8
夏だった。
墓地には、体や足に白いまだらのある藪蚊がむれていた。
さされるとひどく痒かった。
頭山満? だったろうか。
記憶もさだかではなくなっている。
右翼の大物の墓だったことは確かだ。
苔むした石の境界柵に腰を下していた。
柵は太い鉄の鎖でつながれていた。
鎖にかけた腰を、誰かが揺すっている。
赤さび色の鉄の粉が光に浮いていた。
揺すられるたびに、さび鉄の粉がこぼれおちているのだった。
鎖の擦れる、がさつな摩擦音がしていた。
蚊にさされて足や腕の皮膚がはれあがっていた。
後に竹書房を創設する今は亡き、野口恭一郎がいた。
作家となる板坂康弘。
シナリオライターの松元力。
夭折したときいている北村篤子。
敬称は必要としないほど仲がよかった。
「シナリオ現代」という同人誌をだそうと話題はもりあがっていた。
誰かが。
わたしだったのかもしれない。
新聞紙に火をつけた。
煙で蚊をおいはらうためだ。
かわききった新聞紙は期待通りには、煙をあげてはくれなかった。
赤い炎の舌をちょろつかせて燃え尽きた。
そのうえに新聞紙を重ねた。
パトロールしていた警官をひきよせることになった。
蚊をおいはらう煙が、警官を呼び寄せてしまった。
時子が涙をぽろぽろこぼしてあやまってくれた。
たまたま、墓地を散歩しょうということで、わたしと一緒にいたのだった。
若いお巡りさんは――。
時子の涙をみるとじぶんがなにか悪いことをしたように、赤面した。
説諭されただけですんだ。
「演技賞だよ」
とみんながポケットの底をはたいて、かき集めたお金が三百円になった。
「これでコーヒーでも飲んでよ」
時子とわたしはそれを遠慮なくいただいた。
「いつ……わたしが主演の戯曲をかいてくれるの」
「シナリオと戯曲のセリフのちがいがつかめたら……」
「約束よ……」
時子は小指をさしだした。
「わたし、記憶力がないから……ながいセリフはいやよ」
六本木まで歩いた。
デェーモンでコーヒーを飲んだ。
「デェーモンでなに話たのだろう」
「わすれたわ」
「ヌーベル・バーグの話でもしたのだろうな」
思いだせないでいると、彼女がつぶやくように言った。
「どうして、若者があんなにビンボウしていたのかしら」
「日本が高度成長経済に沸くまえだったから」
「いまのようにバイトで働くこともできなかったわ」
東京オリンピックまで5年。
東京タワーの基礎工事がはじまっていた。
「三丁目の夕日」の頃だ。
若者がヤングなどと呼ばれることはなかった。
独身貴族などという表現もなかった。
せめて老人医療がいまのような制度になっていれば――。
わたしの苦労は半減されていたはずだ。
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夏だった。
墓地には、体や足に白いまだらのある藪蚊がむれていた。
さされるとひどく痒かった。
頭山満? だったろうか。
記憶もさだかではなくなっている。
右翼の大物の墓だったことは確かだ。
苔むした石の境界柵に腰を下していた。
柵は太い鉄の鎖でつながれていた。
鎖にかけた腰を、誰かが揺すっている。
赤さび色の鉄の粉が光に浮いていた。
揺すられるたびに、さび鉄の粉がこぼれおちているのだった。
鎖の擦れる、がさつな摩擦音がしていた。
蚊にさされて足や腕の皮膚がはれあがっていた。
後に竹書房を創設する今は亡き、野口恭一郎がいた。
作家となる板坂康弘。
シナリオライターの松元力。
夭折したときいている北村篤子。
敬称は必要としないほど仲がよかった。
「シナリオ現代」という同人誌をだそうと話題はもりあがっていた。
誰かが。
わたしだったのかもしれない。
新聞紙に火をつけた。
煙で蚊をおいはらうためだ。
かわききった新聞紙は期待通りには、煙をあげてはくれなかった。
赤い炎の舌をちょろつかせて燃え尽きた。
そのうえに新聞紙を重ねた。
パトロールしていた警官をひきよせることになった。
蚊をおいはらう煙が、警官を呼び寄せてしまった。
時子が涙をぽろぽろこぼしてあやまってくれた。
たまたま、墓地を散歩しょうということで、わたしと一緒にいたのだった。
若いお巡りさんは――。
時子の涙をみるとじぶんがなにか悪いことをしたように、赤面した。
説諭されただけですんだ。
「演技賞だよ」
とみんながポケットの底をはたいて、かき集めたお金が三百円になった。
「これでコーヒーでも飲んでよ」
時子とわたしはそれを遠慮なくいただいた。
「いつ……わたしが主演の戯曲をかいてくれるの」
「シナリオと戯曲のセリフのちがいがつかめたら……」
「約束よ……」
時子は小指をさしだした。
「わたし、記憶力がないから……ながいセリフはいやよ」
六本木まで歩いた。
デェーモンでコーヒーを飲んだ。
「デェーモンでなに話たのだろう」
「わすれたわ」
「ヌーベル・バーグの話でもしたのだろうな」
思いだせないでいると、彼女がつぶやくように言った。
「どうして、若者があんなにビンボウしていたのかしら」
「日本が高度成長経済に沸くまえだったから」
「いまのようにバイトで働くこともできなかったわ」
東京オリンピックまで5年。
東京タワーの基礎工事がはじまっていた。
「三丁目の夕日」の頃だ。
若者がヤングなどと呼ばれることはなかった。
独身貴族などという表現もなかった。
せめて老人医療がいまのような制度になっていれば――。
わたしの苦労は半減されていたはずだ。
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