新栄堂の占い日記

私はプロの占い師ですが、鑑定をしながら日頃感じる事…を書いております。

財官双美…時柱は?

2019年05月01日 | あのひとの命式


上図は2024年から新一万円札の図柄として発行される渋沢栄一氏の命式です。
・新一万円札の図柄には、渋沢栄一氏の肖像と東京駅の丸の内駅舎を採用。
・新五千円札には津田塾大学の創始者の津田梅子さんとフジ(藤)を採用。
・新千円札には近代日本医学の父と呼ばれた北里柴三郎氏と葛飾北斎から神奈川県沖浪裏をそれぞれ図柄しています。

【渋沢 栄一】天保11年2月13日(1840年3月16日)-昭和6年(1931年11月11日)。

近代日本経済の父といわれる渋沢栄一は天保11年(1840)深谷市の血洗島の農家の家に生まれました。
幼い頃から家業である藍玉の製造・販売・養蚕を手伝い、父市郎右衛門から学問の手ほどきを受けました。
7歳になると下手計のいとこの尾高惇忠のもとへ論語をはじめとする学問を習いに通いました。

20代で倒幕思想を抱き、惇忠や惇忠の弟の長七郎、いとこの渋沢喜作らとともに、高崎城乗っ取りを計画しましたが、長七郎は京都での見聞からこれに反対し計画は中止されます。
その後、喜作とともに京都へ向かい、一橋(徳川)慶喜に仕官することになりました。

一橋家で実力を発揮した栄一は27歳の時、慶喜の弟徳川昭武に随行し、パリ万国博覧会を見学し、欧州諸国の実情に触れることができました。
明治維新となって帰国すると日本で最初の合本(株式)組織「商法会所」を静岡に設立し、その後明治政府の大蔵省に仕官します。
栄一は富岡製糸場設置主任として製糸場設立にも関わりました。
大蔵省を辞めた後、一民間経済人として株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れるとともに「道徳経済合一説」を唱え、第一国立銀行をはじめ、約500もの企業の設立に関わったといわれています。
また約600もの教育機関・社会公共事業の支援と民間外交にも熱心に取り組み、数々の功績を残しました。
渋沢栄一 デジタルミュージアムから。

(彼の命式:生時不明の三柱ですが…。)
日干:甲で、天干の並びは旺相する正財を中心とする偏官との並びの命式(財官双美の命)
財官双美の命…財星と官星とが命式の表(天干星)に並び立ち、財運と地位名誉に恵まれると言われている並び。
財星も官星も外的な星ですので、内的な世界を意味する印星や食傷が時柱に出ると命式が良くなる。
ちなみに時柱に印綬が出ると財官印三宝の命となる(酉の刻生れ)。
また、時柱が寅の刻生れですと食神 建禄となり、三宝の命に続く良い命式となる。

印綬傷官は精神性が主体となる命式ですが、その対極にあるのが財官双美で、サラリーマン等で人生を無難に生きている人が多い。


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コメント (4)
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