冬になったら、ジュンベリーをぶどう棚の横に移し替える予定だ。
鉢植えのまま庭の真ん中に置き、居間から見えない死角にあるため、傍若無人な鳥どもに実を食べられてしまうので、目の届くところに移し、来年こそ鳥を追っ払ってやろうとケチくさいことを考えている。
次に垣根の脇にある、ビックリグミを抜いてしまう。ビックリするほど大きな実が、ビックリするくらい実るから、この名がついたと聞き、すぐさま買った。あれから4年経つというのに、大きくなるのは木ばかりでサッパリ実をつけない。毎年沢山の花(おそらく200くらい)をつけるのに結実せず、十粒ほどの成果で終わる。
いくら見事な紅い実がなっても、この乏しい収穫では、そちらの方にビックリさせられる。加えて春にはアブラ虫の巣窟となり、どの葉の裏にもビッシリと、まるで虫の養殖場みたいになってしまう。虫の嫌いな家内と相談したら、一も二もなく賛成したので晩秋には即実行だ。
最初に計画しているのは、和室の前のグレープフルーツを抜き、甘夏と入れ替えること。グレープフルーツは植えて五年になるが、葉ばかり茂らせ、花をつけない。これもまた毎年青虫やアブラ虫、なめくじ、果てはテントウ虫の幼虫までがはびこり、ほとんどの葉が、若葉のうちに痛めつけられてしまう。
鉢植えの甘夏が玄関横にあるので、これを代わりに植えようというものだ。甘夏も似たような状態だが、まだ元気そうなので、植え替えたら、勢いづいて花をつけ、実を結ぶのでないかと、捕らぬ狸の皮算用をしている。
庭木の育たない原因は、手入れの悪さも一つだが、それ以前に土壌にあると信じている。庭全体が粘土なので、何か植える時は必ず穴を掘り、買って来た土を入れなくてならない。越して来た当初は、庭木の知識がないため、いい加減に穴を掘り、適当に土を入れていたが、そんなことでは育たないということが、最近になり分かって来た。
雨の度に、水はけの悪い庭が、まるでプールのようになってしまう。、小さな浅い穴に植えられた花木は、粘土の中で、根を十分に張れず元気を失う。猫の額みたいな狭い庭を、木の緑で一杯にしたいと、とんでもない夢を抱く家内が、他にも木を植えているため、穴堀りには、それらの根を傷めないための余計な注意がいる。
だから、冬に予定している諸作業は、口で言うほど簡単なものではない。頑固でやっかいな粘土を掘り返し、大きな穴を作り土を入れるのだから、一日で終わらない力仕事になる。
掘り起こした粘土の始末にしても、簡単に捨てられないので、これがまたひと苦労だ。今年もまた家内といたわり合いつつ、短気な私が喧嘩もしながら、汗を流すことになるのだろう。それでも、計画が完了した時の喜びの方が大きいので、今は楽しみと期待と緊張が入り混じる。
こんな重労働がやれるのだから、どうしてどうして、私はまだ十分に若い。市役所がくれた「高齢者用の保険証」を返上したいと思うくらいだ。