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NT Live「フリーバッグ」を見た後に思う「現代のお姫様」像

2020-03-15 | stage


本題の前に。先日、BSで「伴走者」と言うドラマを見たんです。
気になっていた原作本のドラマ化だったので、割と放送を楽しみにしていました。

主人公はマラソン選手なのですが、五輪選考会のランナーに選ばれず、
目が不自由になったことでパラリンピックのマラソン選手を目指している元有名サッカー選手の「伴走者」としてトレーニングすることになります。

このドラマの中には2人の女性…主人公の妻と、元サッカー選手のアシスタントが登場します。

主人公は身重の妻に選考会に選ばれなかったことを隠し続けるのですが、
妻は夫が不在の間に上司から事情を聞いて、嘘をついていることに気づいてしまいます。
でも、妻は全く怒らない。
全くショックを見せずに、給料がよくなるからってわけじゃないけど、いいじゃない!と歓迎します。

サッカー選手のアシスタントの方は、雇い主が現役時代から支え続けている通訳者で、
目が見えなくなった彼を、栄養面でもサポートし続けています。
で、話の途中から、主人公が突如、アシスタントのために走ってやれとエールを送るように。
突然その2人が思い合っている設定になってくるんです。
その気になって、その子に愛の告白をする元サッカー選手…

ちょっと待て!
女は男を支えるだけの存在なんかい!


女には家庭を壊さないようにする手本を見せて、
イケメンとの恋愛設定でも見せておけば満足するだろ、
とでも思ってんのかい!

おそらく原作には妻の設定もアシスタントの恋愛設定もないと思います。
ドラマ用に付け足された設定でしょう。

特に腹が立ったのは、
主人公たちが大会に出場している間に妻が産気づいて一人で病院に向かうのを
さもよく出来た妻かのように美化していたこと。
百歩譲ってこれが実話だったとしても、
主人公!お前!喜んでないで早く病院に行かんかい!!!

なんでこんな「改悪」をするのか? 腹が立って仕方ありませんが、
おそらくこれを「改悪」と思わない人が多いのかもしれませんね。

女性はもっと獰猛で、野心的で、猛々しく怒り、同時に悲しむ生き物です。
男主人公の引き立て役なんかじゃないんです。



そんな憤りを持つ私が、2018年から2019年にロンドンに留学中、
特に心に響いたドラマがBBCで放送されていた「フリーバッグ」でした。

ちょうど第2シリーズが始まるタイミングで
「シャーロック」のモリアーティ役で知られるアンドリュー・スコットや、
当時BAFTAを受賞したばかりだった映画「女王陛下のお気に入り」のオリヴィア・コールマンが出演していると聞いて、
この時点で第1シリーズは観ていなかったのですが、面白そうなのでチャンネルを合わせたのです。

第2シリーズは、いきなりトイレの洗面台に向かう女性が鏡を見ながら鼻血まみれの顔をゆっくりタオルで拭うところから始まります。
そして彼女がカメラ目線で放つ一言が強烈。
「これは、ラブ・ストーリーです」

そうなの!?



見ていくうちに、どうやら彼女が、再婚する父と再婚相手を囲んでの食事会に
長女とその夫、結婚式に立ち会う予定の神父と参加している…
しかも表向きは仲良く振舞っているけど、それぞれに軋轢があるらしい、
ということが、わかってきます。

楽しく幸せそうに見えて、実際は絶対行きたくないような気まずい食事会…。
初対面の神父以外、全員が主人公を精神的に不安定な娘と信じて笑顔で軽蔑している。
娘の誕生日にカウンセリングのチケットをプレゼントする父、その父を寝とった義母、
無理やりキスしてきたアル中の義兄に、妹が夫に言い寄ったと信じる姉。
主人公がまともな行動を起こそうとしている時にも、誰も信じようとしない。
胸が痛い…
そして最後に訪れる修羅場…。

なんてこった、最高に面白いドラマじゃないか!

そして、一気にこの番組のファンになりました。



番組のクリエイターで、主人公を演じるフィービー・ウォーラー=ブリッジは、
BBCのサスペンス・ドラマ「キリング・イヴ」のクリエイターとしても知られ、
映画「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」では印象的な長身のドロイドL3-37を演じ、
さらには「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」で共同脚本家として参加するなど、
まさに乗りに乗っている女性クリエイターの一人。

もともと、この作品は2013年にロンドンのSOHO Theatreでプレビュー上演され、
その後、コメディの登竜門的演劇祭エディンバラ・フリンジでも上演され
Fringe First Awardを受賞した一人芝居が元になっています。

内容はテレビの第1シリーズとほぼ同じ内容ですが、
ヒットを受けて、2019年にロンドンで舞台としてリバイバルされ、
日本では劇場中継ナショナル・シアター・ライブのラインナップの一つとして、
2020年3月13日から映画館上映されています。

このリバイバル上演をビザの関係で見ることが出来ず、
ロンドンのフォイルズで買った戯曲を胸に、泣く泣く日本に戻った私でしたが、
幸い日本でこの上映を見ることが出来ました。



フィービーの演じる主人公(本名を呼ばれることはない)は、舞台上でも画面の中でも
観客に向かって自分の性生活や欲望を赤裸々に明かしたり、目の前にいる人の悪口をつぶやいたり、
まるで友達にその日一日の実況をしているかの様に生き生きと語りかけてきます。

前から歩いてくる男性をバカにしながら媚を売った後で悪態をつかれたり
元カレのために、自分の体の写真をトイレで撮影する姿は
みっともなくって笑わずには入られません。

フィービーは主人公=フリーバッグについて、こんな風に語っています。

「20代でかなり懐疑的な気分だった頃、
社会の重圧に辟易し、女性が抱える社会のプレッシャーに目覚めて、崖っぷちに立たされていました。
その割れ目から底を覗き込むと、そこに口紅をつけたフリーバッグがいて、私を見つめ返してきたんです。
性的な魅力によって自分が価値づけられると信じている女性に」


私自身はそれほど男性に承認欲求を満たされたい人間ではないので、
どうしてフリーバッグにこんなにも共感するのか、考えてみると不思議ですが、
この物語の中の彼女が、世の中生きにくい…と感じているのは共感できます。

例えば、テレビにも舞台にも登場する場面で、
主人公と姉がフェミニストの集会に参加し、5年間完璧な体と交換してみたいか訊かれて
勢いよく手をあげたら、手をあげたのは彼女たちだけだった、という気まずいシーンがあるのですが、
このシーンについて、フィービー自身はインタビューでこう答えています。

「もし質問されたとしたら、私がその手をあげる子。
『当たり前じゃん!』って。
そして正直だから勇気を与える!と思うと同時に、
失望させてる…とも思うでしょう」


現代女性は人生の選択肢が増えている!自由を謳歌している!と世間的には思われている一方で、
まだまだ正直に生きていくは辛い世の中です。
ハイヒール履くのだるい!辛い人は、もう職場で無理して履くのはやめませんか?
と言っても問題になる世の中。

私らしくいよう、という美化されたメッセージはあくまで可愛く彩られたフレームの中に飾られたものなのかも。
例えば、フリーバッグのような、セックス大好き! ヤな奴に悪態つくのって最高!という
およそ女の子が公言しないような正直さは、当然世の中に歓迎されません。
前述したドラマのように、女は従順で引き立て役でなければならないのですから。




そもそも、フリーバッグが「男から受け入れられたい」という思考は、
果たして本当に彼女自身の欲求と言えるのか…
単純に男が欲求を満たすために整備された世の中に、飼い慣らされているだけじゃないのか…?

彼女は性に奔放で、男に求められたい女である自分自身を認めていながら、
その罪悪感に苛まれている女性でもあるのです。
フリーバッグのその率直さと罪悪感は、この物語の軸でもあるような気がします。

そしてそれは、共同でカフェを経営していた親友の死が原因となっています。
フリーバッグが素直でいられた相手。
自分たちを誇れるモダンな女性だと一緒に宣言出来た仲間。
彼女は自分が犯した過ちのせいで、実は深く打ちひしがれています。



舞台版とドラマ版との違いとして、常連客のジョーの存在があります。
親友が亡くなってからも店に通い続ける年配の彼は、
終盤、投げやりに裸を見せる彼女に触れることなく、店を出て行きます。

バーやカフェでウクレレを弾いて歌を聞かせることに喜びを見出すジョーは
体を求めることだけに意味を見出す自分はおかしいのか?と銀行家に問いかけるフリーバッグとは
対照的に描かれている人物と言えるかもしれません。

そして、地下鉄の中で知り合った「口の小さい男」が蹴飛ばして瀕死状態になった、
親友が愛したモルモットを、裸の胸に抱きしめるフリーバック。
舞台版はドラマと異なり、彼女のサディスティックな部分と、優しさと悲しみが綯交ぜとなった、
ショッキングなシーンでした。


ところで、RADAで演技を学んでいた学生時代に、”受け身のプリンセス”を演じたくないフィービーは、
「なんで激動の運命に生きる役を演じられないの? そんな役はないの?!」
と激怒したことがあるとか。
演出家はそんな彼女のために怒れる若い女性の役を書き、言ったそうです。

「君には怒りの才能があるから」

「それで、私はいつも求めていたものに気づきました。
怒りは必ずしもネガティブなものでなければならないなんて思わないから。
憤りは動機を与え、やる気を与え、何かを変えるものになりうると思うし、
まさに、今(世間の女性に)起こってることだと思うんです」


フリーバッグは誰もがなりたいと憧れるおとぎ話のお姫様ではありません。
微笑むだけの主人公の理想の妻でも恋人でもありません。

でも、あなたが一人きりで家に帰って、顔を洗った後、
洗面台の鏡の中にフリーバッグがいませんか?

仕事がうまく行かなくて家に帰って泣いたり、
やけくそになって飲みすぎたり、
自分を理解してくれない家族と対立したり、
人前で一生思い出してしまいそうなヘマをしたり、
好きになってくれる男性と一夜を過ごしてもなんだか満たされなかったり。

そんな等身大の女性こそ、現代を戦うリアルなお姫様じゃないでしょうか。



参考:
Phoebe Waller-Bridge on Woman’s Hour: Nine things we learned
Furiously Funny: Phoebe Waller-Bridge On Female Rage
DRYWRITE AND SOHO THEATRE PRESENT FLEABAG
'I was cynical and depressed in my 20s': Fleabag's Phoebe Waller-Bridge discusses 'self-loathing judgement and the pressures women are under'
Fleabag – Edinburgh festival 2013 review
DryWrite make their Edinburgh debut with the world premiere of a hilarious one-woman show written and performed by Phoebe Waller-Bridge
Edinburgh Fringe 2013
Phoebe Waller-Bridge’s Fleabag coming to BBC Three


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