昨夜もそうだったが、今朝のハムもやたらと脂身が多かった。自宅ではなるべく脂身を食べないようにしているが、意地汚い私は監視者がいないとつい食べてしまう。昨夜はリブ・ステーキだった。オーストラリアの牛は牧草だけで育てられているので、日本の霜降り肉のように肉の中に脂がそれほどしみこんではいない。だが、肉の周辺の脂が切り落とされていなかった。たっぷりとついていた、その脂身は旨かった。食事をしながら、クリスは「ローリーの胃を縛ってしまえばいいんだ。そうすれば少しは余分に付いた肉が落ちる」と独り言のように云っていた。クリスは「ローリーの食いっぷりを見ていると、それだけで食欲が落ちてしまう」と云っていたが、彼だってよく食べていた。油を使いすぎるのが欠点の料理だったが、エイミーの出してくれる食事は実に旨かった。「日本の方はお米がいいんでしょ」と云ってご飯を炊いてくれた時が何度もあった。フィリッピン産のインディカ米だったが、エイミーの親切心に頭が下がった。


集材場に行く前に、実際に黒檀が生えているところに連れて行って貰った。新木場の銘木屋さんたちは、フリッチにされた黒檀は多く見ているだろうが、立木のままの黒檀などご覧になったことはないだろう。少しでもご参考になればと考えて写真を撮ったのである。いや、実際は羨ましがらせたかったのかもしれない。
上の二枚の写真の黒檀はどれも50年は経っていないとのことだ。これが伐採出来るのは私が生きている間にはないであろう。黒檀がこのように密集して生えているとは知らなかった。日本の森であるなら、この中から最も良さそうな木を残し、選ばれた木の成長を助けるために、他は切り倒してしまうだろう。そして残った木を非常な高値で売る。杉、檜などはそのようにしている。だが、ウッドラーク島ではそんなことは全く考えていないようだ。あくまでも自然なままにしておく。どちらがいいのか、私には答えられない。

クリステンセン家で雇っている近在の子供たち。一見悪ガキの集団のようにも見えるが、実に素直で素朴な、その上明るい子供たちである。彼等の衣服はローランド・クリステンセンがアルタオやポートモレスビーに行ったときにお土産として買ってきてくれたものが殆どである。一番手前にいるラムがスニーカーを履いているが、これは例外中の例外である。写真でご覧のように皆一様に裸足である。
この島の子供に限らず、パプアニューギニアの子供たちは、小さいときは例外なく金髪である。個人によって多少の差はあるが、10才ごろまでには金髪が黒い頭髪に変る。理由は知らない。この写真では多少わかり辛いが、ラムの後ろにいるトトの頭髪は金髪であった頃の名残が見える。
彼等は殆どがこの島から出たことはないが、中にはローリーに連れられてアルタオやポートモレスビーに行ったことのある少年がいる。アルタオは非常にいい街だと感じたらしいがポートモレスビーに行ったときは人が多すぎて頭がクラクラしたと云っていた。パプアニューギニア編の1と2に掲載した写真でお分かりのように、ポートモレスビーだってそれほどの人口ではない。ウッドラーク島の人口が如何に少ないかご推察願いたい。

名前は忘れたが、クリステンセン家の長男は彼に一番なついている。また木登りの名人で、ヤシの実を獲るときは彼が一番活躍する。
子供たちのシャツやクリスのランニングシャツはいつも同じものを着ているが、毎日洗濯をし、朝には完全に乾いている。私のシャツも、頼めば子供たちが嫌な顔もせずに洗ってくれていた。だが、水は貴重なので、日本にいるときのように多量の水を消費しての洗濯は望むべくもなかった。スコールが来そうなときは、バルコニーの手すりにシャツやソックス、下着、ズボン等々を全て掛けておいた。石鹸など使わなくとも、激しいスコールの勢いで大抵の汚れは落ちてしまっていた。

当時 現在
一番上の穴あき硬貨が1キナ 約 ¥150 約 ¥34
二番目 20トエア ¥30 ¥6.8
三番目 10トエア ¥15 ¥3.4

当時 現在
一番目の硬貨が5トエア 約 ¥7.5 約 ¥1.7
二番目 2トエア ¥3 ¥.68
三番目 1トエア ¥1.5 ¥.34
残念だが、紙幣は全て使い果たしてしまった。礼拝の時の献金に使ったり、子供たちに配ったり、そして帰りのポートモレスビーで。上の貨幣価値でお分かりのように、「トエア」は「キナ」の1/100である。パプアニューギニアの通貨の単位を表すキナは、キナ貝のキナからきたものだそうだ。これは真珠貝の一種で、以前はこの貝が通貨として使われていたと聞いた。
毎日夕食が終ると何もすることがない。先にも述べたように、この島には新聞、ラジオ、電話、そしてテレビ。またクリステンセン家以外は電気もない。唯おしゃべりをして過ごすしかない。前にも述べたように灯りにつられて近くの島民が寄ってくる。それが実に楽しい。毎夜、彼等が来ることを予想し、ポットにお湯を入れ、ティー・バッグ、大量のお砂糖をエイミーが用意しておいてくれる。「俺のボボを食ってくれ」とパパイヤを持ってきてくれるオジさんもいる。パパイヤの事を島の言葉で「ボボ」と云うらしい。誰もが自分の所で獲れたボボが一番旨いと信じている。確かに旨いことは旨かった。だが、パイナップルを食べたことがあった。私はあまりパイナップルを好きではないが、パイナップルってこんなに旨いものかと驚いた。以前に仲の良かったハワイの二世の兵隊さんが、休暇で故郷に帰った時のお土産に、その日の朝に獲れたというパイナップルを頂いたことがあった。それでもウッドラーク島で食べたパイナップルに比べたら生のジャガイモをかじっているようなものだ。
ある夜、例によって楽しく話しているとき、襟のあたりに何かもぞもぞとした感触があったので手で払った。蛾であるかと感じた。急いで部屋の隅に逃げた。「これは蛾じゃありません。蝶ですよ」とローリーが私を安心させるように云った。私にとっては羽根がヒラヒラするものは蝶だって蛾と同じである。恐る恐る戻ってみると、島民の一人が蝶を捕まえて羽根を広げていた。片方の羽の大きさは宣伝用に配られる小ぶりのうちわほどの大きさがあった。柄はモーニングのズボンを切り抜いて、そのまま羽にしたようだった。おまけに、その蝶はじろりと私の方を睨んだ。この家の網戸はしっかりしており、このような侵入者を防げる筈だ。「最後に入ってきた誰かがドアーを開けっぱなしにしていたな」とローリーは渋い顔で云ったが、クリスは嬉しそうに私を見ていた。
また、ある夜、子供の一人が「タバコを貰えませんか?」と云ってきた。「お前、タバコを吸う年じゃないだろ!」とたしなめると、「お爺さんに持って帰ってあげたいんです」と云った。それならと、部屋に戻り封を切っていないタバコを一パック持ってきてその子にあげた。彼は喜んで帰って行った。すると一部始終を見ていたローリーが「あの子にお爺さんはいません」と云ってニヤニヤしていた。私が騙されるのをずっと見ていたのだ。
翌々日には島を離れる予定だった。その夜、楽しみの最中に風の強まる音がした。島民たちは重い腰を上げて帰り支度を始めた。毎夕食後に誘い合わせては此の部屋に集まるのを楽しみに、昼間の農作業をやっているのだとローリーが説明してくれた。今夜は早めに切り上げなければならなかった。サイクロンの季節には少し早いが、外の風の音を聞くとかなりの雨が降ってきそうだ。半袖一枚では夏(日本では冬)だと云うのに心もとない感じがした。とうとう雨が降り出してきた。ローリーがお休みを云うと、自宅の方に、巨体を揺るがしながら駆け出して行った。それを見ていたクリスが、「あの体で走れるとは驚きだ!」と感心したように云った。
寝るには早い時間だったので、タバコを吸いながら「真のオーナー」についてクリスと話し合った。「真のオーナー」が誰であっても、取引が滞りなく行われればいいことであって、二人ともそれは気にしないことにしたが、それでも気になった。二人とも色々と情報を探ったが、黒檀のオーナーが誰であるか、確実に知っている島民はいなかった。ローリーが我々に「真のオーナー」について何も云っていないので、彼に聞くわけにはいかなかった。何故表にでないのか、現在に至るまでその理由はわからない。
雨脚がどんどん強くなってきた。夫々の部屋に引き上げた。この雨が我々にどのような影響を与えるか、その時は全く気が付かなかった。
パプアニューギニア編はあと二回で終了する予定です。「TDY,Temporary Duty編」は2013年の9月から始め、今日に至っております。長い間のご購読を感謝申上げます。多くの方々からもっと続けろとのお声を頂いておりますが、ネタ切れでこれ以上続けられません。他のアジア諸国、オセニア、南北アメリカ、そしてヨーロッパの国々は大勢の皆様がご旅行なさっています。秘境を主題とした「TDY,Temporary Duty編」とはかけ離れております。
パプアニューギニア編11が終りましたら、「折にふれて、写真と雑感」のタイトルでしばらく続ける所存です。URLは同じです。是非引き続きのご購読を賜るようお願い申し上げます。


集材場に行く前に、実際に黒檀が生えているところに連れて行って貰った。新木場の銘木屋さんたちは、フリッチにされた黒檀は多く見ているだろうが、立木のままの黒檀などご覧になったことはないだろう。少しでもご参考になればと考えて写真を撮ったのである。いや、実際は羨ましがらせたかったのかもしれない。
上の二枚の写真の黒檀はどれも50年は経っていないとのことだ。これが伐採出来るのは私が生きている間にはないであろう。黒檀がこのように密集して生えているとは知らなかった。日本の森であるなら、この中から最も良さそうな木を残し、選ばれた木の成長を助けるために、他は切り倒してしまうだろう。そして残った木を非常な高値で売る。杉、檜などはそのようにしている。だが、ウッドラーク島ではそんなことは全く考えていないようだ。あくまでも自然なままにしておく。どちらがいいのか、私には答えられない。

クリステンセン家で雇っている近在の子供たち。一見悪ガキの集団のようにも見えるが、実に素直で素朴な、その上明るい子供たちである。彼等の衣服はローランド・クリステンセンがアルタオやポートモレスビーに行ったときにお土産として買ってきてくれたものが殆どである。一番手前にいるラムがスニーカーを履いているが、これは例外中の例外である。写真でご覧のように皆一様に裸足である。
この島の子供に限らず、パプアニューギニアの子供たちは、小さいときは例外なく金髪である。個人によって多少の差はあるが、10才ごろまでには金髪が黒い頭髪に変る。理由は知らない。この写真では多少わかり辛いが、ラムの後ろにいるトトの頭髪は金髪であった頃の名残が見える。
彼等は殆どがこの島から出たことはないが、中にはローリーに連れられてアルタオやポートモレスビーに行ったことのある少年がいる。アルタオは非常にいい街だと感じたらしいがポートモレスビーに行ったときは人が多すぎて頭がクラクラしたと云っていた。パプアニューギニア編の1と2に掲載した写真でお分かりのように、ポートモレスビーだってそれほどの人口ではない。ウッドラーク島の人口が如何に少ないかご推察願いたい。

名前は忘れたが、クリステンセン家の長男は彼に一番なついている。また木登りの名人で、ヤシの実を獲るときは彼が一番活躍する。
子供たちのシャツやクリスのランニングシャツはいつも同じものを着ているが、毎日洗濯をし、朝には完全に乾いている。私のシャツも、頼めば子供たちが嫌な顔もせずに洗ってくれていた。だが、水は貴重なので、日本にいるときのように多量の水を消費しての洗濯は望むべくもなかった。スコールが来そうなときは、バルコニーの手すりにシャツやソックス、下着、ズボン等々を全て掛けておいた。石鹸など使わなくとも、激しいスコールの勢いで大抵の汚れは落ちてしまっていた。

当時 現在
一番上の穴あき硬貨が1キナ 約 ¥150 約 ¥34
二番目 20トエア ¥30 ¥6.8
三番目 10トエア ¥15 ¥3.4

当時 現在
一番目の硬貨が5トエア 約 ¥7.5 約 ¥1.7
二番目 2トエア ¥3 ¥.68
三番目 1トエア ¥1.5 ¥.34
残念だが、紙幣は全て使い果たしてしまった。礼拝の時の献金に使ったり、子供たちに配ったり、そして帰りのポートモレスビーで。上の貨幣価値でお分かりのように、「トエア」は「キナ」の1/100である。パプアニューギニアの通貨の単位を表すキナは、キナ貝のキナからきたものだそうだ。これは真珠貝の一種で、以前はこの貝が通貨として使われていたと聞いた。
毎日夕食が終ると何もすることがない。先にも述べたように、この島には新聞、ラジオ、電話、そしてテレビ。またクリステンセン家以外は電気もない。唯おしゃべりをして過ごすしかない。前にも述べたように灯りにつられて近くの島民が寄ってくる。それが実に楽しい。毎夜、彼等が来ることを予想し、ポットにお湯を入れ、ティー・バッグ、大量のお砂糖をエイミーが用意しておいてくれる。「俺のボボを食ってくれ」とパパイヤを持ってきてくれるオジさんもいる。パパイヤの事を島の言葉で「ボボ」と云うらしい。誰もが自分の所で獲れたボボが一番旨いと信じている。確かに旨いことは旨かった。だが、パイナップルを食べたことがあった。私はあまりパイナップルを好きではないが、パイナップルってこんなに旨いものかと驚いた。以前に仲の良かったハワイの二世の兵隊さんが、休暇で故郷に帰った時のお土産に、その日の朝に獲れたというパイナップルを頂いたことがあった。それでもウッドラーク島で食べたパイナップルに比べたら生のジャガイモをかじっているようなものだ。
ある夜、例によって楽しく話しているとき、襟のあたりに何かもぞもぞとした感触があったので手で払った。蛾であるかと感じた。急いで部屋の隅に逃げた。「これは蛾じゃありません。蝶ですよ」とローリーが私を安心させるように云った。私にとっては羽根がヒラヒラするものは蝶だって蛾と同じである。恐る恐る戻ってみると、島民の一人が蝶を捕まえて羽根を広げていた。片方の羽の大きさは宣伝用に配られる小ぶりのうちわほどの大きさがあった。柄はモーニングのズボンを切り抜いて、そのまま羽にしたようだった。おまけに、その蝶はじろりと私の方を睨んだ。この家の網戸はしっかりしており、このような侵入者を防げる筈だ。「最後に入ってきた誰かがドアーを開けっぱなしにしていたな」とローリーは渋い顔で云ったが、クリスは嬉しそうに私を見ていた。
また、ある夜、子供の一人が「タバコを貰えませんか?」と云ってきた。「お前、タバコを吸う年じゃないだろ!」とたしなめると、「お爺さんに持って帰ってあげたいんです」と云った。それならと、部屋に戻り封を切っていないタバコを一パック持ってきてその子にあげた。彼は喜んで帰って行った。すると一部始終を見ていたローリーが「あの子にお爺さんはいません」と云ってニヤニヤしていた。私が騙されるのをずっと見ていたのだ。
翌々日には島を離れる予定だった。その夜、楽しみの最中に風の強まる音がした。島民たちは重い腰を上げて帰り支度を始めた。毎夕食後に誘い合わせては此の部屋に集まるのを楽しみに、昼間の農作業をやっているのだとローリーが説明してくれた。今夜は早めに切り上げなければならなかった。サイクロンの季節には少し早いが、外の風の音を聞くとかなりの雨が降ってきそうだ。半袖一枚では夏(日本では冬)だと云うのに心もとない感じがした。とうとう雨が降り出してきた。ローリーがお休みを云うと、自宅の方に、巨体を揺るがしながら駆け出して行った。それを見ていたクリスが、「あの体で走れるとは驚きだ!」と感心したように云った。
寝るには早い時間だったので、タバコを吸いながら「真のオーナー」についてクリスと話し合った。「真のオーナー」が誰であっても、取引が滞りなく行われればいいことであって、二人ともそれは気にしないことにしたが、それでも気になった。二人とも色々と情報を探ったが、黒檀のオーナーが誰であるか、確実に知っている島民はいなかった。ローリーが我々に「真のオーナー」について何も云っていないので、彼に聞くわけにはいかなかった。何故表にでないのか、現在に至るまでその理由はわからない。
雨脚がどんどん強くなってきた。夫々の部屋に引き上げた。この雨が我々にどのような影響を与えるか、その時は全く気が付かなかった。
パプアニューギニア編はあと二回で終了する予定です。「TDY,Temporary Duty編」は2013年の9月から始め、今日に至っております。長い間のご購読を感謝申上げます。多くの方々からもっと続けろとのお声を頂いておりますが、ネタ切れでこれ以上続けられません。他のアジア諸国、オセニア、南北アメリカ、そしてヨーロッパの国々は大勢の皆様がご旅行なさっています。秘境を主題とした「TDY,Temporary Duty編」とはかけ離れております。
パプアニューギニア編11が終りましたら、「折にふれて、写真と雑感」のタイトルでしばらく続ける所存です。URLは同じです。是非引き続きのご購読を賜るようお願い申し上げます。
当時と現在の貨幣価値の説明の数字が思う所に反映されません。原稿ではきちんと打ち込まれているのですが、ブログの記事になると全く違う位置に来てしまいます。何度訂正しても同じでした。ご容赦ください。