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市民ランナーの日々の出来事

読書感想 『幸せの授業』

2023年12月17日 21時39分46秒 | 日記
先日「幸せの授業」の出版記念講演会で受けたワークでショックを受けた。
Q あなたにとって、「幸せ」とは、何ですか?
 という問いに即答できなかったのだ。
自分にとっての幸せを感じる場面はイメージできる。
が、一言で言うと?
と聞かれると
「・・・。」
苦し紛れに
「健康、家族が十分で、現実的にやりたいと思うことができること」
と、このときは答えた。
ここから
「幸せ」についての自分との対話が始まる。

Q あなたの願いを10叶えます。10個の願いを書いてください。
では、
① 定年まで元気に働く。
② 夫婦元気で100歳を祝う。
③ ウルトラマラソン10回完走(現在 6回完走中)
④ 都内に新築の家(日当たり良好)1軒ゲット
⑤ ダイエット 目標58キロ
⑥ 睡眠時間8時間確保
⑦ 週3回以上 サウナで整う
⑧ 月に1回 家族で食事会(独立した子供含め)
⑨ 仲間と月に1回飲み会で盛り上がる。
⑩ 会いたい人に1人ずつ会っていく。
⑪ 定年過ぎても人の役に立つ仕事をする。
⑫ 本を出版する。
制限時間内に12個書くことができた。
願いはあるんだ。
でも、「幸せ」とは何か?
という疑問には答えられなかった。
  その問いに
樺沢紫苑氏は、脳内物質の観点から、
「セロトニン」「オキシトシン」「ドーパミン」などの脳内幸福物質が分泌されることと
本書の1時限目では解説されている。それはわかる。
だが、
幸福脳内物質が出るようにすればいい。
というのが結論だとしたら
少し寂しい気がする。(もちろん本書はそんな冷たい内容ではない。)

幸福脳内物質が出るサプリが開発されたとして
それを服用して幸福感を得るなんてまっぴらだ。
そういう話では・・・ない。

では、まず
自分にとっての「セロトニン」「オキシトシン」「ドーパミン」の3大幸福物質的な幸せはどんな時に感じるのか?について振り返ってみよう。

「自分にとってのセロトニン的幸福」
・散歩して気持ちがいい
・起床後に家事をして身体を動かすと調子が上がっていく
・朝の筋トレをすると気持ちが上がって快調に仕事ができる
・ドリップコーヒーを淹れているその過程
※自分から能動的に動いて集中していたり、整っていくことを意識できるときに幸せを感じる。

「自分にとってのオキシトシン的幸福」
・家族と食事を一緒にするときの楽しく安らかな時間
・担任している児童とおしゃべりをしたり、ハイタッチをしたりするとき
・ランニング仲間とおしゃべりランをするとき
・友人と美味しいお酒を飲み語り合うとき
・他者貢献をしたなぁと自己満足しているとき
※(多くは)自分から意識的に働きかけて、他者とつながりを持てたと感じたときに幸せを感じる。
(この原稿を書いているまさに今、奥さんから「肩が凝ったから肩もんで!」と言われた。「奥様は私に肩をもんでもらって幸せ?」と聞いてみた。「幸せよ。」と答えた。(当然か)
「私も人の役に立っていると思うと幸せを感じるよ。」と言うと「私のおかげね。」とのたまった。お互い幸せであることはよくわかった。ウィンウィンだね。)
 私の場合の他者貢献は他に
・公園のゴミ拾い・・・これは、散歩のセロトニンと誰かの役に立っている(自己満足)オキシトシンのダブル効果で超幸せな時間
・自分の仕事ではないことを進んで行う・・・主に職場 「廊下のゴミ拾い」「フロアーのゴミ箱のゴミ集め」「体育館の開錠・施錠」「日直さんの代わりの戸締り」
※人知れず、いいことをしたと自己満足でもセロトニンが出るのだろうか?「○○さん、体育館の戸締りはしておきましたよ!」「ありがとうございます」なんてやり取りはセロトニンも出ていそうだな。

「自分にとってのドーパミン的幸福」
・ランニングの大会で完走したとき・・・達成感
・今日予定していた仕事を予定していた時刻までにやり遂げたとき・・・達成感
・ほしかった服や靴を購入したとき・・・物欲
・カラオケボックスでお気に入りの歌を熱唱するとき・・・ストレスの解消・達成感
※ドーパミンとは達成感か?小さなことでも達成したと感じたときに自分は幸せを感じるようだ。

次に
「最近、見つけた 幸せな時間」について述べていこう。
ずばり
自分が最近見つけた幸せな時間は
「サウナ」だ。

無論、今までも1ヵ月に1・2回はサウナに入っていた。しかし、それは
スーパー銭湯に行って
ついでに「サウナ」にも入っていたのだ。

より詳しく言うと
ランニング後の回復のために
体を温め、水風呂で脚だけアイシングしたり
温冷浴のついでにサウナにも入っていたのだ。

しかし、
「究極にととのう サウナ大全」
を読んで実行し始めてから変わった。

「ととのう」ために「サウナ」に行くようになった。

サウナ→水風呂→外気浴の流れを守り
3セットもできるだけ守り
「ととのう」感じを楽しむために行くようになった。

サウナハットを購入し
初めて被ってサウナに入る時はドキドキ感を味わった。

今は、外気浴をしているときの
「マインドフルネス」感
ただ、目を閉じ 今を感じるときの幸福感
穏やかな幸せを感じる。
この時間を味わいたくて
金曜日の仕事終わりに定時に職場を出て
サウナが充実している(少し遠くの)スーパー銭湯にも通うようになった。
1週間の疲れも
外気浴マインドフルネス効果で吹き飛ぶような
気がする。

現在
職場のS氏もこの仕事終わりサウナの道に誘う計画が進んでいる。
仲間とサウナに行くというのも自分にとっては
コンフォートゾーンからの脱出で
楽しみが増える。

最後に
「幸せ」についてもう一度考えてみた。

前述の出版記念講演会で樺沢氏は
「自分がどんな時に幸せを感じるのかが分かっていないと
 その状態になった時に幸せと感じることができないでしょう。」
というような話をされた。
だから、
自分が幸せを感じる時を明確にしておく必要があるのだ!
となる。
その時は激しく同意した。
しかし、
しばらく時間が経ってから
「いや・・・。」

思ってもいなかった幸せってあるんじゃないか?
と思うようになった。

例えば、
今日散歩をしていた時
むこうから、犬の散歩をしていたおじさんが犬に向かって
「ほら、前を向いて歩いて。」
と言っていた。
小学2年生の担任をしている私と同じことを言っていると思って
思わずニヤリとし、ほのぼのとした幸福感を味わった。
こんな幸せの味わい方があるなんて知らなかった。

例えば、
「あした死ぬかもよ?」(ひすいこたろう 著)の中で
小林生観さんの言葉を引用していた。
「淡々と過ぎていく普通の毎日が幸せの本質です。」
に続いて
・目の見えないカップルはお互いの顔を1秒でも見たいというのが夢
・小児癌病棟の子供の夢は「大人になりたい」

見えること・聞こえること・話せること・歩けること・今日ご飯が食べられること
もう、いま、幸せに囲まれている

「幸せの授業」
を読んで幸せに関するアンテナが立った
色々な幸せについて考えるようになった。

自分が
今既に幸せであることを感じながら
これからも
様々な幸せを味わい
ブログを通して、発信もしていきたい。
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