忘れもしない六月半ばの、水曜日。
正確には、12時を過ぎていたから、木曜日か?
仕事がらみで、H氏の送別会があった。H氏とは「がらみ」だったが、仕事をちょっとだけ超えて、信頼できる付き合いだったので、僕が主催して、極身内で楽しく飲んだ。午前様で帰る代行車の中で、体にちょっと異変を覚えた。
そのまま、家に帰って、すぐ布団に入ったが、やがて明け方「猛烈なお腹の痛み」で、目が覚めた。
おかしい・・・いや・・思考力を失うほど「痛い」のだ。
こらえつつ2時間・・・「どうしたの?朝ごはん食べないの?」
大体よ~いつもは一番早く起きるのは俺だ・・・やつ(女房ね)は「まったく!呑んだくれて午前様だから、起きられないんだな」程度に思っていたに違いない。
「特製おかゆ」・コメ2分の1合、刻んだ大根・葉っぱの少し・そして塩。
タップリの水で、土鍋で、弱火でフツフツ。
「チョットお腹が痛いので、食べない。医者に行く(やつは、ったく二日酔いかよ~~・程度の理解に違いないのだ)」「じゃ~~ね~~」と出勤していった。
痛みは激痛から、おなか全体の鈍痛に変わっていた。
医者に飛び込む!
この時点で、「なんだ~この痛みは?いよいよ酒の飲めないからだか~」とか「雁いや癌なんて~んじゃね~だろうな?」とか「そういえば5年前の尿管結石もこんなんだっけな?」とか「いや、あん時は、もう少し下で、腰周りが痛かった!」とか、想いがめぐった。
「おかゆだね~」・梅干・金山寺味噌で食べた。
医者は丁寧でしっかり説明してくれる、若い先生なのだ。
すぐ、尿検査・そして血液を採った。
そして、お腹の周りを、指で押したり・聴診器をあてたりだ。
痛い!と思っていた場所を押されても、痛くない・・・・
痛くない場所を押されて痛い!・・・
昨日の宴会から、説明され、その時食べた物など、細かくチェックされた。
食中毒のようなものも、疑ったらしい・・・
「潜血がありますね」
「血液の検査結果を4時までに出しますから、4時過ぎにきてください」
「胃腸炎と結石・両方を疑って、薬を処方します」
やさしい・看護婦や受付のべーべーの「お大事に~~」の言葉を聴きながら、家に帰った、すぐ薬をのんだ。
会社、そして「約束」のあった友人に、「約束を履行できないことわりの電話」をした。友人は色々心配してくれた。
ブログを更新して寝た。薬が効いたか?2時間ほど寝れた。
4時・・・まだ鈍痛は同じだ。
医者の検査結果は、「尿管の結石」が濃厚らしかった。
「先生!前の結石の時は、ビールを飲んで、利尿を促進!と言われましたが・・・」
「血液の肝臓の値が良くないですね~、ビールは控えて、湯冷ましとかお茶にしてください」「沢山呑んでくださいね(酒なら沢山呑めるが、水はそんなに飲めるもんじゃね~ぜ」
帰って、女房にTEL・「夕飯は作れない旨を伝える」
鈍痛はやや・・・気のせいか・・・(結石・・かもと解って、ちょっとホッとした自分がいた。結石なら石が出ちまえば、ケロッとする)やわらぐ。
ひたすら寝た。起きれば水飲んで寝た。
何年ぶりかの「休肝日」になった。1日何も食べなかった。
「この3日で読んだ本」・医者の待合、家で起きてる時間は、本を読んだ。嬉しいことに読みかけ2冊を読了。ほか2冊も読めた。
翌朝・痛みは、我慢できる状態・・・まだ痛い。
医者に行く。
痛みの程度など伝え、治療の内容など伺う。
「このまま痛みが引けば、処方の薬を飲み続けてください」
「痛みが引かなければ、泌尿器の専門医を紹介します」
「また、今度再発したら、泌尿器に専門的検査をしましょう。紹介状を書きます」
だ。
家に帰って、寝た・・・。
不思議と午後、痛みが引いた。
夕方には、今までがうそのようだった。
夕飯の準備をした。
励ましの電話もあった・メールで何人かの友人は「大丈夫~~」なんて、通信をくれた。
この場をおかりして、感謝申し上げます。
仕事・生活・・・滓も溜まって、病気になる。
年とともに、体のあちらこちらは、きしんでくる。
これが、生きるってことのおおよそで、皆、年を取れば、どこか「障害者」だ。
僕は、どうも、溜まると「円形脱毛症」そして「結石」か?
円形は痛くも痒くもないし、結石は出ちまえばケロッ!だな。
どちらかといえば、楽な病気かもね。俺らしいか?