田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

朱の記憶(3) 麻屋与志夫

2008-11-16 00:19:23 | Weblog
 このひとは東京でわたしの想像もつかない苦労をしているのだ。
 お礼にわたしを描いてくれるという。わたしは旧制中学の三年生。
 恋しりそめしとしごろだった。
 ひとりでは恥ずかしいのでK子をさそった。
 ひそかに恋こがれていた年上の女性だ。
 幼くして別れた母の顔は、おぼろげにしか覚えていない。

 帝国繊維の工場には、日本初の水力発電の機械が配置されていた。
 発電機は稼働していなかった。
 その日本初の発電機を使用したという事実は、半ば伝説と化していた。
 名前だけは「水神さん」としてのこっていた。
 発電所の跡の建物の前にひろがるグランドには青いたそがれの気配が漂っていた。
 鬱蒼と茂った木々のかなたに日光山系がみえがくれしていた。
 そこで、はじめてわたしは、バアミリオンの真紅の赤を見た。
 使い古されたパレットにしぼりだされた絵の具の色にわたしは眩暈をおぼえた。
 それどころか失神してしまっていた。
 グラッと大地がひっくりかえった。
 からだの芯にひびいてくる恐怖におののきながらわたしは気を失っていた。
 わたしは名前を呼ばれていた。
 母の声のような、たえてひさしくきいていない優しい呼び掛けだった。
 頭の中にはまだ赤い粘性の絵の具が渦をまいていた。
 わたしのからだは痙攣していた。幼児への退行現象でもおきたのか。
 わたしは赤子のようにK子の胸に顔をふせて、ふるえていた。

「夏の日の水神の森」
 その絵はあった。
 静物と風景画のおおいMの作品群の中にあって、その絵にはめずらしく少年と少女が描かれていた。
 それも、点景人物というより、人物そのものが主題だった。
 そう、わたしとK子を描いてくれたものだった。
 わたしとK子のまわりには赤い線が昆布かワカメのようにゆらぎながら上にのぼっている。
 わたしの赤への過剰な反応が画家の感性を刺激したのだろう。
 この赤い線は、若者の精気、わかさのフレイヤー、あるいは精液などと評論家がしたり顔で解説している。
 かれらはこの絵が成ったモチベエションをしらないのだから無理もない。

 わたしはこの絵が展示されているかもしれないという仄かな期待はもっていた。
 むしろ、予感といってもいいかもしれない。
 はるばる鹿沼からきた甲斐があった。 



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