残された女の児は、なお激しく泣き始めたが、母親は女の児の見えるところのブロックに腰掛けて、黙ったままでいる。
やがて女の児は泣き疲れたのか、覚束ない足取りで母親の近くに寄っていった。
しかし。すぐには駆け寄らず、この位置で立ったまま、あちこち見回している。
「おかあさん、いって抱き上げてやりなさいよ」
思わず、胸の内で叫んでいた。
随分、長い間女の児はそうしていたが、やがてよちよちとお尻をふりながら歩き始め、座っている母親の両膝に倒れこむようにすがっていった。
若い母親は、女の児を抱き上げると抱きしめるようにして、静かに去って行った。
おかあさんは何と声をかけたのだろう。ここまでは聞こえない。
安堵したと同時にほのぼのとした気分にもなった。
母子とはこうした強い絆に結ばれているんだと熱くなった。
学校の下校時間が過ぎると子供たちの遊び場になる。
弾ける元気な声が懐かしい。
野球をしたり、サッカーに興じている。
こぼれたボールを拾って投げ返すと
「ありがとうございま~す!」
と清々しい。
夕暮れまでには一時だ。
仕事に疲れた男たちが「ゆんたく(談笑)」しに戻ってくるだろう。
せめて、後片付けとゴミを持ち帰ってくれとを願うばかりだ。
彼等は、朝早くからゴミを集めている人や、ここでひととき安らぎを得ている貴方たちと同じ思いの人や、無邪気に遊ぶ子供たちがいることを知らないのだろうか。
60歳を過ぎているだろうと思われる男もいるのに。
「ひとの振り見て、我が振り直せ」母の言葉を噛みしめた。
樹上に射す陽の光は秋の気配だった。
ふと目を留めると、昨夜の男たちが集い、談笑していた場所がいつも変らぬ様にゴミが放置されていた。
毎日のことではあるが、時には腹立たしくなる。
夕暮れになると毎日のように、男たちが三々五々6,7人集まってきて飲みながら談笑を始める。
ジュースかお茶かお酒かはわからない。
特段、騒ぐわけでもなく、大声をあげるわけでもない。
9時ごろにはいつの間にかいなくなる。
一日の仕事の疲れや憂さを晴らしているのだろうとほほえましくみていた。
ところが、ある時、空き缶や料理の皿や袋などが大きなビニール袋に入れられて、写真のように置き去りにされているのに気がついた。
袋に入りきらないのか、袋や空き缶、タバコの吸殻などがテーブルの上、足元、階段とところ構わず散乱しているのである。
最近、これらのゴミが朝にはきれいに片付けられている。
どうしたのだろうと不思議に思っていたら、偶然、この日にゴミ拾いをしている婦人をみつけた。
早朝、六時過ぎのことだ
最初、公園を管理する人だと思っていた。
数日後、この人の正体がわかった。
最近、この公園の広場で6時半頃から、5,6人集まってラジオ体操をするご婦人たちがいる。
その中のひとりだった。
ゴミ集めを終えた婦人が作業衣を脱いで、金網にかけると体操着姿に変った。
声をかけ、写真もという衝動に駆られたがやめた。
10時ごろになると公園の様子が一変する。
近くの幼稚園児達だろう、賑やかな声が響き渡る。
ひと月に何度かこの光景に出くわす。
わたしが一番寛ぎを覚える時だ。
昼ごろにはサラリーマンや作業着姿の若者たちが、ここで弁当を食べたり、おしゃべりしたり、ひとり物思いに耽ったりしている。
昼食を食べ終えてうとうとしていたら、空気を破り、激しく泣き叫ぶ幼児の声がして飛び出てみた。
階段のところで、2歳くらいの女の児が若い母親の両足にすがって泣いている。
どうしたのだろうと心配しながらみていたが、母親はじっとわが子をみつめたまま声も出さず無言で立っているだけだ。
泣き叫ぶ女の児のするがままにしていたが、やおら女の児からそっとはなれて行ってしまった。
取り残された女の児は、なお激しく泣き始めたが、母親は女の児の見えるところのブロックに腰掛けて、黙ったままでいる。
やがて女の児は泣き疲れたのか、覚束ない足取りで母親の近くに寄っていった。
しかし。すぐには駆け寄らず、この位置で立ったまま、あちこち見回している。
「おかあさん、いって抱き上げてやりなさいよ」
思わず、胸の内で叫んでいた。
随分、長い間女の児はそうしていたが、やがてよちよちとお尻をふりながら歩き始め、座っている母親の両膝に倒れこむようにすがっていった。
若い母親は、女の児を抱き上げると抱きしめるようにして、静かに去って行った。
おかあさんは何と声をかけたのだろう。ここまでは聞こえない。
安堵したと同時にほのぼのとした気分にもなった。
母子とはこうした強い絆に結ばれているんだと熱くなった。
学校の下校時間が過ぎると子供たちの遊び場になる。
弾ける元気な声が懐かしい。
野球をしたり、サッカーに興じている。
こぼれたボールを拾って投げ返すと
「ありがとうございま~す!」
と清々しい。
夕暮れまでには一時だ。
仕事に疲れた男たちが「ゆんたく(談笑)」しに戻ってくるだろう。
せめて、後片付けとゴミを持ち帰ってくれとを願うばかりだ。
彼等は、朝早くからゴミを集めている人や、ここでひととき安らぎを得ている貴方たちと同じ思いの人や、無邪気に遊ぶ子供たちがいることを知らないのだろうか。
60歳を過ぎているだろうと思われる男もいるのに。
「ひとの振り見て、我が振り直せ」母の言葉を噛みしめた。