ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

北海道のウリハッキョを訪ねて 詩 ウリハッキョの朝

2021-08-09 20:14:26 | 詩・コラム
2013年3月、北海道のウリハッキョを訪ねました。





 「우리 학교의 아침」


아침 깨여나보니
윙윙 소리내며 휘몰아치는 눈보라
창문 너머 펼쳐진 어마어마한 은세계

꿈일가?
아닐거야 여기는 분명
혹가이도의 우리 학교 포근한 기숙사

렬차도 멎고 뻐스도 멎어
뜻밖에 학교는 림시휴교 되여
예정한 강연회도 날아가버렸구나

아쉬운 마음으로 교사내를 돌아보는데
놀랍구나 키를 넘는 눈속에 뛰여들어가
위험도 무릎쓰고 일하는 선생님들
온몸이 삽이 되여 얼음눈을 파헤친다


           
                                                
계속된 폭설때문에 막혀버린 페기구멍
뚫지 못하면 큰 사고 난다고
사정없이 볼을 치는 눈바람 맞으면서
바위같이 딴딴한 눈덩이와 씨름한다

대견스런 마음 누를 길 없어
<수고하십니다!> 인사했더니
쑥스러운듯 싱긋 웃으며
기운차게 손 놀리며 쉴줄 모르시네

제힘으로 지켜온 소중한 우리 학교
우리 학교에선 늘 보는 광경이라고
놀랄것 없다고 선생님들 웃으시지만
코허리가 찡하여 눈앞이 뽀애졌네

정녕 혹가이도 우리 학교의 아침은
언제나 이렇게 시작되는구나
그래서 언제나 봄날처럼 훈훈하구나

일본땅 북단에서 나는 보았네
학교 위해 학생 위해 한몸 바침을
흔한 일로 여기는 끌끌한 선생님들을

가슴 뜨겁도록 보고 또 보았네
눈석이를 믿으며 앞서가는 선생님들을
열두달 몰아치는 모진 바람 이겨내며
오늘도 밝아오는 우리 학교의 아침을!




「ウリハッキョの朝」
          

朝 目が覚めたら
外は 荒れ狂う吹雪
窓の向こうに広がる 厳しい銀世界

夢?
いえいえ まさしく此処は
北海道のウリハッキョの 暖かい寄宿舎

列車も止まりバスもストップ
思いもかけず 休校になり
予定していた講演会もふっ飛んでしまった



                                                              

「残念だなぁ」と 校舎をまわっていたら
これは驚き 背丈を超える積雪の中で
危険も顧みず スコップ片手に
氷のように固まった雪と勝負する先生方

豪雪のため詰まってしまった排気口
雪を取り除かなければ大変なことになると
容赦なく頬を打つ風雪ものともせず
岩のように固い雪の塊と格闘しつづける

                                   

雄々しい先生方の姿に 胸打たれ
心の底から出た言葉
「ごくろうさまです!」

照れくさそうにニヤッと笑い
休むことなく作業を続ける先生方

自力で作り、自力で守ってきたウリハッキョ
うちの学校ではいつものことだと
驚くほどのことではないと笑う先生方
胸が熱くなり 目の前がぼやけてしまった

まさに北海道のウリハッキョの朝は
いつもこのように始まるのですね
それで春の日のように暖かいのですね

日本の北端で私は見たのです
学校のため学生たちのため尽くすことを
当たり前だと思っている真の先生方を

目頭が熱くなるほど見つづけたのです
雪解けを信じて 明るく働く先生たちを
12ヶ月止むことのない雨風をはねのけ
今日も迎える ウリハッキョの朝を!



                                      




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生まれ故郷―青森県平川市碇ケ関を訪ねて10年が過ぎました。記念誌再掲

2021-08-09 10:16:17 | 詩・コラム
2011年7月、生まれ故郷である青森県平川市碇ケ関を初めて訪ねました。碇ケ関支所長であられた花岡様、職員であった黒滝様には生涯返すことのできない大きな恩を受けました。



記念詩 「生れ故郷―碇ヶ関を訪ねて」


 1.キャッスル号に乗って



東北のウリハッキョでの慰問公演を終え
弘前行きの キャッスル号に乗り込んだ

ついに 行くのだ 碇ヶ関に
夢にまで見た 生まれ故郷に

62年もの 長い間
心のどこかで いつも気がかりだった

何処で どんな所で生れたのだろう 私は
いつかは いつかは 探しに行かねば…

果てしなく続く田園風景 青さが目に染みる
トンネルを何度も潜りぬけ 高速バスは行く

「碇ヶ関まで27キロ」 掲示板の文字に
ドックン ドックン 鼓動が高鳴りはじめた 

左下に集落が見える 赤茶っぽい屋根の建物に
はっきりと書かれた 「碇ヶ関温泉郷にようこそ」

一瞬に通りすぎてしまった だが まぎれもなく
私は向かっているのだ 人生の出発点に!



記念詩2.碇ヶ関駅にて

           
弘前から奥羽本線のワンマンカーに乗り
4つ目の駅で降りた 碇ヶ関だ

小高い山に囲まれた 静かな佇まい
見渡す限り 青々とした田畑 リンゴ畑

大正の頃から変わりが無いという
碇ヶ関駅のホームに 立ち尽す

上野発青森行きの 蒸気機関車に乗って
オモニも降りたんだね このホームに

激しい 陣痛に耐えかねて
姉と次兄を連れ やむなく降り立った駅

どんなに心細かっただろうか
頼る人も知る人もいない この駅で

階段を一段一段上り渡り廊下を歩く
階段を一段一段下り出口に向かう

駅員も見当たらない小さな駅
切符を受け取る人もいない駅

62年の歳月を経て 今 ここに立つ
オモニのお腹にいた私が ここに立つ





記念詩3.日曜日の碇ヶ関支所


          
丁度1ヶ月ほど前 FAXを送った
インターネットで捜した 碇ヶ関総合支所に

「私の 生まれた場所を 探してください。
 碇ヶ関の小さな自炊旅館だったそうです。」

手がかりは ただ それだけ 
雲を掴むような おはなし

なのに 総合支所の皆さんは
自分事のように涙し 探し続けて下さった

仙台へ出発する二日前 ついにきた 嬉しい便り
「見つかりました!着いたら支所に来てください」

日曜なのに と 心配する 私に
何時でも良いから と 仰る 黒滝さん

こんな偶然があるだろうか
予約した宿が 総合支所の 隣だったなんて

宿に着くなり向かった 総合支所で
支所長さんと黒滝さんが 暖かく迎えてくれた

沢山の資料、地図、特産物、リンゴ、生ジュース
碇ヶ関の ネーム入Tシャツまで 着こんで

70匹もの 蛍まで 準備してくれていた
碇ヶ関の夜を 蛍と共に 過ごすようにと…





 記念詩4.星空に抱かれるように 

          

高さ15CMほどの ガラス瓶の中に 
田んぼで取ったと言う 70匹の平家ホタル
蓋には 「ホタルのホテル」と 刻まれていた

昨日の夜 田んぼの近くまで 車を寄せ
ウインカーを チカチカ 点滅させて
集まってきた 蛍を 一気に 詰めたそうな 

夜中の12時 全ての電気を消し
布団に横たわったまま じっと 見つめる
蛍たちが踊りだした 右に左に ぐるぐると

真っ暗闇の中 ホタルが放つ光が
ガラス戸や鏡に反射して作った 幻想的な空間
夢を見ているような 嬉しい錯覚

視力の弱い事が こんなに 効を奏するなんて
まるで 霧の中 湖の傍に 佇んでいるよう
満天の星空に 抱かれているよう

遠い昔 星降る夜 オモニが作ってくれた浴衣を着て 
近所の綾ちゃんと 盆踊りに出かけた日の事が
なぜだか 浮かんでは消え 消えては浮かんだ

花岡支所長さんの 優しい 思いやりが
生涯忘れる事の無い 幸せな夜を くれた
生れ故郷での初めての夜を 心に刻んでくれた




記念詩5.白沢の水場  

   
          
「こちらです」 朝 支所長さんの声
碇ヶ関支所から車で5分ほどのところ
私が生まれたという 木賃宿の跡地

雑草が茂る空き地だ 思ったより小さい
左横はすぐ山のふもとだ 線路跡がある
汽車が通るたび 家が揺れたそうだ

入り口に 白沢の水場 生命の水場     
山から管を通して 引っ張ってきた水 
江戸時代から 流れ続ける 白沢の水

水道のなかった 昔も今も 共同の水場 
木賃宿の客人も ここで顔を洗い洗濯をし
井戸端会議に花を咲かせた 貴重な場所

オモニもこの水で 炊事洗濯をしたのか
私のオシメを洗い 時には沐浴もさせてくれ
6ヶ月間 触らぬ日がなかった 白沢の水

手を伸ばし触って見た 冷たい!
初めて実感する 生れ故郷の感触
脳裏に浮かぶ セピア色の オモニの顔写真

何度も何度も触ってみる
手のひらで水を受け 口に含んでみる
おいしい! 涙と一緒にごくっと飲み込んだ




記念詩6.花岡チエさんとの対面



「外崎さんの おばちゃんはね
それはそれは 優しい人でしたよ」

捜していた木賃宿の隣で生れ育ち 今も住む
花岡チエさん 3代続いた教員の家に生れた方
私よりも一回り年上の ほっそりした上品な方

旅館代の払えない貧しい人々が 通りすがら
この木賃宿に泊まったそうだ 部屋は4つだけ
子供さん二人抱えて 宿を営んでいた外崎さん

チエさんの話を聞きながら オモニの話を思い出す
駅を降り 大きなお腹抱え当ても無く歩いていた時
1人のお婆さんが うちにおいでと言ってくれたと

部屋に入って間もなく 産婆を待つ時間も無く
私が生まれ へその緒を自分の歯で噛み切ったと
この方に会っていなかったら オモニは?私の命は?

「間違いないわ。この辺で木賃宿はここだけだし
 外崎のおばちゃんなら 必ず 助けたはず!」

有難うございます 花岡さん 生きていてくれて
あなたのおかげで やっと 見つけました
紛れも無い 私のルーツ 生れ故郷の住所を!

「青森県平川市碇ヶ関160番地の5」
命の恩人 外崎さん 証人の 花岡チエさん
手を握り 涙しながら喜び合った 感動の瞬間!





記念詩7.碇ヶ関支所での朗読会


         
花岡チエさんとの感激の対面のあと
興奮覚めやらぬまま 支所に戻った
支所の皆さまが開いて下さった朗読会

「朝鮮学校無償化除外反対」を訴える為
生れて初めて日本語で書いた 詩 <ふるさと>
広島、東京、京都、奈良、大阪の朗読会で、集会で
幾度と無く朗読しつづけてきた 詩 <ふるさと>

その詩を 今 <ふるさと>で 朗読するのだ
足も声も震える こんなこと初めてだ
夫の優しいフルートがそっと励ましてくれる

「生まれ育ったところが故郷だと
 誰が言ったのだろう
 私には故郷なんてなかった
 ふるさとがなかった… 」

誰が想像したであろうか
生れ故郷の 碇ヶ関で 
この詩を朗読する日が来るなんて

この詩を詠むたび 思ってた
誰に 私の悔しさがわかるものかと
誰に 私の悲しみがわかるものかと

だが今 私の胸に迫るものは 感謝の気持だけ 
こんなに 素晴らしい村で生れただなんて
こんなに 素晴らしい人々がいただなんて…







記念詩8.三笠山に登って


            
青々としたアカシヤ あちこちに見える天然杉
白く可憐なリンゴの花に囲まれて
少年期をここで過ごした 葛西善蔵の文学碑

到る処にあじさいの花が 明るく咲いている
支所長さんらが 学生の頃 植えた苗が
ブルー、ピンク、薄紫の花を 毎年咲かせる

三笠山の山頂から 碇ヶ関村の全容が見える
バスの中から見えた「碇ヶ関温泉郷にようこそ」が
総合支所の裏壁だったなんて 嘘みたい

赤、青の屋根が目に付く 全てトタンだそうだ
寒い冬に雪が滑り落ちるよう 工夫されている
碇ヶ関は二つの山脈に囲まれた盆地だったんだ

室町時代から 関所のある宿場町として栄え
村を流れる平川の清水、果てしなく広がるりんご園
豊かな自然といで湯に恵まれた 閑静な里

人口2、800人にまで減ったけど
村に対する誇りは誰にも負けない
黒滝さんも支所長さんも碇ヶ関の人だ

「おまえはリンゴ畑で拾ってきたんだよ。」
言われるたび 青森に帰るから電車賃をくれと
駄々をこねた 昔がほんに懐かしい

「おーい 碇が関ー 私はついに来たよー」
叫びたい気持ちを抑え リンゴ畑を歩き続けた













記念詩9.三笠食堂で



「この村で一番古い三笠食堂で
 お昼をいただきましょう。」

支所長さんにつづいて食堂に入る
昭和の雰囲気が漂う 古いお店
アルバムや雑誌なんかも置いてある

壁に貼られた大きなポスター
<自然薯ラーメン> 美味しそうな響き
「私これにします」 結局 皆このラーメン

ラーメンを待っている間 話が行き交う
今日の朝訪ねた 花岡さんのお父様に
ここのご主人も 習ったそうな

アルバムを見ていると分かる 大正時代の様子
昭和の時代の平川や橋、馬車まで走っている
大阪から生れ故郷を探しにきたと紹介される

「木賃宿の名前がわからんのです」
「あぁ、白沢の水場の木賃宿かね、大黒屋さんや
出前頼まれて よう行ったから間違いないわ」

大黒屋?大黒屋?! 役場でいくら調べても
最後までわからず 諦めかけていた屋号が
こんなにも簡単にわかるなんて 奇跡?偶然?

碇ヶ関に来てビックリすることだらけ
ひとつの 大家族のような村 
血の通い合う 暖かい 私の生れ故郷!



記念詩10.碇ヶ関の名所を巡る


           
三笠食堂の2代目店主 阿部さんから
貴重な証言を頂いた後 たけのこの里に向かう

樹齢200年の大杉の前に佇み 仰ぎ見る
しばし時を忘れ 森林の心地よい香りに酔った

春は山桜が咲き乱れ 夏は楽しい渓流釣り
秋は紅葉、バーベキュー、温泉も楽しむ贅沢さ

コテージが素敵 中に入るとまるで我が家のよう
「来年の秋 姉や兄と 必ず泊まりに来ます」

つい口から出た言葉 でも嘘じゃない 本当だ
何回でも来たい処 小川のせせらぎが心地よい
 
帰って報告すればどんなに喜ぶことだろう
家族みんなで行こうと 言うかも知れない

再び 碇ヶ関駅に戻り写真を撮る 心に刻む
駅隣の 屋内村民プール遊泳館にも立ち寄る 

かけ流しの温泉がある 道の駅いかりがせき
移築した関所の面番所で 江戸時代にタイムトラベル

たけのこの瓶詰め,自然薯そばに青森りんごきらら 
お土産もどっさり 大満足 ポッカリ雲が笑ってる

碇ヶ関の全てを持って帰りたい 大阪に
7色の温泉が 又おいでと 湯煙を立てている







最終章。果てしなく続く旅


          
大阪に向かう飛行機の中で ずっと考えた
私はなぜ 碇ヶ関を 捜し続けたのだろうか
私はなぜ 生地に こだわり続けたのだろうか

人は皆 生地を持つ しかし 選ぶ事は出来ない
ましてや 私は異邦人 流れ流れて 着いた村
昨日今日の話では無い 遡れば 100年も前だ

国を奪われ やむなく祖父が日本に渡り 
祖父を頼って日本に来た父は 母と出会った
職も無く 転々と彷徨う中で 生まれた 私

外国人登録証なるものを初めて見た中学生の時
両指10本の指紋をとられながら 私は思った
私は罪人か? 一生 これに縛られるのかと

心のどこかでいつも 怨んでいた
国を奪ったもの達を 離散家族を作ったもの達を
チマチョゴリも自由に着て歩けない この国を

60年もの間 かたくなに心を閉ざし
決して許す事はなかった 祖父の足を奪った輩
出生地も 知らぬまま 生まれ育った 悔しさを  

がむしゃらに勉強をした ウリマルの勉強を
誰よりも自分の国の言葉を上手に喋りたいと 
異国生れを 下手な口実にはしたくなかった

定年を迎え ふと 我に返ったとき 思った
生れた場所も知らないまま 死んで行くのかと
子供たちに伝えねばならぬものは なんなのかと

心優しい人々が住む 碇ヶ関で 命を授けられ
今もなお 心豊かな この村の人々の お陰で
ルーツを探せた感激、喜び、深まる感謝の気持ち

その想いが強いほどに 私は思うのだ
私の祖父、父、母が生まれ育った誠の故郷を
一度も見ないまま ただ年を重ねるべきなのかと

植民地に継ぐ 南北の分断はあまりにも長すぎた
個々の悲しみに背を向け 頑張り続けた半世紀
背中の丸くなった長兄は 未だ1人で済州島に

必ず捜しにいかねば 堂々と 胸を張って
民族の誇りを守って生きてきた 60年を
決して無駄には出来ない 決してしまい

果てしなく旅は続く でも私の足取りは軽い
必ずや 統一を迎えた故郷で 家族が集い
碇ヶ関でのことを 笑いながら話せる日は来る!

碇ヶ関の人々がそうであったように
私も民族や国籍に拘らず 困った人を助け 
日朝の架け橋になろうと 静かに誓った


          終



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