2008.10.13 ウミウシ探索のついでに立ち寄りました。
葉山・森戸大明神
今から約840年前の永暦元年(1160年)、平治の乱に敗れ伊豆に流された源頼朝公
は、三嶋明神(現在の静岡県・三島大社)を深く信仰し源氏の再興を祈願しまし
た。
治承4年(1180年)、そのご加護により旗挙げに成功し天下を治めた頼朝公は、鎌
倉に拠るとすぐさま信仰する三嶋明神の御分霊を鎌倉に近いこの葉山の聖地に歓請
し、長く謝恩の誠をささげたと伝えられています。
「千貫の松」
神社裏手の磯辺の岩上に切り立つ松の木で、その枝ぶりは見事なものです。
源頼朝公が衣笠城に向かう途中、森戸の浜で休憩した際、岩上の松を見て「如何に
も珍しき松」と褒めたところ、出迎えの和田義盛は「我等はこれを千貫の値ありと
て千貫松と呼びて候」と答えたと言い伝えられています。
遠くに見えるのは江ノ島
神社裏手の磯辺より沖合い700メートルに浮かぶ小さな島。赤い鳥居が目印です。
名島の左側には「裕次郎灯台」があり、夕陽に照らされて茜色に照らし出される姿
は大変美しく、時間をも忘れるほどです。
夕陽の頃に見てみたいなあ。。。
森戸海水浴場の辺りから一斉に出て行った沢山のヨット・・・
上記の写真は8時半頃でした。
花も葉も透明感があって綺麗でした。
はて、何という花でしょう?
葉山・森戸大明神
今から約840年前の永暦元年(1160年)、平治の乱に敗れ伊豆に流された源頼朝公
は、三嶋明神(現在の静岡県・三島大社)を深く信仰し源氏の再興を祈願しまし
た。
治承4年(1180年)、そのご加護により旗挙げに成功し天下を治めた頼朝公は、鎌
倉に拠るとすぐさま信仰する三嶋明神の御分霊を鎌倉に近いこの葉山の聖地に歓請
し、長く謝恩の誠をささげたと伝えられています。
「千貫の松」
神社裏手の磯辺の岩上に切り立つ松の木で、その枝ぶりは見事なものです。
源頼朝公が衣笠城に向かう途中、森戸の浜で休憩した際、岩上の松を見て「如何に
も珍しき松」と褒めたところ、出迎えの和田義盛は「我等はこれを千貫の値ありと
て千貫松と呼びて候」と答えたと言い伝えられています。
遠くに見えるのは江ノ島
神社裏手の磯辺より沖合い700メートルに浮かぶ小さな島。赤い鳥居が目印です。
名島の左側には「裕次郎灯台」があり、夕陽に照らされて茜色に照らし出される姿
は大変美しく、時間をも忘れるほどです。
夕陽の頃に見てみたいなあ。。。
森戸海水浴場の辺りから一斉に出て行った沢山のヨット・・・
上記の写真は8時半頃でした。
花も葉も透明感があって綺麗でした。
はて、何という花でしょう?