ricetta della vita

イタリア料理教室「COMODO」主宰 
美味しい話をしましょう

個人的な思い出話

2014-03-02 | 日記・エッセイ・コラム
高校時代、地区大会を勝ち抜いて県大会への出場が決まった。運動部の生徒は日頃から立場のないような学校で、さらに3年生はそろそろ引退という、受験勉強に入る前の最後のあがきの時期でもあった。


県大会の場所は富岡町。原発のある町ということは県民なら誰でも知っていたが、それ以上もそれ以下も知らない私たちは、いろいろな面でまだまだ子どもだった。


初めて訪れた町は、海が近く、のどかで自然豊かな場所だった。試合が行われた体育館や公共の建物がとても立派で驚いた。町の規模とは不釣り合いな様子で、危険なものを引き受ける代わりとはいえ、自分たちの暮らしている場所との大きな違いを私だけではなくて部の皆が感じていた。


滞在中に、ちょっとしたできごとがあった。夕食後に、私たちは近所の公園へ出かけた。同じ地区から来ている男子校の生徒たちとそこで会って、ちょっと話をして写真を撮るという、昭和の田舎の進学校の精一杯のはみ出し行為だった。けれど、宿に帰ったところ顧問の先生が泣き出し(大学を出たばかりの若い先生でした!)、もうひとりの引率の先生からきつーい言葉で説教された。あなたたちは学校を代表して来ているのだからとか、何かあったらどうするつもりだったのとか。。。今じゃ母校も共学になったけれど、当時は女子校。男子校と接点を持とうとして一緒に練習をしようとかあれこれ画策しても、ことごとくつぶされてきた私たちにとっての小さな小さな冒険は苦い思いを残した。


一番こたえたのは「宿のおばさんたちがとても心配している」と言われたことだった。おばさんというよりはおばあさんに近いような地元の人たちを心配させてしまった。翌日、たくさん食べなさいと美味しい朝ご飯を用意してくれたことに、ありがたく、そしてとても申し訳ないなと思った。



私たちはたまたまあの町でたった数日を過ごしただけ。単なる個人的な思い出話だ。あのとき皆で撮った写真はもうどこかへいってしまったが、バックに写っていた桜の美しさはいつまでも心に残っている。


もうすぐ3.11がやってくる。