詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

資本主義の未来を描いたホラーの帝王キングの傑作SF『バトルランナー』

2012年03月22日 | 物語
S・キングは最も映画化されたことの多い作家だった。
その最大の理由は、個性的な主人公や登場人物たちのせいに違いない。
その点では、現在最も人気のあるディックも同様だ。

キングの伝記の中で印象的だったのはー
「ジョン・レノン殺害犯が前の日にファンと言ってサインを求めに来た。ほんとに怖かったよ」

キングの初期SF『バトルランナー』は、それほどに資本主義の未来を描いた傑作だった。
その衝撃力は、現代SFの開祖G・オーウェル『1984』に匹敵する。

現代SFはオーウェルから始まり、キングで終わってしまった。
ぼくのなかでは・・

読書好きへの朗報!& プータン国王を利用するな!

2011年11月17日 | 物語
「プロジェクト杉田玄白」では、膨大やマルクスの著作やウェーバーやオーウェルや多くの貴重な哲学書や文学が読める!
当分読書三昧になりそう・・
「プロジェクト杉田玄白」はー『ここ』

このネット図書館と他の「青空文庫」等との最大の違いは、古典とファンタジーが多い点ではと思う。
最近の日本文学や反戦反核文学を堪能できる「日本ペンクラブ電子文藝館」はー『ここ』

プータンはこの大震災直後、日本への一千万ドルの義捐金をという。この貧しい国にとっては国家予算にも匹敵する金額。そして明日福島県の相馬市へという・・しかし加害者側だった官僚(国家&東電官僚)や政治家のほとんどは福島県には行っていない。行ってない彼らがプータン国王を利用は許せない!

大好きな鯖水煮缶や鱈(北海道産も!)から放射性物質検出とか・・暫定基準値一時的に導入し8ヶ月以上もが異常(食材が大半が500ベクレル)。数万円のガイガーカウンターは空間の放射線量を計測の機器。食品の放射性物質を計測するための機器は最低でも数百万円、精度の高いものは1千万円以上!

■日本中の夜空が観られる『ソライブー獅子座流星群2011』はー『ここ』
北海道の故郷の流星群を観てから眠ろう

ハニートラップ(色仕掛け工作)考・・なぜなうでアップできてアメンバーではアップ不可能なんだべか?

2011年11月13日 | 物語
死んだ眼や野獣のような眼の政治屋(民主党MやNや自民党KやMが典型的)を見てると、ハニートラップについて詳しい戦後最高のエッセイストの一人米原万里を連想する。
もう一人は松下竜一!
現在ネットで読めるのはー『ここ』

米原万里のエッセーを読んで考えたのは、デビ氏が第三夫人だったスカルノもさすがと思うが・・
これ以後はKGBばかりではなくCIAも方向転換したのではと思う。
米国で学んだ売国奴連中ー中曽根~松下財閥政経塾生~小泉ジュニアたち等の多くの政治家や高給官僚たちもハニートラップ被害者かもしれない。
そうでなければ、彼らの人形のような眼や、情け容赦のない売国奴性は説明不可能と思う。

「戦前の日本軍隊でオカマを掘られた」という老人がいた。
映画「私は貝になりたい」や、日本ペンクラブ電子文芸館(『ここ』)で読める数十冊もの戦争文学もそうだけど、捕虜を銃剣での刺殺を強制する軍隊や、従軍慰安婦を引き連れて進軍してゆく狂気の軍隊ではなんでもありだったろうと思う。

初めての短編の試みー兄の物語(未遂行)

2011年10月11日 | 物語
僕の四歳年上の兄は、高校卒業間近という18歳の時に家出して以後ずっと行方不明のままだである。あれからもう三十年以上がたってしまったというのに。
点在する開拓地の中心に炭鉱がぽつんとあった故郷には、現在はほとんど住む人がいないという。細々と農業をやる以外には。そのせいで、高校卒業後は一度もふるさとを訪れたことすらない。
両親は兄の失踪後、食うや食わずの開拓地での農業に見切りをつけて都会で働くようになった。

兄の第一印象は、弟の僕ですらも怖気ずくようなガラス玉の目と人並み外れた暴力性だった。数年間暮らしただけの異父兄弟のぼくにだけは決して暴力を振るおうとはしなかったけれど。
彼の毎日は喧嘩やいじめの毎日だった。中学後半以降は不良グループでの。
まだ小学生だったぼくは、彼の十年以上もという長い孤児院生活のせいだろうと勝手に解釈していた。
もらわれっ子のぼくの友人でさえも、いじめっ子たちに付け狙われて、毎朝登校の時に僕を誘いきていた。校門で彼を見つけて、早速いじめようという奴もいた。
遠い便りでは、精神を病んで精神病院に入院したまま亡くなってしまったという。

この物語は、約十年以上も前に彼とは何度か会い、家出直前にも彼が訪問したという北海道の母の従姉妹から届いた手紙(母の棺に入れて今はもうない)を、できるだけ忠実に再現した物語であることを最初に断っておきたい。

ジョージ・オーウェル『1984年』から現代SFは始まった

2011年10月10日 | 物語
ジョージ・オーウェル『1984年』から現代SFは始まったと思う。
その後継者として真っ先に挙げなければならないのは、映画『ブロードランナー』や『トータルリコール』の原作者のフィリップ・k・ディックだった。

「五分間憎悪」「マスコミによる洗脳」「官僚組織による監視と冤罪」はどの時代の強圧的政府にも共通するもので、それがますます巧妙になりつつある。

日本では相も変わらず北朝鮮・中国への憎悪を、米国では「テロ国家」やイラン・キューバへの憎悪がージョージ・オーウェル『1984年』から現代SFは始まった

「神」以上の存在となりつつある人間

2011年10月01日 | 物語
20世紀末から、人間が「神」以上の存在となりつつある。自然界には存在しない物を加速度的に作り始めつつある。
自然化界には存在しない数十万という化合物や、遺伝子改造による人工生命や遺伝子組み換え作物がいよいよ従来の物や生物を駆逐しつつある。

その中の一つでさえも、自然環境や人間や他の生命や生態形にどのような影響を与えるかわからないというの・・それらが組み合わさるとどんな影響があるのかは人知をはるかに超えている。

現在のわずかな対策案として、スウェーデンのように、あらゆる時代のあらゆる地域での食材を缶詰にして残す試みくらいだ。
(新病や奇病が発生した時、食材的には原因追及可能になる)

福島原発事故に対してもこの方法はとても有効だと思う。
事故終焉までどのくらいかかるかわからない中で、これからますます深刻になるのが、食物・水摂取を通じての内部被爆の蓄積だからだ。

産地偽装が横行する原因は、罰則の軽さ(原発事故等の安全や生命・生存権を脅かす罪はもっと重くすべき!)もあるが、政府・東電がきちんと正確な情報公開をするどころか、情報隠しや後だし情報が多すぎる事からの風評被害と・・きちんと損害賠償をしようとしないからだ。

原発被害地域や危険地域の野菜・魚介類はすべて政府(賠償金を後で東電に請求)が緊急的に買い上げて、食べられそうな物は缶詰等で後世に保存すべきと思う。安全が確かめられた物を希望者に無料配布しながら・・


検察や裁判所が暴走し、発狂してゆく理由とは?

2011年09月28日 | 物語
検察や裁判所が暴走し、発狂してゆく理由について考察したブログ記事『不当判決を出す裁判所の問題点:「人質司法」「判検交流」「人事制度」』はー「ここ」

社民党以外の政党が、小沢氏の国会への証人喚問要求と元秘書石川衆院議員辞任を衆議院に提出という。
まったくなんというふざけた政党や政治家どもばかりなのだろうか。
↓にアップした江川詔子さんの言うように、この事件は証拠がゼロの限りなく冤罪に近い事件であり、この事件を認めることは、時代に逆行した検察とその下請け機関に堕落した裁判所のファシズムに迎合する政党・政治屋ばかりというしかない。マスゴミはとっくに彼らの翼賛宣伝部門という糞まみれ状態だが・・
そのような政党や政治屋やマスゴミたちは、今後一切民主主義や法律について語るな!と言いたい。

《江川詔子さんのブログ記事からー
小沢秘書裁判の結果を受けて。
裁判所の大胆で強気な判断の連続に、判決を聞いていて驚きを禁じ得なかった。

実際に報告書を作成した石川知裕、池田光智両被告は有罪とされることは十分ありうる、と思っていた。この事件は、お金の出入りについて、政治資金収支報告書に記載すべきかどうか、いつ記載すべきかが、本来は最大の争点だった。なので、実際に支出があった年に報告しなかったり、小沢一郎氏の他の政治団体など身内間の金の融通についても逐一報告しなければ違法、と判断すれば、有罪になる。

なので、主文言い渡しの際、2人が有罪となったことについては(求刑通りという厳しさには「おっ」と思ったが)、特に驚いたわけではない。驚いたのは、判決理由と、陸山会事件で大久保隆規被告も有罪とした点だった。  

東京地裁は、6月に証拠採否の決定で、検察側主張を支える供述調書の多くを退けた。自ら証拠を排除しておいて、判決ではそれを「当然…したはずである」「…と推認できる」など、推測や価値観で補い、次々に検察側の主張を認めていった。しかも、その論理展開は大胆に飛躍する。

たとえば、大久保被告の関与。同被告が政治資金報告書の作成に関与していないことは争いがない。しかも、石川、池田両被告が「報告書原案を大久保被告に見せて了承を得た」とする検察側主張を、裁判所は判決で退けている。

にも関わらず、石川被告から土地の登記の日をずらすよう不動産会社と交渉して欲しいと頼まれたことで、小沢氏が建て替えた4億円を隠蔽することについてまで、大久保・石川両被告人は「意思を通じ合った」と決めつけた。さらに、それから半年後の報告書に虚偽を記載する共謀までできあがったと認定。そのうえ、石川被告から後任の池田被告に事務に関する引き継ぎをもって、「石川を通じて池田とも意思を通じ合った」と断定した。そんな証拠はどこにあるのだろうか。

法廷で明らかになったことは全く逆の事実だった。石川被告が自身の選挙の準備で忙しく、丁寧な引き継ぎを行わなかったうえ、この2人の関係は疎遠だった。池田被告は厳しい石川被告を恐れ、満足に問い合わせもできずにいた。そのため、報告書に記載された金についての認識も、両者で食い違う。

にも関わらず、石川被告を媒介に大久保被告と結びつけられたうえ、判決でいきなり「大久保に報告するのが自然である」と認定された池田被告は、よほど驚いたのか、目をぱちくりさせていた。

いくら「名ばかり」といえども、会計責任者になっている以上、石川、池田両被告人の行為が違法と判断されれば、大久保被告の道義的、あるいは政治的な責任が問われるのは当然だろう。しかし、だからといって刑事裁判において、裁判官の価値観と推測によって、かくも安易に共謀を認定し、刑事責任を負わせるというのは、あまりに荒っぽく、危険に思えてならない。

犯罪の実行に直接関与せず、それについての相談にも乗らず、謀議もなく、事後にも何の報告も受けず、犯罪の存在すら知らずにいても、共謀が成立して有罪となるのでは、企業などでは部下の犯罪は知らずにいても上司の罪となりうる。これでは、郵便不正事件で、係長が行った公的文書の偽造を上司の村木厚子さん(当時課長)は知らないはずがない…という思い込みから出発した(と考えられる)大阪地検特捜部の発想や判断と同じではないのか。

水谷建設から石川被告への5000万円の授受も、目撃者も裏付け証拠もないまま、同社関係者の証言だけで、「あった」と断定した。これなら、複数の仲間が一定の意図の下に「金を渡した」というストーリーに基づいて話を合わせれば、それが事実ということになり、いくらでも事件が作れてしまう。石川被告に5000万円を「渡した」とする証人は1人だけで、しかも、その証言に疑問を投げかける別の証人も2人いた。にも関わらず、「渡した」と決めつけるのは、被害者の訴えだけで逮捕されたり有罪判決を受けたりする痴漢冤罪事件と同じ構図に見えてならない。  冤罪を防ぐために、昨今は痴漢事件でも、手に付着した下着の繊維片などの裏付け証拠が重視されるようになってきた。今回の判決は、こうした証拠重視の時代の流れに逆行していると言わざるをえない。

もう1つ気になったのは、裁判所が、肝心の政治資金収支報告書の記載について淡々と証拠と法律に基づいて判断するのではなく、「政治とカネ」問題を断罪することに並々ならぬ熱意を注いでいたことだ。

そもそも本件、つまり政治資金の虚偽記載に関して、水谷建設からのヤミ献金の有無は直接関係がない。なぜなら、検察側の主張するヤミ献金の受け渡しは、土地購入のために小沢氏が4億円を立て替えた後の出来事で、この4億円に問題とされた水谷マネーは入りようがないからだ。なので、小沢氏を起訴した検察官役の指定弁護士は、この問題を争点から外している。

ところが、秘書3人の事件では、検察側は「動機もしくは背景事情」として、このヤミ献金疑惑の立証にもっとも力を入れた。そして、裁判所もそれを許した。裁判を傍聴していても、これはいったい何の事件だったのか、ヤミ献金事件、もしくは収賄事件の裁判ではないかと錯覚しそうになったほどだ。

そして迎えた判決も、この点に多くが割かれ、読み上げる登石郁朗裁判長の声にももっとも熱が込められていた。やはり、これは収賄事件の判決ではないかと思うほどであった。そして、すでに閉廷予定時刻の5時が迫っているのに、量刑の理由を読み上げる前に、わざわざ10分間の休廷をはさみ、一気呵成に「小沢事務所と企業の癒着」を論難した。

その口調からは、裁判所が「政治とカネ」の問題を成敗してやる、という、ある種の「正義感」がびんびんと伝わってきた。そこに、我々が社会の不正を正してやる、という特捜検察の「正義感」と相通じるものを感じて、私は強い違和感を覚えた。この種の「正義感」は「独善」につながることを、一連の特捜検察の問題がよく示しているのではなかったか。

証拠改ざん・隠蔽事件で大阪地検特捜部の検事三人が逮捕されて一年。検察の独自捜査の問題点が少しずつあぶり出され、検察自身も改革を進めつつある。せっかく取り調べの可視化や客観証拠を重視することで冤罪をなくしていこうという機運が高まってきたのに、こういう判決は「マスコミを活用した雰囲気作りさえできていれば、薄っぺらな状況証拠しかなくても、特捜部の捜査は有罪認定する」という誤ったメッセージにならないかと危惧する。

刑事司法の問題はすなわち裁判所の問題だ。検察が無理をしても調書を作るのは、裁判所がそれを安易に採用し、信用するからだ。しかし、郵便不正事件以降、裁判所も検察を過信するのを控えるようになってきたのではないか、という期待もあった。ところが、それはあまりに甘い見方だったようだ。

今、もっとも改革が必要なのは、裁判所かもしれない。(9月27日の朝刊に掲載された共同通信配信の原稿に、大幅加筆しました)



手塚治虫の一番弟子坂口尚の『石の花』

2011年09月27日 | 物語
↓の数百万人がガス室等で虐殺されたというナチスドイツの強制収容所について書いてたら(ここで虐殺されなかった民族は日本人くらいとか)、手塚治虫の一番弟子坂口尚連想を。

彼の傑作漫画『石の花』は今でもユーゴ史を研究する際の最重要資料だとか。
◆坂口尚の漫画とはー「ここ」
◆坂口尚『石の花』についてとても詳しい!のはー「ここ」
◆坂口尚『石の花』の背景はー「ここ」

第一次世界大戦後に作られて・・第二次世界大戦後までずっと、ナチスドイツ・日本帝国・イタリアからアメリカ等の連合国の銀行家が集まってスイスで戦費決済をやっていた「国際決済銀行」の後継のIMF(欧米のユダヤ国際金融資本支配)によって、ユーゴスラビアは民族浄化の実験材料場所へとだったが・・

同様に、このアメリカ支配のIMFによって韓国は外資支配の世界で最も人々が絶望する国にされ、日本は戦後ずっとらの金庫番だった。

ユーゴスラビア以外の、ポーランド等の東欧諸国はなんとか持ちこたえて、ロシアはなんとかそれに反抗して再び蘇り・・
IMFとアメリカに散々食い物にされたアフリカとは対照的に、南米もなんとか蘇りつつあるが・・

フランクル『夜と霧』

2011年09月27日 | 物語
フランクル『夜と霧』は子供時代に、ナチスの強制収容所写真集と一緒にかなり年上の従兄弟に借りて読んで以来、いつも頭の片隅にあった本だった。

特に以下の言葉はー
《 わたしたちがまだもっていた幻想は、ひとつまたひとつと潰えていった。そうなると、思いもよらない感情がこみあげた。やけくそのユーモアだ!
やけくそのユーモアのほかにもうひとつ、わたしたちの心を占めた感情があった。好奇心だ。

人は、この世にはもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。

およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。

被収容者の内面が深まると、たまに芸術や自然に接することが強烈な経験となった。この経験は、世界やしんそこ恐怖すべき状況を忘れさせてあまりあるほど圧倒的だった。

ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒でも、周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっているなにかなのだ。

「強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、わたしの真価を発揮できるときがくる、と信じていた」
 けれども現実には、人間の真価は収容所生活でこそ発揮されたのだ。おびただしい被収容者のように無気力にその日その日をやり過ごしたか、ごく少数の人びとのように内面的な勝利をかちえたか、ということに。

強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来の目的を見つめさせること、つまり、人生が自分を待っている、だれかが自分が待っていると、つねに思い出させることが重要だった。》

いよいよ属国ファシズムと核のゴミ捨て場列島ー日本低国の完成

2011年09月27日 | 物語

属国売国奴官僚と民主党内クーデター派(前原、野田、管一派)と、自公の売国奴政治屋と翼賛マスゴミの次の狙いは、民主党公約遵守派を、小沢派から順番に血祭りにあげてゆく事と、長い間待ち望んでいた平成「関東大震災」後に、自衛隊のクーデター部隊を使って、一挙に強権的な独裁国家を樹立する事だろう。

もちろん彼らの裏にいるのは、アメリカの戦争屋とユダヤ系国際金融資本とCIAであり、彼らの究極の目的は「日中戦争」とTPPによる属国属領日本からの徹底的な富の収奪によるアメリカの再度の建て直しだ。
日本などはもはや、原発や核兵器のゴミ捨て場として人体実験列島ぐらいの位置づけだろう。

次期首相最有力候補の小沢氏さえも冤罪で抹殺可能(証拠はまるでなく、原発反対の前福島県佐藤知事を冤罪で嵌めた実績を持つ水谷建設社長の証言だけ)というなら、その他のどんな政治家や国民も検察の魔の手を逃れることが不可能だろう。

ナチスドイツやスターリンのソ連でそうだったように、反体制派や権力者が目障りと思う人々が順番に血祭りにされてゆくのが、確実にこれからの日本史となることだろう。

ガルシア・マルケス『族長の秋』読了

2011年09月25日 | 物語
独裁者小説ガルシア・マルケス『族長の秋』読了。

途中までは、スターリンのような独裁者だなと思いながら読んでいたが・・戦前の天皇制もまた同じようなものかもしれないなと思いつつ読了。

戦後もほとんど同じ構造を継承なので、この物語は日本について書かれたもうひとつのこの国の物語かもしれない

誰もまだ触れていないようなので、「ニュートリノが光速よりも早い」という実験結果報道についてー

2011年09月23日 | 物語
ニュートリノは素粒子の一種で,素粒子の間に働く力もまた通常4種類に分類とかと。

この報道を観ていて、学生時代以来の持論『四要素論』をまたまた思い出した。
ぼくが学生時代には、遺伝子の文字も四つ、宇宙も四つの要素、恒在する素粒子も四つと習ったけど・・素粒子の間に働く力も通常4種類に分類可能だとか。

物質界と生命界の極大・極小分野が相似的で連関を持つという自論についてはー
現在でもまだ、ぼくの自論の基礎になったそれらがまだ定説なのか、新しい発見があったかどうかについては不明だが・・

新しい物を生み出すための最小限の単位が四つの要素なのではと推測する。
進化や人類進化にも関しても、将来はこの『四要素論』が適応可能なのではと思う。

◆『素粒子の仲間とニュートリノ』という記事はー「ここ」

ガルシア・マルケス『百年の孤独』

2011年09月22日 | 物語

ガルシア・マルケス『百年の孤独』を、二日間で、約四分の一まで・・
かっての読書ではなかった幸せな時を過ごしている。
おそらくこの本は、死の直前まで、何度も何度も読み返されるべき本に違いない。

現在までのこの本への印象は、梨木香歩の解説とほとんど同じー
《ガルシア・マルケスの小説を読むといつも熱帯の熱気の充溢を感じる。時間と空間を猛スピードでアクロバティックに移動するジェット・コースターにのり、次々にやってくる膨大な情報量の波に打たれ、呑み込まれ、くぐり抜ける恐怖と快感・・》