30歳になった。
私は全く同じ誕生日の人が生まれながらにいる。
同じお母さんから、同じ日に生まれる子どもを双子というのだ。
そして偶然誕生日が同じだった生徒さんとのレッスン。
その方は38歳。
ホワイトボードを使ったレッスンをしていたので、「おめでとう」と書いてみる。
「お」「め」「で」「と」「う」は必ずしも同じ字の大きさでなくても良い、むしろこのくらいメリハリが・・・とおめでとうの意味を飛び越えたお誕生日レッスン。
そしてまた奇しくも1月17日の昨日、友人の子どもが産まれた。
0歳の誕生日。
命名書を書いてほしいと頼まれて、出産祝いに額も用意して、筆をとる。
子連れの友人には何とも絶妙なフォルムのステンレス製のポットをいただき、里帰り出産をする別の友人からはギターの箱に入ったチョコレートとバンダナのマーシーセットと素敵なメッセージが届いて、私が行けなかった昨日が結婚式の友人は私が花好きだからと結婚式の花をわざわざ家まで届けに来てくれた。
私が気負って、ひよって連絡できていなかった人からも、わざわざそのことに触れるようにメッセージをくれた。
私がやりたい曲をスタジオで、というのを誕生日プレゼントにしてくれた人もいた。
けいこは感無量です、とメールを送ってきた。
皆さま本当にどうもありがとうございます、恐縮です、という思いでいっぱい。
産まれる、とか、生きている、ということはやっぱり大事というか、むしろそれしかない。
それはまあ、誕生日でなくても、いつだってそうとも言えるけれど。
最近、女優の吉田羊さんに似ているととてもよく言われる。
既に合計で7,8人の人から言われている。
彼女が最近テレビの露出が増えているから、というのもあるだろう。
わざわざそのことを伝えにメールをしてきた人さえいた。
吉田羊さんが出演しているテレビ番組の録画画像を止めてまじまじと見たという人もいた。
私は自分でそう思ったことがないので、「ふーん、そうなのか」と思って吉田羊さんの画像やらを見てみるのだが、別にそんなにたくさんの人に言われるほど似ていると思えない。
たぶん私に似ていると言った人も、おそらく細部のパーツを確認すれば似ていないことがよく分かると思う。
体の線だって吉田羊さんはとってもとっても細い。
まあしかし、それだけ言われるということはおそらく醸している雰囲気が瞬間的に近しいということはあるのだろう。
あと髪型がボブであることとか。
瞬間的に似ていても継続的には似ていないだろうから、もしいつかのタイミングで「やっぱ全然違うじゃん」と急に落胆されるようなことがあったとしたらなんだか損だなと思ったりもする。
女優さんに似ているなんて光栄なことだけれども、しかし私は誰にも似ていない私のはずだ、とか気恥ずかしさを覆い隠すような発言もしたくなる。
それに例えば、玉木宏のような美男子に似ている、と言われるような人は、中途半端さや“惜しい”感みたいなのが出ているようにも思うので、やっぱり「似ている」というのはどうなんだろう、と考えてしまう。
ちなみに、おそらく、いもうとは吉田羊さんに似ていると言われることはないであろう。
私といもうとはパーツはそっくりだけれど、醸している雰囲気が全然違う。
日曜だと言うのに、自転車が撤去されてしまった。
5000円・・・というショックと、取りに行くこの上ない面倒くささと。
自転車での行動範囲が広い私は、最近の猛烈な忙しさに無理やり挿入して自転車を引き取りにいかねばならない。
悪いのは私だけれど。
私はとても疲れていて、非常な空腹だった。
暗くなった夜道を、半べその半べそくらいをかきながら、その直前に買っていた明太フランスをかじりながら歩いて家まで帰る。
自転車に乗っていたら、明太フランスを歩きながらかじるということもなかっただろうに。
十歳の阪神忌から三十歳
私は全く同じ誕生日の人が生まれながらにいる。
同じお母さんから、同じ日に生まれる子どもを双子というのだ。
そして偶然誕生日が同じだった生徒さんとのレッスン。
その方は38歳。
ホワイトボードを使ったレッスンをしていたので、「おめでとう」と書いてみる。
「お」「め」「で」「と」「う」は必ずしも同じ字の大きさでなくても良い、むしろこのくらいメリハリが・・・とおめでとうの意味を飛び越えたお誕生日レッスン。
そしてまた奇しくも1月17日の昨日、友人の子どもが産まれた。
0歳の誕生日。
命名書を書いてほしいと頼まれて、出産祝いに額も用意して、筆をとる。
子連れの友人には何とも絶妙なフォルムのステンレス製のポットをいただき、里帰り出産をする別の友人からはギターの箱に入ったチョコレートとバンダナのマーシーセットと素敵なメッセージが届いて、私が行けなかった昨日が結婚式の友人は私が花好きだからと結婚式の花をわざわざ家まで届けに来てくれた。
私が気負って、ひよって連絡できていなかった人からも、わざわざそのことに触れるようにメッセージをくれた。
私がやりたい曲をスタジオで、というのを誕生日プレゼントにしてくれた人もいた。
けいこは感無量です、とメールを送ってきた。
皆さま本当にどうもありがとうございます、恐縮です、という思いでいっぱい。
産まれる、とか、生きている、ということはやっぱり大事というか、むしろそれしかない。
それはまあ、誕生日でなくても、いつだってそうとも言えるけれど。
最近、女優の吉田羊さんに似ているととてもよく言われる。
既に合計で7,8人の人から言われている。
彼女が最近テレビの露出が増えているから、というのもあるだろう。
わざわざそのことを伝えにメールをしてきた人さえいた。
吉田羊さんが出演しているテレビ番組の録画画像を止めてまじまじと見たという人もいた。
私は自分でそう思ったことがないので、「ふーん、そうなのか」と思って吉田羊さんの画像やらを見てみるのだが、別にそんなにたくさんの人に言われるほど似ていると思えない。
たぶん私に似ていると言った人も、おそらく細部のパーツを確認すれば似ていないことがよく分かると思う。
体の線だって吉田羊さんはとってもとっても細い。
まあしかし、それだけ言われるということはおそらく醸している雰囲気が瞬間的に近しいということはあるのだろう。
あと髪型がボブであることとか。
瞬間的に似ていても継続的には似ていないだろうから、もしいつかのタイミングで「やっぱ全然違うじゃん」と急に落胆されるようなことがあったとしたらなんだか損だなと思ったりもする。
女優さんに似ているなんて光栄なことだけれども、しかし私は誰にも似ていない私のはずだ、とか気恥ずかしさを覆い隠すような発言もしたくなる。
それに例えば、玉木宏のような美男子に似ている、と言われるような人は、中途半端さや“惜しい”感みたいなのが出ているようにも思うので、やっぱり「似ている」というのはどうなんだろう、と考えてしまう。
ちなみに、おそらく、いもうとは吉田羊さんに似ていると言われることはないであろう。
私といもうとはパーツはそっくりだけれど、醸している雰囲気が全然違う。
日曜だと言うのに、自転車が撤去されてしまった。
5000円・・・というショックと、取りに行くこの上ない面倒くささと。
自転車での行動範囲が広い私は、最近の猛烈な忙しさに無理やり挿入して自転車を引き取りにいかねばならない。
悪いのは私だけれど。
私はとても疲れていて、非常な空腹だった。
暗くなった夜道を、半べその半べそくらいをかきながら、その直前に買っていた明太フランスをかじりながら歩いて家まで帰る。
自転車に乗っていたら、明太フランスを歩きながらかじるということもなかっただろうに。
十歳の阪神忌から三十歳