だから、ここに来た!

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ナショナル・シアター・ライヴ「ザ・モーティヴ&ザ・キュー」

2024-07-15 | TV/マーク・ゲイティス

7月5日(金)からナショナル・シアター・ライブの作品として、
映画館上映が始まった舞台「ザ・モーティヴ&ザ・キュー」(以下、TMaTC)
初日やトークイベントを含め、合計3回映画館で鑑賞しました。

2023年6月に現地ナショナル・シアター(以下NT)で観劇した時の記事はこちら↓(NTで観たのは2回。)

 

ナショナル・シアターで舞台「ザ・モーティヴ&ザ・キュー」を観る - だから、ここに来た!

■2023年6月7日■続きついにこの度の最大の目的であった、サム・メンデス演出の舞台"TheMotiveandtheCue"を見に行くために、サウスバンクにあるナショナル・...

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ちなみに観劇後、ジョン・ギールグッド卿を演じた私の大好きなマーク・ゲイティスは、
この役でオリヴィエ賞演劇主演男優賞を受賞しました。

Mark Gatiss wins Best Actor for The Motive And The Cue | Olivier Awards 2024 with Mastercard

喜びで震える手で投稿する当時の私↓

実はNTで見た時には、戯曲も劇評もたくさん読んでいたし、セリフの内容は頭で理解出来ていたけれど、
旅の疲れもあって感情は完全についていっていたわけではなかったので、
それぞれの演技を素晴らしいと思っていても、そこまで感動出来る芝居だったのだろうか?と思うところがありました。
演劇賛歌としてのTMaTCは、理解しきれていなかったかもしれません。

ところが、今回映画館で見たところ、特に第2幕以降、涙が止まらなくなってしまいました。

NTLive『ザ・モーティヴ&ザ・キュー』予告編

特に胸打たれたのは終盤。

演出家のジョン・ギールグッドが主演のリチャード・バートンに、
よりよい報酬がもらえる映画にも出ることが出来るのに、何故舞台に立つのか?と問う場面。
バートンはいくつか答えるけれど、ギールグッドは「違う」と否定します。
「まるで答えを知っているみたいな物言いだ。教えてくれ、答えを…」とバートンが言うと、
「芸術が好きだからだ」と答えるギールグッド。
他の芸術にはない、観客との美しい劇空間を欲しているのだと。

このセリフに私はボロ泣きしてしまいました。
と言うのも、先月2本の舞台を見ていたことが大きく影響しています。

 

ラッパ屋 第49回公演 「七人の墓友」/ナイロン100℃ 49th SESSION「江戸時代の思い出」 - だから、ここに来た!

日本の演劇は随分ご無沙汰になっていましたが、気になっていた芝居を6月中に2本見ることが出来ました。1本目はラッパ屋第49回公演「七人の墓友」。ラッパ屋を劇場に見に...

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TMaTCを現地で観に行った時も、他にストレートプレイやミュージカルを見ていたので、
現地で演劇の空気にも触れ続けていましたが、つい先月、日本で続けて舞台を見ていたことで、
10代〜20代の頃の演劇を好きになり始めた頃の興奮を思い出していました。

日本の舞台で久しぶりに観客や客席を巻き込んでの演出を体験したり、
笑いが起こって客席全体が温かい雰囲気になったり、
劇団と観客との親密な関係が感じられるような空間にいたことで、
劇場の中で観客も一体になっているという感覚を味わったばかりでした。

シェイクスピアのような古典劇ではありませんが、演劇でないと味わえない体験がそこにはあるのだと、
はっきりと思い出したタイミングでもあったのです。

何故そこに行くのか。それは、そこでしか味わえない体験があるから。
演者にとっても観客にとってもそれは同じなのです。

さらに、コロナを経ての上演であることも大きな意味があるでしょう。

二幕の冒頭でノエル・カワード‘Why must the show go on’が流れますが、
NTで見た時にはサビに入ったところで笑いが起こっていました。
この曲は、まさにこの舞台のテーマと言っても過言ではないと思います。

なぜ芝居を続けるのか… 必要不可欠なものでもないのに…

劇中のバートンやギールグッドだけでなくロックダウン中に演劇関係者が皆が考えていたであろうこの問い
この舞台の演出家であるサム・メンデスもこの問いをコロナ禍で抱えながら
演劇界の状況を受けてこの作品を作るに至っています。
そして観客としての私も、当時客席が埋まっていない公演を見たりした後に、
最近の活気が戻った日本の舞台を見て良かったなぁと思ったばかりだったので、
ギールグッドの与える答えにグッときてしまうのであります。

そしてそれを乗り越えて、カンパニーが一つの芝居を作り出すと言う、
その仲間意識も困難な時期を経て貴重なものとして感じとることが出来たためかもしれません。
(TMaTCでも、例えばこの作品の原案となった本を書いたレッドフィールドや、オフィーリア役の子が
 初めはバートンとテイラーのホテルの部屋に入るのも緊張していたのに、
 最後のパーティでは皆と打ち解けた様子なのがリハーサルの時間の流れを感じさせました。)

それぞれの登場人物の演技や舞台にかける思いを感じられたのも感動出来たポイントの一つ。
ギールグッドと対立して怒りに任せて演技するバートンに
「怒りに駆られて木に牛を掘っても美しくなり得るか?」 と言う問いを掲げるレッドフィールド。
映画で力を発揮出来ていないマーロン・ブランドの出演作品を同業者として冷静に記憶し観察しているエリザベス・テイラー
劇中に登場する役者たちはそれぞれに俳優としての矜持を持っていることがわかります。
(バートンに「やめてもいいのよ。訴えられても映画に何本か出れば賠償金払える」とか、
 過去の名優である演出家として皆に讃えられながらも役者としての出番を失っていたギールグッドに
 「また返り咲ける!」と言って元気づけることが出来るのは、エリザベス・テイラーだからこそだよな。)

そして、エネルギッシュで対抗心むき出しなバートンを恐れながらも、
舞台役者としての勇気を奮い立たせて対峙するギールグッド。

バートンがハムレット向きの役者ではないと思いながらも
「久しぶりに条件のいい仕事だったから」と演出を引き受けたギールグッドは、
自分のセクシャリティまで揶揄されながらも、最後の最後までバートンに付き合い、舞台へと送り出す。
バートンがオールドヴィックでギールグッドが演じたシェイクスピアの役の数々を挙げていくところで、
本当に彼が自分を尊敬しているのか疑わしく思っていたギールグッドの感極まった表情は、
劇場で見た時よりも表情がはっきりと見てとれて、こちらまで胸を動かされます。

NTで見た時には、バートンのギールグッドの対立の印象が強く残っていて、
気まずさの方が記憶に残りやすかったけれど、改めて日本語字幕付きで見ることで、
双方がよりよい芝居にしようと思うあまりの対立であることがより鮮明に伝わってきました。
テイラーの助言もあり、父親に対するコンプレックスと不満感という落としどころを見つけるところで、
二人は一定の合意を得るに至る過程は感動的です。

 

感動ポイント以外で、TMaTCの日本語上映で少し気になったのは、
ギールグッドのセクシャリティ描写が直接の言及以外にちゃんと伝わってるのかってところ。
例えば酔っ払ったバートンがギールグッドを揶揄してわざとナヨナヨした手振りをしてるところは、
あまり日本語字幕にそのニュアンスが乗っていなかったと思います。
センシティブなので表現が難しいのかもしれませんが、
あそこでバートンが取り返しのつかない侮辱をしたことで緊張が最高潮になるので、そこははっきりと表現してもらいたかったです。

そして、ホテルに男娼を呼び込んだギールグッドが傘を落として警官に呼び止められた際に「妖精」呼ばわりされた件。
「妖精」はゲイの隠語ですが、そのまま訳してしまうとちょっとわかりにくくなかったかなと心配。
(ゲイが集まる誕生日会の騒動を描いた舞台"The Boys in the Band"にも出てきました。)

 

ところで、今回上映を観た後に同性愛者としてのギールグッドの記事をずっと読んでいましたら、
どうやら、劇中のパーティーの場面でギールグッドが話題を振った
「最近猥褻な電話かけた人ー?」って台詞は実際に本人が言っていたらしい。
しかもジュディ・デンチにも「卑猥な電話かかってきた?」と訊いてたとか(笑)。
サー・ジョンは、実は下ネタ大好きだったみたいですね。
「ベッドに入る前にはいちゃつきがつきものだからな」とか
「私は緊張しないために自慰する」とか性的なジョークが織り交ぜられていたのは、
こういった証言を元に反映させてるのかもしれません。

 

映画館で見直して、現地の劇場の空気感も思い出したりしました。
テイラーとギールグッドの洒落た会話の朝食シーンで爆発的に起こる笑いや、
ギールグッドがバートンに「君のハムレットは馬鹿げている!」と本音を言うシーンで観客の息を呑む音。
ギールグッドの”Speak the speech”の独白を見守る時の静けさ。

Day 11でバートンがスクリーンの前でタバコを吸いますが、
ジョニー・フリンは毎回煙で綺麗な輪っかを作ってたのも思い出します。
映像だと引きなのでわかりにくいのが残念。

バートンが台詞を叫ぶように言うため、ギールグッドが”You shout wonderfully.”とオブラートに包みきれずに言う場面や、
バートン演じるハムレットがポローニアスを殺してしまうシーンで”MOTHER! MOTHER! MOTHER!”と呼び、
ガートルードが「あの子が来るのが聞こえます」と言う場面も、
デカい声で呼んでるのに「聞こえます」もないだろう!と笑いが起こってたっけ。
そんな空気感も、やはり劇場でしか感じられない体験ですね。

 

7月15日にTOHOシネマズ日本橋で行われたナショナル・シアター・ライヴのトークイベントでは、
翻訳家の松岡和子さんと柏木しょうこさんが登壇されました。

松岡先生はリチャード3世の演出をしていた若かりしサム・メンデスにインタビューをしたことがあり、
円陣に椅子を並べて読み合わせすることが効果的だったと話していたそうで、
リハ画像を見て今でもそのやり方が変わっていないことに感動されていました!

お二人ともバートン版のハムレットが大好きで、
定番と思われているオリヴィエの映画版ハムレットは
「生きるべきか死ぬべきか」の場面といい、ツッコミどころ満載だと(笑)。

それに、NYの前衛集団ウースター・グループが、
バートン版ハムレットの映像を流しながらその前で全く同じように演ずるパフォーマンスをやっていたという興味深い話題も。

 

Edinburgh festival:Wooster Group take on Shakespeare with Hamlet remix

The influential New York ensemble tell Hermione Hoby what prompted them finally to tackle the bard – and why Richard Burton was an inspiration

the Guardian

 

今回の舞台にも取り上げられたり、いつの時代も注目されるバートン版は、
数々演じられてきた20万人の中の伝説的なハムレットの一人なんですね!

 

トークイベントで今回の舞台の役者の話題は出てきませんでしたが、
マーク・ゲイティスに関することなら私におまかせを!!
公演の発表以降、リハーサル&本編&舞台裏写真、予告編、インタビュー、劇評、オリヴィエ賞授賞式の様子を、
以下にまとめていますので確認されたし!↓

 

舞台"The Motive and the Cue"「ザ・モーティヴ&ザ・キュー」まとめ

2023年に英国ナショナル・シアター等で上演され、日本のナショナル・シアター・ライブでも2024年7月より映画館上映されるサム・メンデス演出、マーク・ゲイティス出演の舞台...

Togetter [トゥギャッター]

 

自分の一番好きな俳優が出ているから見る、と言う使命感などすっかり忘れて、
この作品を見るたびに物語自体の世界に没頭してしまいますが、
カーテンコールになると、こんなに素晴らしい作品にマークが出演していること、
何よりこの作品を感動的なものにしている一人がまさに彼であることにさらに涙してしまいます。
何度見ても心動かされる作品です。

 

余談↓

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ラッパ屋 第49回公演 「七人の墓友」/ナイロン100℃ 49th SESSION「江戸時代の思い出」

2024-07-14 | stage

日本の演劇は随分ご無沙汰になっていましたが、
気になっていた芝居を6月中に2本見ることが出来ました。

1本目はラッパ屋 第49回公演 「七人の墓友」
ラッパ屋を劇場に見に行くのは、第47回公演の「君に贈るゲーム」ぶり。
前回はまだコロナの影響が残っていたため、客席もいつもより空席が目立っていて、
ボードゲームを楽しむ登場人物たちもマスクをしていました。

今回は劇団の取り置きシステムを利用して前日にチケットを確保しましたが、
今回は平日でも席がかなり埋まっていて、観客が着実戻っているのを実感。

家族恒例のバーベキューパーティーに
食品会社に勤める長男、アラフォーで独身の長女、芸術家としてNYに住む次男が集まる。
次男はNYから恋人を連れてきて自分がゲイであることをカミングアウトし、
長男は職場の上司でもある一人暮らしの義父と同居することを告げると、
次々と納得いかない告白をされた頑固者の父は憤慨。
さらには、長年本音を押し込んでいた母が
「お父さんと同じお墓に入りたくない」と言い出す。
実は母は朗読サークルの仲間たちと一緒のお墓に入りたいと考えていた。
朗読サークルのメンバーは元水商売や大学の教授、熟年離婚した女性など様々。
母は父方の墓が岡山にあるが、遠いし「隣に八つ墓村のモデルになった村がある」から入りたくないと、
パーティーの前から長女に打ち明けていた。
父の理解を得られないまま、朗読サークルのメンバーは、
次男の恋人の従兄が住職を務めるお寺の桜の幹の下に骨を埋める樹木葬を見学することになる。

老後が心配になってきたお年頃の私にとっても気になるお墓が主題とあって、
これは勉強のためにも見ておかねば!と思った次第。

今作は主宰の鈴木聡さんが俳優座のために書き下ろした作品で、
当て書きをするラッパ屋では珍しく「当て書きしていない台本」を使っての公演だそうです。
それなのに、まるで演じる役者を想定して書いているように、
キャラクターと配役がぴったりあっていました。
俵木藤汰さん演じる鉄鋼業界にいた頑固おやじや、
対照的に能天気な雰囲気のおかやまはじめさん演じる友人、
弘中麻紀 さんは年齢よりも年上の、のんびりしていそうなのに芯が強そうなお母さん。

常連の客演陣、松村さんや谷川さんは、今回朗読サークルのメンバー役。
松村さんは女性役でビックリ!でも全然違和感なし!

劇団メンバーそれぞれの個性が際立っていて、それぞれのキャラクターが立っていて覚えやすい。
それが40年も劇団が続く秘訣のひとつなのかなと思ったりしました。

果たしてお母さんは友達と共同墓地に入ることになるのか?
お父さんは許してくれるのか?が最後までの注目ポイントになるわけですが、
最後のシーンが説明は最小限にとどめられているけれど、
その後の未来がわかるような幕引きになっていて、なるほど!と納得。
個人の意思を尊重することも、家族でお墓に入ることもどちらも肯定するような終わり方に、ホッとさせられました。

ただ、上演時間が長いわりに、ちょっと内容がのんびりしているようにも感じられたので、
もう少し端折れたところがあった気もする。
「筋書ナシコ」のように、繰り返し見たい!とまでは至らないまでも、
見たことを忘れられないような温かい1本でした。

2本目はナイロン100℃ 49th SESSION「江戸時代の思い出」。ナイロンこそ数年ぶりの観劇。
私は仕事の都合上、先行予約でチケットを取ることが難しいので、
当日券をチャレンジすることが多く、それでも大抵は立ち見でも入場できるのですが、
ナイロンは以前、当日券に並んでも入れなかったことがあり、
その失敗経験の印象が残っていて、確実に確保できる日程でないと無理だろうなと、
足が若干遠のいていました。

しかし、今は日にちによって直前に予約出来る当日引換券が出ているではありませんか!
席の場所は期待できないかもしれないけれど、見られるという確約が得られるだけで万々歳!
仕事終わりに見に行ける平日に席を確保しました。

 

ナイロン100℃が紡ぐ“笑いのための笑い”、30周年記念公演「江戸時代の思い出」開幕(舞台写真 / コメントあり)

「ナイロン100℃結成30周年記念公演 第2弾 ナイロン100℃ 49th SESSION『江戸時代の思い出』」が、6月22日に東京・本多劇場で開幕した。

ステージナタリー

 

「江戸時代の思い出」は主宰のKERAさんがX(Twitter)でタイトルだけは決まっていると投稿していたので、
そこからどのように話が作られていくのか興味津々。
かなりくだらない内容だろうなと想像はしていましたが、
想像通り出鱈目で、なんの教訓も得られない、ただただ脱力するような笑いが続いていくナンセンスコメディでした。

茶屋の前で通りがかった侍、人良(大倉孝二)に声をかける町民の武士之介(三宅弘城)。
彼は自分の思い出を通りがかりの者に話して聞かせているらしい。
人良は断るが、しぶとい武士之介はこれから起こる未来の出来事を「思い出」として話して聞かせるという。
興味を持った人良に、現代の、30年前に地面に埋めたタイムカプセルを掘り起こすために集まった
小学校の同級生たちの再会を話して聞かせる武士之介だったが…

今回の舞台は珍しく全4話オムニバス形式になっていて、
第一話がタイムカプセルを掘り起こそうとする小学校の同級生の話、
第二話が飢饉の中の茶屋を舞台にした話
第三話が顔が尻の形をした侍の話、そしてエピローグと言った具合。

KERAさんもパンフレットで話していたように、
特にオムニバスである意味はなさそうな内容ではあるけれど、
このエピソードの合間に、客席の一人にスポットライトが当たって、
「なんなんだこの話は…」とスポットライトが当たった人の心の声のようなモノローグが勝手に流れる演出が入る。
3人目はただ、いびきの音が流れたり(笑)。
4人目に上手最前列にスポットがあたり(これは役者)、
「こんなつまらない芝居、我慢できない!」と連れの女性を連れて劇場を出て行こうとする。
「イギリスではつまらなければ観客は途中で出ていく。野田秀樹が言っていた」と言いながら。
そこに、「本多劇場の者」を名乗る落ち武者が登場して、
「この国では途中退場は許されません!」と道をさえぎる。
…とこんなバカバカしい繋ぎが入るのが面白い。

かと思えば、武士之介と人良が江戸時代なのにゴザひいて(将棋ではなく)チェスをやり始めてて、
それに誰もツッコむ様子もなく、お尋ね者の「顔が尻の形」のケツ侍(!)が現れたものだから
2人は驚いてチェス盤をひっくり返してしまい、
驚かせたケツ侍がどちらも勝っている状態に駒を置き直してあげて二人が
「なんて優しいやつなんだ!」と感動するくだりがあったりもする。
尻の顔を持つ侍も訳がわからないし、そもそも何故チェスなのかもわからないし、
どちらも勝っている状態ってのはありえないし、とにかく全てが出鱈目

そんな感じで、とにかくオチもなく意味もない緩やかな笑いが連綿と続き、文字通り脱力させられてしまう。
爆笑というよりはずっとクスクスさせられる感じ。

そして、終演後に劇場を出た時、びっくりするほど体が軽い。なんで!?
下手なマッサージよりもよほど体がほぐれる!びっくり!
芝居を見終わってこんな感覚を味わったのは初めて。

ナンセンスは、一見適当に作ればいいように思えるけれど、実はとても高度なコメディ。
「江戸時代の思い出」も、適当な要素を並べ立てているように見えるけれど、
同じことは3回以上は繰り返さない等、体が心地よく感じる笑いのセオリーに則って書かれているのがわかります。
職人によって醸造された良質な日本酒のように
水のように飲みやすく見えても、中身は高度な技術によって構築された度数高めの喜劇
こんなナンセンス喜劇は長年作り続けてきた職人でないと作り出せない味だなと、
馬鹿馬鹿しくも上質な時間を過ごせて満足致しました。

偶然にも、ラッパ屋もナイロンも今回が第49回公演。
そしてラッパ屋は40周年、ナイロンは30周年を迎えました。

ラッパ屋のパンフレットを読んでいると、外部でも活躍している劇団員の皆さんが
それぞれ劇団をホーム=戻る場所だと感じているのが分かって、なんだかとても羨ましい気持ちになるし、
一方ナイロンは最近劇団員の訃報が続いている中で、今でも高度なコメディを手練れな役者の皆さんが上演し続けていて、
長く上演しづつける大変さやその尊さを観客としてヒシヒシと感じます。
それと同時に、近年ロンドンの舞台のことばかり考えていた私ですが、
日本の演劇を好きになり始めた10代後半から20代の頃のワクワクする興奮も思い出して、
ああ、やっぱり演劇っていいな…としみじみ感じた次第です。

 

 

 

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