近年、彼・・笠木透氏から頻繁に手紙(アピールやら、エッセイやら・・)が届くようになっていた。
もちろんロストでは僕に・・そしてウッドランにも同様だったようである。
ロストでは、まあ、お前が代表して受けとり、メンバーに配布せい!ということだった。
いわき雑魚塾との音楽作りを終えた2014年初頭、メッセージが届く。
この後、笠木氏は、体調を崩され、大きな手術をなされ、年末へ進んでいったのだった。
読みづらいだろうが、興味のある方は、読んでください。
ロストにもウッドランドにも、各々の音楽へのスタンスを尊重しながら、「自分たちの歌は、自分たちで作れ!」と、「自分たちのためだけに歌わず、人のためにうたってほしい」というアピールは、「作ることが、僕らの音楽を豊かにする」との思いであったのだが・・・・・。
ありがたくも、気の重い提案であったが、ご自身の体がそれどころでは無くなって、この話は途切れた。
1曲の録音でさえ、手に余るロストだった・・・・
この呼びかけに対し、「監督!受けないでね・・」と、手紙を受け取った当初はメンバーから言われたのだが・・・その後時間がたって、さて、どのように皆の中で気持ちがゆらぎ、変化したかは、聞いていないのでわからないのだった。
僕らの歌うフォークソングは、2つの命で成り立っている。
その1つが言葉だ。
そして、もう1つが、その言葉を命あるごとく際立たせるメロだ。
清流に落ちた、色とりどりの落ち葉が言葉・・・それを光らせながら流れる流れがメロだ。流れなので、おたまじゃくしがうようよなのだ。
新曲に挑むとき・・まず、言葉をつかみ・抱きしめる。
僕はだから、メンバーに文を書けと、言い続けている。やがて、そこから詩が・・詞が生まれるかもしれないと・・。
このブログもそんな意図ではじめ、各メンバーのログもあって、最初は皆書いたのが、いつの間にか、僕の与太記事だけになってしまったのだった。
さて、横道にそれたが、先の笠木さんの提案・・・
「自分たちの歌は、自分たちで作れ!」「自分たちのためだけに歌わず、人のためにうたってほしい」については、じつは僕は、少し違和感を覚えていたのだ。
作れたら、なんてかっこいいだろうなと思うこともある。
だが、僕のような才能の無いものが(彼は、音楽的素養も、才能も無い庶民がフォークソングを作ってきた歴史があると言うが・・・)目覚めて、歌などつくりまくったら粗製乱造だろうと、まじめに思っている。
プロが歌を作る。
地方のアマチュアが歌を作る。
しょうもないのもあれば、僕の(僕らロストの)琴線に触れ、体を揺り動かす歌にも出会う。
マスメディアから流れれば、一攫千金も、まだ、夢ではないかもしれない。
だが、もう1度、日本中の小さな集まりでも、聴きに来てくれる人々と同じ空間で音楽を抱きしめることを選びうたっているプロ。
そして、あふれ出た音楽を発信したいと自費出版で音楽を世に送るアマチュア・・・
その歌の1つ・1つ・・・誰かが歌い継ぎ・・歌い続けて、フォークになる。
生み出す人・・・歌い継ぐ人・・・それを受け止める観客という人々・・その3者が居て、フォークが残る。伝わり・残る。
今、僕は、「歌い継ぐ」側に軸足がある。
ロストも、そこに、心意気がある。
それは「自分達のために歌っている」のだが、同時に「人のために歌っている」ことは、間違いが無い。
だからこそ「歌に思いを込め・世に問答を吹っかけて」うたっているさ。
そこんとこ、少しは彼と話したが、深まる論議とまでは行かず、機会を失ってしまった・・・呑んだくれて、論議を吹っかけたかったなぁ・・・
歌は、アマチュアはさ・・・ある日、どうしようもなく生まれてくるのを、待つしかないんだな、と、おもうんだよなぁ・・・
いわき雑魚塾・・・「でれすけ原発」・・・・見事なアマチュアのフォークアルバムだ。
福島で被災し・原発の被害をもろに受けて、「もう原発はいらね!」と、笠木さん達と作ったフォーク。
彼らしか歌えない言葉とメロが詰まって・・・「生まれてきた」事を鳥肌を立てながら、僕は聞いた。