ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

岩波新書  ( 一橋大学田中教授の、反日著書出版 )

2013-09-04 16:03:45 | 徒然の記

 田中宏著『在日外国人』(  平成7年刊 岩波新書  )、を読了。

 氏は昭和14年に東京で生まれ、私より5才年長の一橋大学教授である。
40年くらい前の話になるが、私が学生だった頃は、岩波新書を手にしていれば、洒落た進歩的な人間という風潮があった。

 ミレーの「種播く人」を挿絵にした岩波の本は、真実を追究し、知識を求める学生たちに、不思議な魅力を与えていた。

 けれども、こうして改めて新書を読んでみると、これもまた「反日」の書の一つでしかなかったという発見をする。時の流れと、変化の大きさを痛感する。

 年齢から考えると、田中氏も当時の若者らしく、希望の「社会主義思想」に傾倒した人物だったに違いない。いわゆる左翼系の学生は、貧しさの原因を作る資本主義を憎み、倒すべき敵として激しく攻撃していた。

 全学連も赤軍派もこうした時代の産物で、中国や北朝鮮・キューバなどに強い憧れを抱き、結果として日本を嫌悪し、否定する人間たちを産んだ。

 「アメリカ進駐軍の放出物資である、チュウイン・ガムを手にしても、」「感激したものだった。包んでいる銀紙はまぶしいほどに輝き、口にした時の、あのスーとした口触りは、民主主義の心地よさを、体にしみ込ませてくれるようだった。」

 「敵性語として排撃されていた、カタカナ語が復活し、カム・カム・エブリボディで、始まるNHKのラジオ英会話講座が一世を風靡した。」

 「学校で、初めて教えられたローマ字を使い、さっそく自分の名前をノートや教科書に、無心に書き込んだ往時の記憶もよみがえってくる。」「このように8・15の原体験は、みごとに、それ以前と以後とを截然と分かち、新鮮で、かつ革新に満ちたものとして、私の心に刻まれている。」と、これが敗戦直後の氏の感慨である。

 近所の子供たちと、私もアメリカ兵のジープを追いかけたが、ガムやキャラメルが貰えたのかどうか定かな記憶がない。

 戦前と戦後の比較を、新鮮にも、明確にも心に刻めなかったのは、氏より5才年下だったという事実が、もしかすると幸いしたのかもしれない。おかげで私は氏のように、日本の戦前をガムと比較し、簡単に捨てずに済んだのではなかろうか。

 幼い頃アメリカを礼賛し、日本を軽視していても、たいていの人間は大人になるにつれ、色々な知識を得て、思い込みや印象を変えて行くのに、氏は子供の心のまま大人になり、反日の教授として生きている。

 氏が述べている、「在日外国人」というのは、韓国・朝鮮人のことで、朝鮮を植民地支配した日本に、全ての責任があるという立場での主張だ。

 「今や日本は、外国人を排除することに、頭を使うのでなく、外国人と共に生きる社会を築くために、知恵を絞り発想を転換することが、求められているのではなかろうか。」、と力説している。

 在日朝鮮人たちは、日本の中で反日の教育をし、日本への憎しみを掻き立てている。近頃の韓国は、大統領以下多くの国民までが、「日本は歴史認識が足りない」「千年たっても消えない憎しみがある」と合唱している。

 氏は外国人の地方参政権や、教職員への採用、地方公務員への採用推進を訴え、全ては日本の責任で、朝鮮人は被害者だから、彼らのため何でもすべきと言うが、日本人の賛同が得られるのだろうか。

 「日本が全て悪い。」という結論を急がず、もっと周囲を見渡せば、違うの世界がて見えるはずなのにと思う。

 大学教授としての氏の良識だけでなく、氏の在籍している一橋大学、本を出した岩波書店まで疑いたくなる。連日のように繰り返される、中国、韓国・北朝鮮の悪口雑言に腹を立てる前に、日本の中にある反日の大学、教授、知識人、出版社への対策を考える方が先でないかのと、やはりそう思う。反日売国の朝日新聞も、岩波書店も、その一部に過ぎない。

 反日対策は、前途遼遠・・・、これはほんとうに長い道のりだ。

コメント
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