時は1月26日。7時出発10時15分着。
アンモナイトの化石を見に3回・録音で1回・歌いに1回・・・いわき小名浜は、懐かしい場所になった。
手をかけ、丁寧に主催者のコンサートの準備は行われていた。想いのギュッとつまった会場に入って、ほっこりと嬉しくなった。
笠木さんを呼びコンサートを行い、やがて笠木さんが、この人たちこそ歌を作る主役になるべきだと、きっと猛烈なアタックで(逃げ出したくなった者もいたに違いない)1年をかけCDを作った。
そのCDは、あの名盤「でれすけ原発」だ。
F1の惨状に、立て続けに3枚のCDで、音楽という文化で原発に戦いを挑んだ笠木さんとその仲間たちが集まったコンサートが開かれた。末席ながら、ロストも歌う機会を得た。でれすけにコーラスで還暦シスターズが参加したえにしに違いない。
主催者の笠木さんへの感謝やら・いつくしみやら・いなくなってしまった悲しみが会場にあふれ、あたたかい、あたたかいコンサートだった。
全員合唱のリハーサル。
参加グループが司会のアナウンスで舞台に立ち、「私に人生と言えるものから」が全員で歌われる・・・オープニングだ。
いわき雑魚塾・・・まさに主催者がつかみの位置で歌い始める。主催者というのは、実に多忙・あらゆるものへの気配りの中、さらに舞台も務める・・・
僕らも何度も、そんな主催者を経験しているから、その苦労がわかる。のほほんと、ちょいと受けなど狙うアナウンスをしながら歌うのは気楽なものだ。
しばらく、雑魚塾に頭が上がらない・・・な。
そして「でれすけ原発」最後に名曲「福島の海よ」は、涙をこらえるのが大変だった。
木ノ内君の、いい感じのアップがあったので、載せて置く。
2番手は我がロスト。笠木さん由来の曲を歌いまくった。そして雑花塾の鈴木さんセイゴウちゃんの名曲「までいな村」も歌った。
あのF1爆発以降、僕らが福島を歌う事は、ハードルが実は高かった。いつもどこからか「お前たちは当事者か?」の声が聞こえる気がしたからだ。
だが、原発爆発が、これは、日本人が自分たちのこととして自らへ、そして社会へ問うべき、まさに当事者ではないか?と、思いが到ったとき、歌うことの躊躇は無くなっていった。
福島で歌えて、感無量。
写真はミッキーに頼んでおいたが、良さげなアップもあったので、成果の果実をいつもボーカルにさらわれて、日の目を見ないインストルメンタルズを載せて置く。
ヒューマンファーマーズが続く。セイゴウちゃんの「少年よ」が良かったぜ。演奏のバランスも上等。
そして山本忠生さんの、歌声ライクな、ステージが続いた。クッキングハウスの面々を従えたステージも良かった。
この場にこそ「ぽこ・あ・ぽこ」だ。公私ともに笠木さんと生きて来た鈴木幹夫氏の安定のステージ。
「Row A Baut」そして「恵那山」は白眉。恵那山は、涙が出そうになるんだよな・・・・
嫁に行った、俺のバンジョーもいい音だったねぇ・・・
トリは、増田さん。
まだまだ、弱気にならず、歌い続けて欲しいねぇ・・・
「野の花に」がとっても良かったなぁ・・・・
年と共に、動かなくなる指。
記憶もおぼろ・・・・語りも、詰まる。
昨今の俺だ。
こうしたコンサートで、歌い続ける方々と、一緒にステージに立つと、「ボロボロになって、情けないギターになっても、ロストを抱いて歌ってゆこう」と背中を押されるのだ。
力を貰った、良いコンサートだった。改めて、主催者・いわき雑魚塾に感謝だ。