徒然なるまゝによしなしごとを書きつくる

旧タイトル めざせ、ブータン

10年住めないのか...

2011年04月23日 | 政治

今朝の毎日新聞の一面余禄はこう始まっている、

その日は初夏の陽光に輝く素晴らしい土曜日だった。週末はメーデー休暇へと続き、人々はうきうきと水泳、日光浴、ピクニック、ボート遊びを楽しみ、野外結婚式も行われた。1986年4月26日、旧ソ連のプリピャチ市のことである 市近くの原発が爆発したのはその日未明だ。...ある夫婦の会話だ。「何日くらいかしら?」「おそらく永久だ」「でもメーデーのパレードはどうなるの?」「メーデーなんて中止だ」 そのチェルノブイリ原発事故から25年、プリピャチは今も廃虚のままだ。

この”永久”に戻れない事があることを、原発事故では起り得ると我々は認識している。その同じ紙面で岩見隆夫(近聞達見)は菅首相が先週、言った言わない、で吊るし上げを食った”10年住めないのか、20年住めないのかということになってくると...”という件を持ち出し”菅には心が無い”と批判を繰り返している。福島原発近隣(3-5km)地帯は現実として今後10-20年間は人が住めない可能性は高い。それを自分のスタッフと相談した事が、それほど非難されるべき事であろうか? 事実がそうである以上、これは意味の無い批判だと私は思う。あくまで、菅を降ろしたいようだ。こんな事をいつまでも鬼の首を取ったように言及するマスコミにはうんざりする。私は先日も書いたように、今はそんな事をやっている事態では無いと思う。

もう少し言うと、岩見は文中 ”それなら、菅は懇切に説明すればよいのではなかろうか。”と括っている。これは、言うは易し、行うは難しである。そんな事がやすやすと出来る政治家が世界に何人いるか?菅さんにそんな説得力があると、本気で思っているのであろうか?また、それを受ける国民もそれほど成熟しているとも思えない。菅の発言能力でうっかりそんな事をすれば、マスコミはここぞとばかりに寄ってたかって袋叩きにするだろう。それも、これもリーダーを引き摺り下ろしたい事が有りき、だからでは無いか。繰り返すが、今はオンボロ神輿でも、皆で担ぐほか無い状況だと言う事は、岩見のような大人なら解るはずだが...