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気の滅入る短篇ふたつ

2009年07月29日 | 読書ー雑記



全然私の好みではないのだけれど、ものすごく心に残り、しかしもう二度と読みたくない、それについては感想を書くのも辛い、という物語と遭遇してしまうことが時々あります。こういうのは少し困りますね。勢いで感想を書いてしまえることもありますが、どうしても書けないこともしばしばあります。物語をふり返っても、何も言葉が出てこないのです。まったく駄目。真っ黒な気持ちが胸に広がるばかりです。
嫌いかと言うと、そういうことでもないのです。間違いなく優れた作品であるとも思います。だけど、触れたくない。ふり返りたくない。

詰まらない物語ならすぐに忘れてしまえますが、この手の印象的でありながらも受け入れがたい物語というのは、いつまでもその苦い味が残って、忘れようにも忘れられません。誤ってふたたび読んでしまわないように注意することくらいができるだけです。

そんな後味の悪すぎる短篇を、ここ数ヶ月で2つばかり読んでしまいました。忘れるかと思いましたが、忘れられないですね、暗過ぎて、もう。そんなドス黒い印象を受けた短篇は、以下の2篇。

 *夢野久作「死後の恋」

 *アンドレーエフ「深淵」

ふたつともご存知の方ならお気づきのように、両者には共通点がありますね。ロシアを舞台にしているという以外にも。私はこの種類のお話がとても苦手であります。ああ、滅入る~。


夢野久作の「死後の恋」も相当に残虐趣味で鬱々としてしまいますが、アンドレーエフの「深淵」は、とくに本当に気が滅入ります。人間という存在の弱さや惨めさ、卑劣さを、嫌というほどに思い知らされます。無垢のまま気高いままでは存続できない人間の弱さ。弱い人間には幸福を願う資格すらないと言うような惨めな結末。それはそれは絶望的です。堪え難い。

悪意に満ちた暴力は、他人を征服するためにはあまりにも簡単な手段なのです。力のないものはまるでそれを受け入れるより仕方がないというように、あっさりと踏みにじられます。おまけにやりきれないことには、そこには犠牲者への憐れみや哀しみがあると同時に、相手を屈服させたことの歓喜が、それだけの力を持つことへの憧れがあるということを、私は自分の心の内側に発見してしまうのです。

しかし、この問題に正面から取り組み、何らかの解決策を見いだせたなら(あるいはせめて見いだそうとする意志を持てたら)、人間として素晴らしく成長できそうなのですがねー。今の私には到底無理です。今どころか永遠に無理です。深淵はあまりに暗いのです。ああ、うっかり思い出してしまった……! 滅入ってきたぜ……

思い出しついでに少し感想を書いてしまったわけですが、おかげでひとつ気がついたことがあります。この物語には希望がまったくないのです。だから私は何も言えなくなってしまう。絶望を前にして、何か言うことがあるでしょうか。実に恐ろしい物語です。人間であることへの嫌悪感、怒り、憎悪が燃え上がってしまいます。
もう読みたくない。読まなくたって当分忘れられそうにもないのですけれど。


 これは一体何のためなんです?

「深淵」に登場する青年が絶叫するこの一言が、ずっと忘れられません。これは一体何のためなんだか、分かりません。そして私にはこの痛みと苦さを取り除くための手だては何もないのですけれども、でもちょっと元気のあるときくらいは、この問題について考えてみるのも悪くはないかなと、今ふと思えてきました。別にそれが全部無駄に終わったとしても構わないじゃないですか。私はここに絶望しか感じられないと嘆きつつも、しかしそうではない、そんなものであるはずがない、あっていいはずがないと言いたくてたまらない気持ちもあるではないですか。
もしかすると、悪とか汚れとか幸福とか美とか世界とか、そういったものに対する認識を、私は作り直す必要があるのかもしれません。そういうきっかけを与えられたのかもしれません。いずれにせよ、これらの作品は、私が愛するいくつかの物語と同様に、私を強く打ったことは間違いないのでありました。


というわけで、人間の世界の暗い暗い闇を、つい落ち込んでしまいそうな深淵を覗いてみたい方には、このふたつの物語はおすすめ! というお話でした。




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