私はよく、守口市や大阪市の図書館で本を借ります。
その時、音楽関係の棚を見ていて「シュピルマンの時計」という本が目に止まりました。
帯には、「戦場のピアニスト」その後の物語・・・とあります。
「戦場のピアニスト」という映画は、TVで見ました。
第二次世界大戦中のポーランド・ワルシャワを舞台にした、迫害から逃れ生き延びたピアニストの実話が原作です。
映画では、ポーランドの作曲家ショパンの曲が演奏されます。
かつてのショパンの思いも反映しているかのようです。
この映画といえば、「ノクターン遺作」でしょう。
うちの教室でも人気があり、大人の生徒さんTさんも、これを目指しておられます!
写真は、破壊され廃墟となったワルシャワの街に潜むピアニスト、シュピルマンがドイツ軍将校に見つかり、ピアノを弾くよう言われて、「バラード1番」を弾いている場面です。
(実際は、「ノクターン2番」だったそうですが、思いの激しさを表すために曲を変えたのでしょうか。
凄まじい逃亡生活を送っていて、バラードの後半、あんなに弾けないと思いますが・・・。
元気な私でも、バラ1を弾くとゆっくりでも手指が痛くなります。)
その後、将校は食べ物を渡して去って行き、やがて攻めてきたロシアの収容所で亡くなります。
さて、この本の著者は、シュピルマンの息子さんです。
何と、日本語が堪能で、訳でなく、直接日本語で書いておられます。
福岡在住で、奥様も日本人です。
シュピルマンは、親兄弟のこと、戦争のことを一切話されなかったそうです。
ただ、ポーランドでは痛ましいことに、家族を失い、血縁者がいない事は珍しいことではなく、映画を見るまで、息子さんもあまり理解していなかったと。
映画の中の登場人物によって、祖父母や叔父叔母に初めて会うことができたと書いています。
「父にとって、音楽は命の恩人だった。
音楽がなければ、父はあの地獄を生き延びることができなかっただろう。
くじけそうになりながらも精神的に毅然としていられたのは、音楽があったからにほかならない。
ドイツ人に追われ追い詰められていく中でも、暗譜している楽譜を思い浮かべて、指を動かしていた。
その行為によって狂気と絶望の縁から、正気と生への希望に戻っていった。」
息子さんは生き延びた証でもあり、怪我をしたり危険なことは、異常なほど叱られ禁止されたらしい。
共産主義を嫌い、また、有名なピアニストだからいくらでも外国に住むこともできた。
しかし、「私の街であるワルシャワを離れることはできない。」と言って戻った。
家では、一日中ピアノを弾いては作曲していた。
電話での最後の会話は、「水分を充分にとってね。」対し、
「あの時、水を、水をと言いながら、一滴の水も飲めないで苦しんで逝った人のことを思うと、水を飲むのもつらいんだ。」
葬儀は国葬で普通は土葬だそうだが、「自分の家族が燃やされたから、自分も火葬にしてほしい。」と希望していて火葬になった。
・・・ざっと書くとこのような内容です。
写真のドイツ人将校についても書かれています。
日本語字幕では、敬語のドイツ語を話してるのが反映されてない、とあります。
ユダヤ人として追われる立場の男に、敬語で話しかけるドイツ人将校。
この将校は実在で、ナチスの政策は間違いであると、ポーランド人、ユダヤ人の組織的な救出に奔走した人物。
彼以外にも、古くからの多くの友人が自らの危険があるのに匿ってくれたりと、「真の英雄」ばかりに出会い、シュピルマンは命を長らえた、と書かれています。
題名の「時計」ですが、映画にも出てくるように、助けると言って時計をだまし取られます。
家族も時計もピアノを弾くことも奪われ、時間の感覚もなくしたシュピルマン。
そのこともあって、時計に執着し、異常にたくさん持っていたそうです。
「そのうちの一つをかつて父に渡されたが、改めて形見として見つめている。
彼自身の時間を、そして人生を取り戻したその証が、この時計と私。」
「音楽家だった父は、たくさんの音を残してくれた。
CDに収められた父のピアノ演奏、父の作品。私の中の父は永遠なのだ。」