大森インプラントクリニック松元教貢歯科医院腫れ痛みなく早く、骨不足でも骨ができて直ぐに歯が入る幸せのブログ

松元教貢歯科医院は骨が不足で骨造りしても腫れ痛みのとても少なく早く治せる方法をしてる即時荷重インプラントパイオニアです。

漸くインプラントは即時荷重を部分的欠損にもやる時代に!

2016年07月01日 | 日々のインプラント臨床の話

部分的欠損にも抜歯即時植立即時荷重の時代が、漸く本格的に来ようとしてますね。

とても嬉しいです!


即時荷重インプラント成功させる為に、強トルク得ることばかり邁進するのも危険でしょうね・・・

2016年07月01日 | 世界のインプラント情報の話

私は即時荷重インプラント、抜歯と同時のインプラント植立の治療をし続けて16年になります。

国内では最も古株でしょう。


でも、年齢的には55歳なので、中堅からベテランの移行期位で、即時荷重とかして来ている中では大ベテラン、になると思います。


そんな中で、最近即時荷重がかなりやられ出しているようですが、非常に危険な感じがして仕方がないです。


皆、海外のデータを元にして成功率とか成功するもの、と患者さんい説明しているようです。

しかし、、その元データが海外の本場でも次々と書き換えられていることをチャンと説明しているDRは皆無なんじゃないでしょうか?


本当のことを書きます。

海外の学会のデータでは、10年前のデータが書き換えられて、ある即時負荷の治し方はトラブル発生率が毎年3%程度で、その坂道が止まることがない、と分かって来ています。


つまり、3年経てばほぼ15%、10年経つとなんと30%、と累積データで出てしまっているんです。


通常のインプラント治療では、最初の3年で3%弱のトラブル、失敗が発生して、その後は殆ど納まって10年後でも96%位成功し続ける、と分かっている中、ある即時負荷の治し方は全く違うんです。


そんなので即時荷重、即時負荷を語って欲しくない、と私は強く思います。


そして、今日の本題ですが、即時荷重に最近目覚めてやたら強トルク得る、80Nとかを出す為に太いインプラントを多用する即時荷重の仕方は危ない、と申し上げます。


今は良いでしょう。


しかし、強トルク掛けられた表側の骨は、長い時間の中で喪失して行くことが予測されます。


しかも、人類は年を取ると、必ずサイズダウンして行きます。

つまり、外側から痩せて行く、と言うことです。


となると?

そうです、必ず外側にインプラントの粗い表面が出て来てしまってそのに炎症が発生する、と言うことを経験させられるでしょう。


失礼な言い方すれば、今しか見ていない、時系列的な考え方が出来ていない、そう言うインプラント治療は危険です。


特に花瓶の様な形態しているインプラント、中ほどが一番膨らんでいる形状のモノは危険でしょう。


更に言えば、骨への食い込みを重視して、ネジの深い、深過ぎるインプラントも危険です。


その理由は上と同じです。


即時荷重インプラント治療は、患者さんに直ぐに歯を入れて差し上げられる、と言う利点が強いので、その魅力に駆られて強トルクを得ることに走る方が今後増えるでしょうが、非常に危険だよ、と私は予言します。


個人的感想ですが、やはりストローマンテッシュレベルの様な形態で、35~60N程度にする方が安全だと推奨します。


ストローマンテッシュレベルスタンダードインプラントだと、時に100N超える強トルク出して植立しても、個人的には問題出したことは殆どないですが、それはストローマンテッシュレベルスタンダードからだろう、と最近は確信しています。


ネジが密で、羽が深い、更には壺のような形で、更にボーンレベルでは危ないだろう、と明言し予言します。


さあ、誰が正しくて誰が間違えてしまったか、皆さんよく読んで覚えて置いて下さいね。


勿論私は当てる自信があるから明言してるんです。


安心安全安楽な即時荷重インプラント治療を、私は誰よりも知っていますし、知恵を持っています。


16年以上1000に及ぼうとする経験から、誰よりも知っているとお約束します。


写真の症例は、私が抜歯即時植立即時荷重インプラント治療した実例で9年以上の長期症例です。

こう言う実例平気で出せるインプラント医って意外にいないんですよ・・・



と言うことで、直ぐに歯が欲しいインプラント治療をお考えの患者さんは、ご相談にお越し下さい。




健康保険制度保険証を悪用する輩がいるんです!1枚の保険証で複数の外人が受診する犯罪行為が!

2016年07月01日 | 患者さんの知らないンプラント業界の話

昨日書いたことですが、同時に複数の歯科医院を受診し並行して治療を受けることは出来ない、と書きました。


実は、これ非常に重要なことで、犯罪の防止にもなるからなんです。


これはうちで起きた実例ですが、チャイナの方が受診しました。

虫歯の治療でした。


そして、暫くして又同じ保険証でチャイナの人が虫歯の治療に来ました。

しかし、その時私は変だな?違う人じゃない?と凄く違和感を感じました。


でも、確実ではなかったので、変だなー違う人じゃないのかなー?と言う感じで治療しました。


それから又、暫くして同じ保険証で受診希望でチャイナの人が来ました。

その時には、明らかにこちらも用心していて違う、別人だ、と分かったので、貴方この保険証誰のですか?貴方は誰なんですか?こう言うことするのは犯罪だからね、詐欺だから警察に突き出すよ、と言いました。


そうしたら、驚いたような顔をして引き返して行ってしまいました。


こう言うことが、狡い今回はチャイナの人達でしたが、行われることがあるんです。


それを予防する為にも、我々の方でちゃんとした色々なこと知っていて予防しなければならないんです。


元々日本の歯科治療費は安いと言うのが国際的な中では知られていました。

その上保険証を出せば7割引きで治療を受けられる、と言う風にしか海外の狡い輩は思ってないし、それを利用してやろう、悪用してやろうとしか思ってないんです。

そう言う輩が受診すれば、そこに使われるのが皆さんが払っている健康保険料なんです。


つまり、日本人の真面目な方々が納めた保険料が、ずる賢い外人に悪用されてしまう、そう言うことが起こっているんです。


なので、やはり保険証には写真を入れ、受診記録等が医療機関では読めるようにするべきでしょう。


オンラインで直ぐに調べられる時代になっているんですから、それを活用しないのは勿体無いです。


ずる賢い輩が得するような抜け穴は埋めるべきです。


我々も方でも、そう言うことがあるんだと知って、失礼にならないように配慮しながら、これはあなたの保険証か?他に行っていないか?は確かめるべきでしょう。


歯科医の先生方は、皆さん真面目で実直な方々ですから、そう言う詐欺犯罪行為に巻き込まれて、いきなり取調べとか監査とかが入ったら、本当に馬鹿馬鹿しいです。


しかし、ずる賢い外人達が1枚の保険証で、複数の歯科医院で受診したら、疑われるのは歯科医側です。


非保険者側を取り締まる、キチンとさせるのは、個人個人の倫理観に掛かっているんです。

そこが全然平気な、例えば今回の例はチャイナの人でしたが、そう言う自分の利益しか考えない、美味しい汁を吸うことばかりしようとする輩には全く通じないんです。


真面目で誠実な歯科医側ばかりが損をさせられることがないようにするには、やはり啓蒙活動、ちゃんと知ること、だと思います。


やはり、勉強すること、なんですね。





6月30日(木)のつぶやき

2016年07月01日 | Weblog

低侵襲手術を伝授された忘れられない空、2003年のAAPサンフランシスコからの帰国便 生涯の思い出

2016年07月01日 | 日々のインプラント臨床の話

いつもいつも私にとって胸が熱くなる、心から感謝の思いが溢れて来る思いに包まれるのが、2003年のサンフランシスコでのAAPのあった9月の旅の空です。


恩師ラム先生から、1週間個人レクチャーをしていただいたAAP開催前の1週間。


長年の憧れの人ラム先生。


2000年のホノルルで開催されたAAP、ラストスピーカーがラム先生でした。


その直前のレクチャラーが、当時頂点を極めていたH.サローマ先生。


で、ラム先生に変わった途端、多分半分以上の聴衆がラム先生が講演している前を横切って出て行きました。


日本人の参加者も殆どの方が、無名のラム先生の話しには興味を示さず、AAPも終わった、さあ観光だ、と言う感じで出て行ってしまいました。


でも、私は少しでも色んな先生の話が聴きたい、せっかくハワイまで来たのだから、少しでも吸収したい、とその場に留まり聞き入っていました。


正直その時、日本人の先生方は、私を横目で見て、又彼奴はと言う顔をして出て行ってしまっていました。


そしてそこで初めて見せ付けられた、即時荷重インプラント治療の数々。


凄い内容でした。


何故なら、ラム先生しかそう言うレクチャーして下さる方がいなかったからです。


私は凄いモノ見せて貰った、と心から感動し、どうしたらそんな凄いことが出来るようになるんだろう、と講演が終わって壇上から降りた先生の元に質問をしたくて近寄りました。

それはそれは凄い人だかりで、40~50人はいたのではないでしょうか?


その輪の中に入り、私はネイティブ達のやり取りに必死で聞き耳を立て、ラム先生の説明を聞き漏らすまい、と頑張りました。


そして、段々と人が減り、やっと質問が出来る順番が来て、拙い英語で何とか知りたいことを質問しました。


そこで得た答えが、私の生涯の宝物、になりました。


最後の最期までラム先生を取り巻き、聞き入っていた参加者が8名ほどだったでしょうか。


勿論、私もその一人の中に頑張って入っていました。


ラム先生は、ニコニコしながら、もう皆質問はないか?大丈夫か?と一人一人の眼を見て聴いて下さいました。


そこにいる皆は一様に感動して、うんうんと頷いて返事をしていました。


そうしたら、ラム先生はおもむろにスーツの内ポケットに手を入れて、ビジネスカード(名刺)を取り出し、一人一人に直接手渡しして下さったのです。

そして、何時でも私の所に来て良いよ、来てくれたら、幾らでも教えるよ、と信じられないような言葉を掛けて下さったのです。


本当に嬉しかった。

何処の馬の骨とも分からない、東洋の果てから来た訳の分からなそうなこんな私にすら、とても親切に教えようとして下さる。


いただいたビジネスカードは、私にとって最高の宝物、になりました。


そこに書いてあったのが、カルフォルニア、サンフランシスコらしいと言うこと。

そうか、サンフランシスコの先生なんだ、と深く記憶に留めました。


そして、帰国。

その直後から、巡り合せとしか言えないような患者さん方が来て下さって、私自身が即時荷重インプラント治療、それも多数歯部分欠損遊離端、と言う常識はずれなモノからでした。


でも、私の胸の中には、ラム先生はもっと凄いことしているに違いない、もっともっと知りたい、どうしたら出来るようになるのか学びたい、と言う思いが強くありました。


当時、いや今も尚かも知れませんが、日本では即時荷重それも部分欠損へのインプラント治療は禁忌、とされていましたので、それはそれは逆風で誹謗中傷、嘘吐きと陰口叩かれ捲る日々でした。

それでも、尚、私の胸の奥にはあの優しい凄い実力者のラム先生が目標として燦然と輝いていました。


当時国内ではたった一人、熊本の故添島義和先生だけが、自分の信じた道を行け、それで良い、どんどん行きなさい、と言って下さってくれました。

添島先生の存在も、唯一の心の拠り所で、やっと自分を支えながら、自分だけの臨床を見詰め、患者さんに一所懸命に対峙し、禁忌と言われる部分即時荷重を成功させ続け、症例を重ね続けて行きました。


そうして2003年。

自分なりに部分即時荷重インプラントがかなりしっかりとした手応えで大丈夫だ、と思えるようになれていて、ラム先生に追い付けたかな?と秘かに自負出来るまでになっていました。


サンフランシスコでAAPがある、と言う情報を聴き、私は猛然とラム先生の元に学びに行きたい、と思うようになりました。

当時、うちの勤務医は海外留学経験者の女性の先生で、ネイティブ並みに喋れる、と言う人でした。


S先生と呼びましょう。


S先生を一緒に連れて行けば、通訳して貰える、と思ってお願いして、ラム先生に宝物のビジネスカード一枚を頼りに連絡を取って教えて欲しい、とお願いしたのです。

すると、ラム先生はセミナーしたばかりだよ、次は来年だよ、と言っていたのですが、このS先生持ち前の交渉力を活かして、何と我々の為にAAPの前に1週間来た等クリニック毎日見学して良いよ、個人レクチャーしてやるよ、と言っていただけたのです。


天にも昇る気持ち、と言うのはあの時の気持ち、でしょうか。


やった、凄い!!!行こう!即決でした。


医院を半分以上院長がいない状態にしてしまう、と言う問題、当時オペの右腕だったやはり女性のN先生に頼み込んで留守番して貰う、と決めて断行しました。

S先生、N先生、留守番守ってくれたスタッフには、本当に感謝感謝、でした。


有り得ないチャンスを掴む。


ラム先生がくれたチャンスを、私は迷わず取りに行きました。


今思い出しても、あの時の自分を私自身で褒めてやりたいです。


部分即時荷重に関しては相当の症例をこなし、かなりの凄い症例も数々モノにして渡米、ラム先生との比較、本当の世界の最先端を見せて貰える、自信と期待が自分の胸の中でないまぜになって、何とも言えない深い思いを抱かされました。


そして、訪れたラム先生の元。

私は自分が井の中の蛙であることを、電撃に打たれたように悟らされました。

まさにハンマーで頭を殴られたかのような衝撃でした。


それが、私の今の根幹を為している低侵襲手術による即時荷重インプラント治療の数々だったのです。


何しろ、傷口の大きさが違う。

当時の私は当然、従来通りの手術をしていましたから、歯茎を大きく切って骨から剥がして、インプラント植立すると言うことをしてたんです。


しかし、ラム先生のやり方は殆ど切らない。

独特の切開、歯茎の扱い方をして、インプラントを植立するし、そのまま綺麗に仮歯も入れる、と言うことを易々とやり続け、成功させ続けていたのです。

縫合すら全く要らない、実に綺麗な術後状態を創り上げる。


本当に凄い手術を沢山沢山見せていただき、更にはそのノウハウを事細かに薫陶いただきました。


世界は本当に凄い所に行っている、これは凄い、私なんか全然駄目だ、と思い知らされました。


しかし、ラム先生は、私が持って行った症例を見て、お前はデンジャラスマン、ブレイブマンだな、高く評価して下さる言葉を下さったのです。

実を言えば、私は最初そう言われた時に、落ち込元気を失くしてしまいました、やはり海外に来ても俺は危ない奴なんだ、と。


でも、そんな私をS先生が、院長何落ち込んでるんですか、凄い褒め言葉いただいたじゃないですか、院長分からないんですか、西洋人はナイスとかグッドとか言うのは自分より下で見ているんですよ、本当にリスペクト、尊敬される表現こそお前は危ない奴だ、勇気のある奴だ、凄いことするなお前は、と言う言い方するんですよ!

院長は、ラム先生に自分と対等レベルと見做して下さってるんです、分かって下さい!と言われたのです。


正直に言えば、エー本当に?そうなの?と半信半疑でした。


でも、ラム先生は、本気でレクチャーしてくれました。

それで、S先生の言葉もあり、私もそうなんだ、と信じることが出来るようになったのです。


こうして、夢のような一週間が過ぎました。


次の日から、いよいよAAPが始まりました。


ラム先生が押してくれたような凄い世界が始まる、次々と凄いレクチャーが聴ける、と信じて疑いませんでした。

しかし、蓋を開けて見たら、ラム先生が薫陶して下さったことは全然出ず、日本で習っていたことの延長、少し先程度の話しばかりが繰り広げられていました。


えっ?何これ?と私は戸惑いました。


そして、私は素直なので、AAPの会場内でラム先生を掴まえて、正直に質問してみたのです、先生が教えて下さったことが全然出ない、何故ですか?と。


この時のことを思い出すと、私は今でも胸の奥が熱くなりますし、又自分で自分を褒めて上げたい、と思うのですが、ラム先生はニコッと満面の笑みで私の肩をグイッと抱いて来て、ノリ、ユー・ルック・ザ・トゥルース、トラスト・ミー?ノリお前は真実を見た、俺を信じるか?と聴いてくれたのです。

その瞬間、私は本当に素晴らしいこと、世界の最先端中の最先端を惜しげもなく教えて下さったんだ、と雷に打たれたかのように悟り、全く疑わなかったのです。

イエス・アイ・トラスト・ユー・フォーエバー、ユー・アー・マイ・メンター、勿論私は永遠にラム先生を信じます、ラム先生は私の生涯の師匠です、と言い切ったのです。

良くあそこで、直ぐ言い切った、と本当に自分があの時偉かった、と嬉しく思い出します。


ラム先生は、私の言葉を聴いて、本当に嬉しそうな顔をして、固く肩を抱いて下さいました。


そこから、私の臨床は決定的に変わりました。

そう、蛹が蝶になるように、全く別のモノに生まれ変わったのです。


2003年9月サンフランシスコは、色々ととても嫌なこともありましたが、こうしてラム先生との生涯のご縁をいただき、そこから始まりその後も何度も個人的に訪ね、ラム先生が創設したIDEAと言う卒後研修機関のセミナーも何度も受講し、日本人の先生方とも2回特別レクチャーしていただき、2014年には日本で特別セミナーを開催することが出来るまでになりました。


本当に私は運が良い、としか言いようがないです。

数々の幸運、支えて下さった方々に実に見事に恵まれて来ました。


あの2003年の帰国の空。

今は無きノースウエスト航空だったと覚えていますが、生涯最高の旅、空だったです。


あそこから、私の低侵襲手術、即時荷重、抜歯即時植立同時顎堤再建GBR骨造成・歯茎再生、歯周病再生外科手術に即時荷重インプラントを固定源として用いる、これだけの凄い内容の手術なのに、それらを一切腫らさない、痛がらせないを目標に突き進む、と方向付けられたのです。


歯周補綴治療に即時荷重インプラント、抜歯即時を絡ませて、根本から概念を変えて治療期間を短く、早く楽に綺麗に治す、と言う果てしもない夢への道程が始まったのです。


勿論、まだまだ完成なんてしてませんし、生涯前に進み続け完成なんてしないでしょう。


しかし、我が道に一切の悔いなし、と私は断言出来ます。


あの空、2003年の9月、サンフランシスコを飛びたつ時、本当に帰りたくなかった。

あのまま、アメリカに留まり、留学をし、向こうで活躍するDRになる、なりたいと願いました。


でも、今は日本人の患者さんを治して来て良かった、と思っています。


何故なら、日本人の方が歯茎を骨も薄いし、難しいから、日本人で出来れば世界でも出来る、と確信出来るからです。


お蔭様で、もうそろそろ1000症例を超えることが出来そうです。


始めの一歩は、本当に大変だったし、逆風で辛かったことだらけでしたが、一つ一つ積み重ねてここまで来て、前人未到の道を創り上げられた、ととても言い尽くせない位嬉しいです。


本当に、私の人生は2000年、そして2003年で劇的に変わり、今に到っているのです。


この道が何処まで行けるのか、そしてどうやって次にバトンを渡さないといけないのか、私にはまだまだ為すべき使命が残されている、と思います。


私を信じて下さる方々の為に、これからも精一杯頑張ろう、と天に誓います。


それが、私が出来る、あの時にラム先生からいただいたご恩へのたった一つの恩返しだ、と信じるからです。


あの笑顔、数々の教え、今も私の胸にあり私を暖めてくれます。


私がしていただいたことを、そのまま、出来るならそれ以上にして恩送りをする。


生涯の恩師、師匠、今間司先生、添島義和先生、船越先生、そしてラム先生。


渡していただいたバトンは、必ず次へと渡します。


我が生涯を賭けて、私に託された使命を私は果たします。