東京は梅雨も明け、ついに夏本場。
しかし16日(金)の東京都COVID-19新規感染者数は1,271人。
そしてオリンピックは一週間後に迫っているというカオスっぷり。
この夏も、家に引きこもることになりそうです。
コロナ禍で、五輪を開催するのか?しないのか?と1年以上振り回されることになり、
結局、負担や危険を強いられるのは我々日本人や東京都民。
もう、なるべくなら存在自体を知ることなく終わって欲しい…。
そんな中、オリパラの開会&閉会式のクリエイティブチームが発表されました。
オリンピック・パラリンピック開会式の音楽監督をFPM田中知之が担当、作曲メンバーに小山田圭吾https://t.co/AR1qSyTbk7#Tokyo2020 pic.twitter.com/y5dFYJGQDr
— 音楽ナタリー (@natalie_mu) July 14, 2021
先日東京都現代美術館に、リオ五輪閉会式の演出を担当したライゾマティクスの展覧会を見に行って、
(この技術が開会式に使われてたかもしれないんだな…)と思っていたところでしたが、
今回発表されたメンツを知って「四半世紀くらい時間が戻ったみたいだけど、大丈夫か…」と若干心配になりました。
ファンタスティック・プラスチック・マシーンとか、
90年代にはよく聞いた名前だけど、今の若い子は知ってるのだろうか…。
しかしそんなことより、記事に集まるコメントを見て気づいた問題が。
それは「コーネリアスこと小山田圭吾は障害者をいじめていた当事者としてオリパラにはふさわしくない」問題。
90年代中頃から「渋谷系」と呼ばれる、渋谷のレコード店がレコメンドする音楽が一部で流行し、
私もクラスメイトにすでに解散していたフリッパーズ・ギターのCDを貸してもらったり、
わざわざHMVまで出向いてCDを物色したりと、「渋谷系」にハマっていました。
そのフリッパーズ・ギターのメンバーだったのがコーネリアスこと小山田圭吾なわけですが、
私がその「小山田圭吾はクラスメイトをいじめていた」という話を目にしたのは、
そこからしばらく経って、ネットを使い始めた2000年代以降でした。
例えばYouTubeでコーネリアス関連の動画を見ると、
コメント欄の一番目にそのことが頻繁に書き込まれていたり。
しかし、コメント欄の一番目と言ったら、根拠のない中傷である可能性もあるので、
(このコメントやたら見るけど、ソースはあるのかな…)と思いつつ、
特に掘り下げることはなく、目に留めているだけでした。
そして今回、オリパラの作曲メンバーが発表され、その噂だと思っていた話が明るみになったことによって、
1994年1月号の「ロッキン・オン・ジャパン」と、
1995年3月号の「QUICK JAPAN」に掲載されていた内容だと初めて知ったわけです。
週刊誌で取り上げられるような噂話ではなく、
本人自らがインタビューで語っている記事で、
しかも太田出版のQJはまだ予想出来ますが、ロキノンが発端だったとは驚きでした…。
当時は、雑誌で逐一チェックするほど追いかけてはいなかったし、
私が「渋谷系」の音楽を聴くようになる少しだけ前の記事なので、
記事の出処を知らないまま遡って読む機会もなかったのかもしれません。
当時のことを調べるにはいい機会だと思い、それぞれの記事を紹介しているブログや、
関わったライターの別の関連記事などを探して読みに行きましたが、
もちろん、全く気分のいいものではなく、
何度も中断しながら、頭を抱えて読み進めていました。
当時、若いとは言っても25歳を過ぎた小山田君が、
思い出話のように悪びれず、後悔も感じさせずいじめの詳細を話していると考えると、
そのまま大人になってしまったのか…、気の毒な青年だなと、無自覚さが痛ましくさえ思えてきます。
そして、「いじめはエンターテインメント」などと面白がって、
小山田君当人が会おうと望んでたわけでもない被害者の家族に
しつこくコンタクトを取ったライターや編集者たちの邪悪さに、本気で吐き気がしてきました。
本当に、本当に、酷い奴らです。
でも、変な言い方ですが、
言動が問題になったミュージシャンに対しての「失望しました!」というような、
ショックを受けることはなかったです。
小山田君の人間性に正直そこまで期待していなかったというか、
フリッパーズの元相方であるオザケンもそうですが、
彼らには強い自負心ゆえの独特の無神経さが感じられて、
音楽が好きだからと身を委ねすぎると、突然突き放されそうな怖さが私にはありました。
そして、今思えば、90年代はテレビや雑誌も
そんな存在を面白がっているところがあった気がしています。
2000年代、コーネリアスがYMOのサポートをするようになり、
国内だけではなく海外にも広がったその活躍を改めて注目するようになると、
「渋谷系」の時代よりも集中して彼の作品を聴くようになりました。
2001年の「Point」は今でも最高の名盤だと思ってますし、
リミックスやラジオ番組もとても新鮮で刺激をもらいました。
周囲との信頼関係が出来ているからこそ、幅広く活躍出来ているのだろうなと、
そこに人間的な成長を勝手に思い描いて、安心したりしてました。
CORNELIUS - Point Of View Point
そんな
「日本でも海外でもそこそこ名前が通って、
作家性が強く、且つ鮮烈な音楽を提供出来そうなミュージシャン」としては、
コーネリアスは国際的なイベントにピッタリな存在ではあります。
しかし、大人になってもいじめを思い出ばなしのように平然と語れた人が、
オリンピック、ましてやパラリンピックに関わるのは、
参加者にとっても視聴者にとっても恐怖でしかないですよね。
いじめの件については起用を考えた誰かしらがどこかで目にしているはずで、
彼がオリパラに関わることが発表されれば、今回のように批判が出ることは分かりきっていたはず。
それなのに、何故わかっていて起用したのか…
それとも一度もググろうともしなかったのか…
開催するのかしないのか分からないような巨大イベントに関わろうとするアーティスト自体、
他になかなかいなかっただろうと察しはつきますが、
誰が考えてもふさわしい役割ではないことは明らかです。
彼にいじめられていた被害者だけでなく、
いじめ経験のある人たちは、今回のことで不安な気持ちになったんじゃないでしょうか。
私にも少なからず嫌がらせのようないじめの経験はあるので、自分が被害者なら…と考えてしまいます。
いじめの経験者やその家族にとっての望みは、
まず「自分の前に現れて欲しくない」ことじゃないでしょうか。
記憶から消したい… 思い出すきっかけを与えて欲しくない…
ただ、この件がオリンピックのような世界的イベントで明るみに出て、
小山田圭吾本人や我々リスナーも真剣に事実に向き合うことになったことは、
必ずしも悪いことではないと思います。
発表された謝罪文は、体裁を取り繕っただけかもしれないけど、
少なくとも、本人の公表したい内容を正式に受け取ることができて、
(これで済んだという意味ではなく)ちょっとホッとしていたりもするのです。
これだけの長い文章を公式で出していることが、新鮮すぎてビックリもしました。
東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして pic.twitter.com/WWedM9CJwK
— Cornelius (@corneliusjapan) July 16, 2021
私がネットで頻繁にいじめに関するコメントを見かけていたということは、
本人の目に触れる機会だってあったと思います。
自分の黒歴史を度々突きつけられるのは、どんな気分だったでしょうね。
そして今回の件でYouTubeや某掲示板どころか、世界中にまで過去が知られるところになった。
小山田君はこれからもずっと、虐待者である自分と向き合い続けて生きていくことになるでしょう。
作品をリリースする度に、イベントに参加する度に、毎回毎回虐待者だと言われ続ける。今まで以上に。
心底悔い改めていようが、最高の音楽を作ろうが、一生その事実に付きまとわれることでしょう。
もう50歳を過ぎた大きい息子もいるミュージシャンが、
学生時代の虐待のことで公然と非難され続けるというのは、
自負心の高い人間でもなかなか堪えるはず。
彼がしたことは、それだけの重責を伴うことです。
謝罪はその始まりにすぎません。
今回の問題を知って、「もうコーネリアスの曲なんか聞きません!」という人もいれば、
「そうは言っても、もうやめられないよ…」という人もいると思います。
彼の音楽を好きでいる自分や、記事の存在を知っていたのに今でも聴き続けている自分に対して
責めたり恥じたり戸惑っているかもしれません。
私も「もうやめられない」立場です。
この記事を書いている間にもフリッパーズの曲を無意識に歌ってしまっていたし、
曲を聴き直せば、書いていることも一瞬忘れて、いい気分に浸ってしまいます。
昔から聴き続けた音楽は、そう簡単に頭から消し去ることは出来ません。
それに…
もしコーネリアスやフリッパーズ・ギターがいなかったら、
CDを貸してくれたクラスメイトと仲良くなることもなかったんじゃないかと思うんですね。
私はその子のおかげで彼女の薦めてくれるたくさんの音楽に親しむことができて、
もっと大人になってから、そのおかげで親しくなれた人たちもいる。
その縁は、いじめとは全く逆の、ポジティブな関係性で成り立っています。
小山田君は卑劣な虐待者でありながら、人をつなぐきっかけを与えてくれた人でもあったりするんです。
オリパラには全くふさわしい人ではないですが、
ミュージシャンとしては、私の人生の中で欠かせない一人だなと改めて思います。
だから、もし今回のことで音楽が好きな自分を責めている人がいるなら、
その音楽から得た大切な記憶を、思い出してみてほしい。
そのワクワクするような楽しい思い出は、あくまでリスナー同士のためにあるもので、
作者個人の言動によって侵害されるものではないはずです。
FRIENDS AGAIN - フレンズ・アゲイン - / FLIPPER'S GUITAR【Official Music Video】
(これはオザケンの作曲だけど。)
それにしても、はー、五輪キャンセルになんないかなー。
(2021年7月20日追記)
その後、小山田圭吾がクリエイターチームから辞任することが発表されました。
東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして pic.twitter.com/p91zE94s1t
— Cornelius (@corneliusjapan) July 19, 2021
縦長っ!A4用紙かっ!(でも媒体に送るわけでもないっていう。)
もう既に、小山田君個人だけが問題じゃないことがどんどんわかってきて、辞めたところで全然すっきりはしない。
辞めるのは当然のことだけど、よしこれで安心だ!みたいな気分には全然ならないよな…。
— ミウモ 𝕄𝕖𝕨𝕞𝕠🌈 (@notfspurejam) July 19, 2021
ろくに確認せず起用した五輪の関係者、エンタメ気分で楽しんでたライター、共犯者と暴力を見逃していた学校側の態度、批判に対して間違った敵意を曝け出した仕事仲間。
曝け出された問題はそのまま。
1991年の「月刊カドカワ」にもいじめに関する発言が載っていたこともわかり、
小山田圭吾、『月刊カドカワ』でもいじめ自慢 「小学校人生全部をかけて復讐した(笑)」#小山田圭吾 https://t.co/J7BEgwEAag
— J-CASTニュース (@jcast_news) July 19, 2021
ここまで来ると、さすがに出版社やライターだけの問題では片付けられないですね…。
個人的に一番ショックだったのは、METAFIVEのメンバーであるゴンドウさんの削除済みツイート。
小山田君をフォローする内容だけならいいのに、
記事を読んでショックを受けた人たちにさらにショックを与えるような内容で…。
過去の発言が騒がれてはいても、周りの仲間たちのサポートもあるはずだし、
現在は心を入れ替えているかもしれない!という期待が打ち砕かれました。
「学生時代の虐待のことで公然と非難され続けるというのは、
自負心の高い人間でもなかなか堪えるはず」
と書きましたが、過去の掲示板についての内容も読むと、
今回のこれだけ大きな騒ぎであっても、もしかしたら本人は
「今まで何も知らなかったくせに今更何だよ」
「誰もいないから引き受けてやったのに何様なんだ」
くらいに思っていそう。
どこまでも残念な騒動として記憶に残ることになりましたね。