田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

中津博君の家があのころは鹿沼の「梁山泊」だった。麻屋与志夫

2022-02-28 09:52:03 | ブログ
2月28日 月曜日
中津博君の家があのころは鹿沼の「梁山泊」だった

散歩に出る。
弁天さんの横をとおる。
聖母幼稚園からはにぎやかな園児たちの声がする。
この元気に遊びまわっている子どもたちは、これからどんな人生を送るのだろうか。
昔の沢田タバコ屋さんの角を曲がる。
切通しのある道を行くことになる。
このへんは、子どもの頃の思い出の場所だ。
右手に中津博君の家があった。
中津君の家は梁山泊とわたしは当時から思っていた。
博君の弟の良ちゃんたちは、中学生なのに「週刊朝日」を読んでいた。
大関さんと知り合った。
演劇集団「蟹の会」を後になって結成した。
鹿沼の文化運動を牽引してきた男だ。
あの世代の鹿沼の学生はすばらしかったと往時をなつかしんでいる。
白石さんは文芸春秋の社長。定年後は「司馬遼太郎記念館」館長。いまは亡き人。
大関さん、茂田さんや柳田さんは元気なのだろうか。
良ちゃんは健在なのだろうか。
そういえば、博くんには可愛い妹がふたりいた。

「木村さんは小説家志望だから、疾風怒濤、戦後のぼくらの生きざまを将来書いてください」
と彼らにそう頼まれた。
わたしはその依頼をまだ果たしていない。
彼らと共に生きた戦後の青春群像。
はたして、わたしにそれを書くだけの時間が残されているのだろうか。
彼らが、鹿沼にのこって活躍していれば、この田舎町はもっと文化的になっていた。
ボウリング場のわきの坂道をのぼる。
息切れがする。
みっともないったらありやしない。
とても、あの時代のことは、わたしひとりでは書いていけない。
これが東京にいればアッシスタントがいくらでもいるのだが。
残念ながら、小さな田舎町では文章の勉強をしたいなんて若者はいないのだろうな。




麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。
ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。
カクヨムサイトはこちら

 

  今日も遊びに来てくれてありがとうございます。
 お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。
 皆さんの応援でがんばっています。















最新の画像もっと見る

コメントを投稿