葬儀が終った後で彼女のご主人から連絡を頂いた。突然のことで驚いた。高等部、大学と彼女とは仲が良かった。趣味だけではなく、いろいろな面で気の合った友人だった。高等部時代のホームルームが一緒だったわけでもなかったが、二年の時に国語のクラスだけが一緒だった。
その時の教師から任命され、私と彼女とで「現代詩」の研究を受け持った。その時の代表的な詩で今でも記憶に残っているのが安西冬衛の「春」と云う題名で「チョウチョウが一羽ダッタン海峡を渡った」、と草野心平の「春殖」の題名で「るるるるるるるるるるるる」。此の「る」が何行も何行も無限とも云えるほど続く詩であった。一つ目の「春」は私の記憶では上記のようになっているが、インターネットでは「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」と記載しているものもあった。
ご存知のように、韃靼(ダッタン)海峡とはサハリンとユーラシア大陸を結ぶ海峡であり、間宮海峡の旧称である。そこを蝶々が飛んで行けるわけはないが、春を思い浮かばせる。また、「る」の羅列は如何にもカエルの卵が連なっている様を想像させる。他にも多くの「現代詩」に接したが、この二編だけが今でも私の心に残っている。
研究発表の後、国語の教師は非常な不快感を我々に向けた。「こんなものは詩ではありません。いくら現代詩を研究しなさいと云っても、このようなものを選ぶとは詩を侮辱しています」と云ったのだ。実際はもっと柔らかく、我々を傷つけないように云って下さったのだが、要約すれば以上の通りだ。その教師は万葉集が大のお気に入りで、その歌集より秀でる詩はないと信じ切っていたのだ。いくら我々二人が説明しても、それらの詩には、最後の最後まで全く理解を示さなかった。だが、期末の通信簿には満足のいく評価をして頂けた。
現代詩を共同で学んだのをきっかけに我々二人は急速に親しくなった。夏休みが近づくと、「貴方が女なら私の実家に連れて帰りたいけど、男の貴方を連れて帰ったら大変なことになる」と云われた。彼女の実家は北海道の小樽にあった。所謂「鰊御殿」である。当時の北海道の日本海側の漁場では想像もつかないほどのニシンが獲れていた。彼女が控えめに話してくれただけでも、その屋敷が如何に広大で一回のニシンの漁獲量が如何にすごかったか想像出来た。彼女が、その網元のお嬢さんであったとは全く気付かなかった。頭がよく、鼻っぱしが強かった事が今でも印象に残っている。頭の固い教師に我々の研究成果が如何に素晴らしいかをムキになって執拗に説明したのは、私ではなく彼女だった。
今でも車を使っている写真仲間に城南島迄乗せて行って頂いた。感謝である。我が家を出るときは晴れ間が出ていたが、現地に着くとどんよりと曇っていた。昨年の6月に同じ場所で撮影した時は快晴で機影もはっきりとしていた。今回はレンズと飛行機の間に必要もない雲が邪魔をしていた。その上に風の向きが悪く、飛び立ったばかりの飛行機しか撮影出来ず非常に単純な構図になってしまったのが残念である。

キャノンEOS7DMkⅡにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f8、 1/160秒、 露出補正:±0、 WB:オート。

キャノンEOS7DMkⅡにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f8、 1/160秒、 露出補正:±0、 WB:オート。
飛び立ってすぐに上昇することは承知していたが、これほどまでに機体が上向きになることは乗っていて気が付かなかった。

キャノンEOS7DMkⅡにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f8、 1/160秒、 露出補正:±0、 WB:オート。

キャノンEOS7DMkⅡにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f8、 1/160秒、 露出補正:±0、 WB:オート。

キャノンEOS7DMkⅡにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:800、 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
赤い点滅ランプが点いたエアーバスA350を撮ろうと、20回近い失敗を繰り返して、見事に成功した。連射で撮れば簡単に点灯の瞬間を見逃すことなく撮れることは承知しているが、私はカワセミを撮るとき以外は連射をしない。写真仲間の一人は私の拘りを無駄のように感じているようだが、銀塩時代の技術の最後の牙城であると、そのこだわりを捨てきれないでいる。

キャノンEOS7DMkⅡにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:16,000、 f8、 1/200秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
拡張機能の設定を行い、ISOを51,200まで上げれば良かったがそうはしておかなかった。通常の撮影では余程にISOを上げても3,200がせいぜいであったので、その必要は全くないと考えていた。だが、これを機に25,600迄のISOが使えるように設定を変更した。
その時の教師から任命され、私と彼女とで「現代詩」の研究を受け持った。その時の代表的な詩で今でも記憶に残っているのが安西冬衛の「春」と云う題名で「チョウチョウが一羽ダッタン海峡を渡った」、と草野心平の「春殖」の題名で「るるるるるるるるるるるる」。此の「る」が何行も何行も無限とも云えるほど続く詩であった。一つ目の「春」は私の記憶では上記のようになっているが、インターネットでは「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」と記載しているものもあった。
ご存知のように、韃靼(ダッタン)海峡とはサハリンとユーラシア大陸を結ぶ海峡であり、間宮海峡の旧称である。そこを蝶々が飛んで行けるわけはないが、春を思い浮かばせる。また、「る」の羅列は如何にもカエルの卵が連なっている様を想像させる。他にも多くの「現代詩」に接したが、この二編だけが今でも私の心に残っている。
研究発表の後、国語の教師は非常な不快感を我々に向けた。「こんなものは詩ではありません。いくら現代詩を研究しなさいと云っても、このようなものを選ぶとは詩を侮辱しています」と云ったのだ。実際はもっと柔らかく、我々を傷つけないように云って下さったのだが、要約すれば以上の通りだ。その教師は万葉集が大のお気に入りで、その歌集より秀でる詩はないと信じ切っていたのだ。いくら我々二人が説明しても、それらの詩には、最後の最後まで全く理解を示さなかった。だが、期末の通信簿には満足のいく評価をして頂けた。
現代詩を共同で学んだのをきっかけに我々二人は急速に親しくなった。夏休みが近づくと、「貴方が女なら私の実家に連れて帰りたいけど、男の貴方を連れて帰ったら大変なことになる」と云われた。彼女の実家は北海道の小樽にあった。所謂「鰊御殿」である。当時の北海道の日本海側の漁場では想像もつかないほどのニシンが獲れていた。彼女が控えめに話してくれただけでも、その屋敷が如何に広大で一回のニシンの漁獲量が如何にすごかったか想像出来た。彼女が、その網元のお嬢さんであったとは全く気付かなかった。頭がよく、鼻っぱしが強かった事が今でも印象に残っている。頭の固い教師に我々の研究成果が如何に素晴らしいかをムキになって執拗に説明したのは、私ではなく彼女だった。
今でも車を使っている写真仲間に城南島迄乗せて行って頂いた。感謝である。我が家を出るときは晴れ間が出ていたが、現地に着くとどんよりと曇っていた。昨年の6月に同じ場所で撮影した時は快晴で機影もはっきりとしていた。今回はレンズと飛行機の間に必要もない雲が邪魔をしていた。その上に風の向きが悪く、飛び立ったばかりの飛行機しか撮影出来ず非常に単純な構図になってしまったのが残念である。

キャノンEOS7DMkⅡにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f8、 1/160秒、 露出補正:±0、 WB:オート。

キャノンEOS7DMkⅡにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f8、 1/160秒、 露出補正:±0、 WB:オート。
飛び立ってすぐに上昇することは承知していたが、これほどまでに機体が上向きになることは乗っていて気が付かなかった。

キャノンEOS7DMkⅡにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f8、 1/160秒、 露出補正:±0、 WB:オート。

キャノンEOS7DMkⅡにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f8、 1/160秒、 露出補正:±0、 WB:オート。

キャノンEOS7DMkⅡにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:800、 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
赤い点滅ランプが点いたエアーバスA350を撮ろうと、20回近い失敗を繰り返して、見事に成功した。連射で撮れば簡単に点灯の瞬間を見逃すことなく撮れることは承知しているが、私はカワセミを撮るとき以外は連射をしない。写真仲間の一人は私の拘りを無駄のように感じているようだが、銀塩時代の技術の最後の牙城であると、そのこだわりを捨てきれないでいる。

キャノンEOS7DMkⅡにEF100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:16,000、 f8、 1/200秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
拡張機能の設定を行い、ISOを51,200まで上げれば良かったがそうはしておかなかった。通常の撮影では余程にISOを上げても3,200がせいぜいであったので、その必要は全くないと考えていた。だが、これを機に25,600迄のISOが使えるように設定を変更した。