ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:フェデレーションウォーク

2020年05月31日 |  オーストラリア:ゴールドコースト

2018年6月の初ゴールドコースト


2日目の午後は地図上でも
見るからに不思議な形の

フェデレーションウォーク
コースタル・リザーブへ


サーファーズパラダイス
から北へ真っすぐ、鎌の
ように突き出た人工的な形

上が北、右が海、左が陸地
でリアルではこんな位置。


写真だと圧倒的に逆さま
(※環境保護団体フレンズ・
オブ・フェデレーション
ウォーク
のサイトより)

「ゴールドの傍らのグリーン」
というコピーが最高


写真でも無数のビルが突き出る
サーファーズパラダイスにだけ
緑がないのがよくわかります。


ここはかつて砂丘で左の1970年
代はこんな姿だったそうです。

2011年には右の姿になりました。


砂丘の部分は元々は海と川に
挟まれたストラドブローク島
という縦長の島の一部だった
のですが、1898年に暴風雨と
高潮が重なり、防波堤のよう
だった島が決壊して、2つに
分断されてしまいました


かつて島の最南端は現在の
半島の根元左側に位置する
シーワールドの辺りだった
というからビックリです

半島に見えるほとんどが分断
された島の一部だったのです。


分断を機に川の河口は決壊し
た部分へと北上してき、小島
となった部分は砂で覆われる
砂丘となり、メインビーチと
呼ばれる半島の根元部分につ
ながり鎌型の姿になりました。


かつての島の南端、分断され
た小島の部分にはムーンダレワ
という小さな集落があり、1880
年代から人が住み着いていま
したが、分断されて以降は土地
の劣化が進んでいきました。

1938年の床下浸水の家


島の分断から40年後の1938年
以降、ムーンダレワは政府の
支援のもと住人の転居を進め、
1953年に海の中に消えました。

集落は半島先端の公園から、
ゴールドコーストシーウェイ
という海からの進入路の辺り
に位置していたそうで、今や
見る影もありません。



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