9月15日 Sat.
矩を踰えず
●小説家としてのわたしが自省をこめて告白すれば、若いときはどうしても自己中心的な書きかたになってしまう。これではいけない。小説はあくまでも、読んでくださる方に、楽しさを伝えなければいけない。読んで不愉快になるような作品を書いてはダメなのだ。
●幸いというか、残念というか、好き勝手に書いても『矩を踰えず』という年齢をすでに過ぎている。思うままに書いても、モデルがあった場合でも、そのモデルとなったひとを傷つけるようなことにはならない。ああ、こんなふうに書けば、ひとを傷つけなくてすむのだなと、自己納得することが間々ある。
●元塾生からリクエストがあって、カクヨムに再録した『安穏作家の穏やかな日常』はその点、じぶんがモデルだから一気呵成に書くことができた。傷つくのは、じぶんだ。事実ココロではないが、わたしは肉体が傷ついていた。前立腺癌を患い死の不安に直面していた時の作品だ。
●自動筆記法の真似ごとをしてみた。6Bのエンピツを何本も用意した。ワラガミ――おお、何と古い言葉だろう。少しくすんだザラツイタ紙なのだが、大量に買いだめしていたので、あの頃まではまだ残っていた。わたしはいまの西洋紙のつるつる滑るのがどうも苦手だ。文字を書いている実感、手ごたえがないからだ。
●エンピツも紙も揃った。そうれ!! とまさか、掛け声はかけなかったが書きだしたものだった。
●書き上げて、自信をもって、ある純文学の公募に応募したがミゴト落選。ガクットときてそのままあるサイトに載せて、そのあとは、失念していた作品だ。
●それが、リクエストに応えて『短編小説の部屋』に載せたところ好評で毎日PV、訪問者がふえつづけている。うれしい。こんなことは、じめてだ。
●生きている間に、それも若い世代の読者が読んでくれる――こんなことが起きるなんて、わたしにとったら奇跡にちかい。若者がサポートしてくれるとはうれしい。
●つくづく、作品の良し悪しは読者が決めてくれることなのだと痛感している。
麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。
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●自動筆記法の真似ごとをしてみた。6Bのエンピツを何本も用意した。ワラガミ――おお、何と古い言葉だろう。少しくすんだザラツイタ紙なのだが、大量に買いだめしていたので、あの頃まではまだ残っていた。わたしはいまの西洋紙のつるつる滑るのがどうも苦手だ。文字を書いている実感、手ごたえがないからだ。
●エンピツも紙も揃った。そうれ!! とまさか、掛け声はかけなかったが書きだしたものだった。
●書き上げて、自信をもって、ある純文学の公募に応募したがミゴト落選。ガクットときてそのままあるサイトに載せて、そのあとは、失念していた作品だ。
●それが、リクエストに応えて『短編小説の部屋』に載せたところ好評で毎日PV、訪問者がふえつづけている。うれしい。こんなことは、じめてだ。
●生きている間に、それも若い世代の読者が読んでくれる――こんなことが起きるなんて、わたしにとったら奇跡にちかい。若者がサポートしてくれるとはうれしい。
●つくづく、作品の良し悪しは読者が決めてくれることなのだと痛感している。
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