田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

朱の記憶/麻屋与志夫

2011-07-25 15:42:37 | Weblog
3

パレットにしぼりだされた絵の具の色。
――わたしは眩暈をおぼえた。
それどころか失神してしまっていた。
グラッと大地がひっくりかえった。
からだの芯にひびいてくる恐怖。
おののきながらわたしは気を失っていた。

わたしは名前を呼ばれていた。
母の声のような、たえてひさしくきいていない優しい呼び掛けだった。
頭の中にはまだ赤い粘性の絵の具が渦をまいていた。
わたしのからだは痙攣していた。
幼児への退行現象でもおきたのか。
わたしは赤子のようにK子の胸に顔をふせて、ふるえていた。

「夏の日の水神の森」

その絵はあった。
静物と風景画のおおいMの作品群の中にあって。
その絵にはめずらしく少年と少女が描かれていた。
それも、点景人物というより、人物そのものが主題だった。
そう、わたしとK子を描いてくれたものだった。
あの、赤――バアミリオン。
わたしが失神するほどの衝撃をうけた赤い色彩。

わたしとK子のまわりには。
赤い線が昆布かワカメのようにゆらぎながら。
上にのぼっている。
わたしの赤への過剰な反応が画家の感性を刺激したのだろう。
これは若者の精気。
わかさのフレイヤー。
あるいは精液などと評論家がしたり顔で解説している。
かれらはこの絵が成ったモチベエションをしらないのだから無理もない。

わたしはこの絵が展示されているかもしれない。
という、仄かな期待はもっていた。
むしろ、予感といってもいいかもしれない。

はるばる鹿沼からきた甲斐があった。

その絵を正面から見られる場所に正方形のソファがあった。
むろん人垣に邪魔されてときどき垣間見ることしかできない。
それでじゅうぶんだった。  
立っていたらあのときのように倒れてしまうかもしれない。
生涯二度ともう巡り合えないだろうとあきらめていた絵だ。
かつてはわたしの手もとにあった絵だ。
夏のあの日をカンバスに閉じ込めた絵。

「やっぱりきたわね。おひさしぶり」
わたしは正方形のソアァにすわっている。
背後から声が流れて来た。
はるかな年月のかなたから蘇って来た声。
やはりK子だ。
K子だった。
……ながいこと失われていた懐かしい声だった。
「でもひさしぶりだなんて、なんねんぶりだと思うのですか」
「ふりかえらなくていいわよ。
ふりかえらないで。
六十年はたっている……もうわかってもいいのに?
まだ、わからないの?
わたしにとってはつい昨日のことよ」

わたしは背中合わせに彼女のぬくもりをかんじていた。              
 
失神から覚めたわたしは。
あのとき。
あの水神の森で。
彼女にだきしめられていた。

「あら、あなたたちそういう関係だったの」
若かりし頃の女流画家のMがわらった。



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