その絵を正面から見られる場所に正方形のソファがあった。
むろん人垣に邪魔されて壁面の絵は、ときどき垣間見ることになる。
それでじゅうぶんだった。
立っていたらあのときのように倒れてしまうかもしれない。
生涯二度ともう巡り合えないだろうとあきらめていた絵だ。
かつてはわたしの手もとにあった絵だ。
夏のあの日をカンバスに閉じ込めた絵。
「やっぱり来たわね。おひさしぶり」
わたしは正方形のソアァにすわっている。
背後から声が流れて来た。
はるかな年月のかなたから蘇って来た声。
やはりK子だ。K子だった。……ながいこと失われていた懐かしい声だった。
「でもひさしぶりだなんて、何年ぶりだと思うのですか」
「ふりかえらなくていいわよ。ふりかえらないで。六十年はたっている……もうわかってもいいのに? まだ、わからないの? わたしにとっては……つい昨日のことよ」
わたしは背中合わせに彼女のぬくもりをかんじていた。
失神から覚めたわたしは彼女にだきしめられていた。
「あら、あなたたちそういう関係だったの」
女流画家がわらった。
「並んですわったら、Mさんにまだあなたたちつづいていたの……なんてからかわれそうね」
「でもどうしてこの絵がここにあるんだ」
わたしは密かに期待はしていたが、あれほどながいこと慚愧の念とともに再度鑑賞できることを願いつづけてきた絵に会えるとは思っていなかった。
「Mが日動画廊から買いもどしておいたのよ」
父のロープ工場は倒産。
わたしは学費をひねりだすためにこの絵を日動画廊にもちこんだのだった。
Mとわたしたちの出会いを証明するような絵。
戦後初のMの展覧会が日動画廊で開催れたのを知ったのはずっとあとになってからだった。
わたしの英会話の恩師、GHQの通訳だった愛波与平先生が鹿沼を選挙区とする湯沢代議士としりあいだった。
その国会議員が日動画廊の顧客。
三題話めいた因縁だった。
「ぼくは赤い色彩を見ると戦慄するのです」
わたしはMに静かに語りだしていた。
わたしの失神の原因をきかれての答えだった。
原初の……といいたいような赤の記憶は床の間の掛け軸に描かれた「モズ」だった。
嘴に真っ赤な肉片をくわえていた。血のしたたるような生肉。
わたしは幼いころから赤に異様な反応を示していた。
あれがはじまりではなかったろうか。
「モズの絵をおろして。他の絵に掛けかえて」
ようやく、ことばを紡ぎだせるような年になったわたしは哀願した。
声をひきつらせて号泣した。
モズのするどい嘴におそわれるようで怖かった。
「そんなことできません。わがままいわないで。見たくないものは見なければいいの。目をつぶって見なければいでしょう」
「赤がこわいんだよ」
「お父さんが掛けたものをかってに変えることはできないのよ」
「やだよ」
「ききわけて」
「やだよ」
「だめなのよ」
母は父の不在のときは掛け軸の前に二双の屏風を置いてくれた。
水墨の山水画。墨の黒は好きだった。
すごく気分が落ち着いた記憶がわずかに残っている。
母が留守だった。いつものように赤を嫌って泣いた。
ききつけて部屋にはいってきた父がわたしを布団ごと丸めて庭になげだした。
雪がふっていた。雪がわたしの涙をひややかなものにしていた。
あるいは、あれは肉片などではなくモミジの葉であったのかもしれない。
紅葉したカエデの細い枝先でモズが天空にむかって鳴いていたのかもしれない。
わたしは雪におおわれていた。
母の帰りがおそければ凍死していた。
わたしは父の愛をしらないで育った。
小学校の三年生になった。
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むろん人垣に邪魔されて壁面の絵は、ときどき垣間見ることになる。
それでじゅうぶんだった。
立っていたらあのときのように倒れてしまうかもしれない。
生涯二度ともう巡り合えないだろうとあきらめていた絵だ。
かつてはわたしの手もとにあった絵だ。
夏のあの日をカンバスに閉じ込めた絵。
「やっぱり来たわね。おひさしぶり」
わたしは正方形のソアァにすわっている。
背後から声が流れて来た。
はるかな年月のかなたから蘇って来た声。
やはりK子だ。K子だった。……ながいこと失われていた懐かしい声だった。
「でもひさしぶりだなんて、何年ぶりだと思うのですか」
「ふりかえらなくていいわよ。ふりかえらないで。六十年はたっている……もうわかってもいいのに? まだ、わからないの? わたしにとっては……つい昨日のことよ」
わたしは背中合わせに彼女のぬくもりをかんじていた。
失神から覚めたわたしは彼女にだきしめられていた。
「あら、あなたたちそういう関係だったの」
女流画家がわらった。
「並んですわったら、Mさんにまだあなたたちつづいていたの……なんてからかわれそうね」
「でもどうしてこの絵がここにあるんだ」
わたしは密かに期待はしていたが、あれほどながいこと慚愧の念とともに再度鑑賞できることを願いつづけてきた絵に会えるとは思っていなかった。
「Mが日動画廊から買いもどしておいたのよ」
父のロープ工場は倒産。
わたしは学費をひねりだすためにこの絵を日動画廊にもちこんだのだった。
Mとわたしたちの出会いを証明するような絵。
戦後初のMの展覧会が日動画廊で開催れたのを知ったのはずっとあとになってからだった。
わたしの英会話の恩師、GHQの通訳だった愛波与平先生が鹿沼を選挙区とする湯沢代議士としりあいだった。
その国会議員が日動画廊の顧客。
三題話めいた因縁だった。
「ぼくは赤い色彩を見ると戦慄するのです」
わたしはMに静かに語りだしていた。
わたしの失神の原因をきかれての答えだった。
原初の……といいたいような赤の記憶は床の間の掛け軸に描かれた「モズ」だった。
嘴に真っ赤な肉片をくわえていた。血のしたたるような生肉。
わたしは幼いころから赤に異様な反応を示していた。
あれがはじまりではなかったろうか。
「モズの絵をおろして。他の絵に掛けかえて」
ようやく、ことばを紡ぎだせるような年になったわたしは哀願した。
声をひきつらせて号泣した。
モズのするどい嘴におそわれるようで怖かった。
「そんなことできません。わがままいわないで。見たくないものは見なければいいの。目をつぶって見なければいでしょう」
「赤がこわいんだよ」
「お父さんが掛けたものをかってに変えることはできないのよ」
「やだよ」
「ききわけて」
「やだよ」
「だめなのよ」
母は父の不在のときは掛け軸の前に二双の屏風を置いてくれた。
水墨の山水画。墨の黒は好きだった。
すごく気分が落ち着いた記憶がわずかに残っている。
母が留守だった。いつものように赤を嫌って泣いた。
ききつけて部屋にはいってきた父がわたしを布団ごと丸めて庭になげだした。
雪がふっていた。雪がわたしの涙をひややかなものにしていた。
あるいは、あれは肉片などではなくモミジの葉であったのかもしれない。
紅葉したカエデの細い枝先でモズが天空にむかって鳴いていたのかもしれない。
わたしは雪におおわれていた。
母の帰りがおそければ凍死していた。
わたしは父の愛をしらないで育った。
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