詩人PIKKIのひとこと日記&詩

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戦前がそっくり温存<本澤二郎の「日本の風景」(3224)

2019年01月23日 | 犯罪
戦前がそっくり温存<本澤二郎の「日本の風景」(3224)

<歴史に断絶がなかった日本を象徴する竹田一族>
 安倍・自公・日本会議の極右政権でくっきりと見えてきたことの一つは、日本の戦前と戦後が、そっくり温存されている点である。伝授してくれた人物は、宏池会最後のリーダーで、大平正芳の秘蔵っ子で知られる加藤紘一だ。残念ながら筆者は、彼との交流は少なかった。官僚癖の少なかった池田行彦が、宏池会の伝統を守れるリーダーと信じたのだが、無念にも小渕恵三内閣の三役を最後に体調を崩してしまった。

 「戦前の国家主義が戦後にも継承されている。欧米の反発を招く」と加藤が明らかにしたのだが、その証拠が靖国神社にあると指摘した。遊就館という神社の歴史館である。見たことがないのだが、加藤はここを覗けば、戦前の歴史と戦後の歴史が継続している、と事情を知らなかった筆者を仰天させた。
 彼の一言に覚醒した筆者である。彼はその後に、自宅を右翼に放火されて、貴重な資料を焼かれてしまった。神社神道の怖い点であろう。
 そういえば、加藤の恩師の大平も、世田谷の自宅を燃やしている。大平はクリスチャンで、森喜朗や安倍晋三のような神道の「神の国」信者ではなかった。

 そんな過去をそっくりと継続してきた一族が、いま話題沸騰のJOC・日本五輪会長の竹田である。
 彼の父親は関東軍参謀だったという。それもハルビン731部隊の参謀だったというから、不勉強なジャーナリストを驚かせた。ということは、石井四郎・731部隊長らとともに戦犯に問われることなく、戦後を生き抜いた。驚かされたことは、現JOC会長の父である元関東軍参謀は、戦後にJOC会長を歴任していた。

 これは戦後民主主義を尊重する多くの国民にとって、頭を割られたような衝撃である。戦争犯罪容疑で巣鴨拘置所に拘束されたが、無事に逃れた岸信介や児玉誉士夫らより軽かった。というよりも、無傷のまま戦後を生き抜いた竹田の父親の存在にあきれるばかりだ。

 今回の五輪買収事件が発覚しなければ、父親の正体を知る機会はなかった。東京五輪買収疑惑を捜査しているフランス司法当局に、多くの国民は感謝感激であろう。
 この一事をもってしても、日本とは過去と断絶しているドイツとの落差は決定的である。中国とドイツの友好関係も理解できる。
<反省・謝罪のない神社神道と同じ竹田一族>
 戦前を引きずる人間や組織・団体の特徴は、しっかりとした反省をしていない。したがって謝罪もしていない。
 国家神道を継承する神社本庁もすごい宗教団体である。その政治・宗教力で、日本国の代表である首相を靖国神社のみならず、最近では伊勢神宮にも
参拝させて、公然と憲法第二十条違反をしている。そして驚くべきは、この憲法違反に法律家・司法が沈黙している。
 反国家的行為は、内乱罪に相当しようか。
 神社神道は竹田一族レベルか、もっと悪質である。歴史の反省はおろか、侵略戦争を正当化している。言論と議会の腐敗が背景にある。
<自民党と下駄の歯・公明党も歴史を直視していない悪党>
 歴史を直視すれば、反省と謝罪へとつながる。そうしてこそ、隣国との友好を構築名前は同じだが、中身は異質である。
 その自民党に下駄の歯となって付着している現在の公明党も、歴史を直視できないか違憲政党に変質してしまっている。池田大作氏が「民衆の味方」と規定して発足した公明党とは、全く異なっている。
 両党とも戦前を引きずって、そのための改憲に突き進んでいる。

 ローレンス・ブリットのファシズム研究を知ったばかりだが、彼のファシズムの過程は、ヒトラーのワイマール体制を崩壊させた手口とそっくりなのだ。
<復活した財閥も戦前を継承、改憲軍拡へと突き進んでいる>
 この世はカネ次第という。その金は財閥が握っている。過去を正当化する神道と自公を背後で操っているのが財閥である。

 戦後復活した財閥だが、学校の教科書にも「財閥」の文字がない。反省と謝罪をしたくないためであろう。これに誤魔化されている隣国の学者も少なくない。
 自公の改憲軍拡による莫大なおこぼれは、むろん、財閥へと流れるだろう。平和産業を放棄する姿勢は、アメリカの軍需産業をまねている。

 戦前がそっくり温存された竹田一族、はたまた戦前を継承している神道、安倍・自民党と巨大財閥が、戦後の日本を駆逐しようとしている2019年である。

 油断大敵などと鷹揚に構えている時期ではない。
2019年1月24日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

追記 北京の春は近い。都心の小さな公園に植わってるコブシの蕾が、大分うす緑の変わっている。柳の地上に向かって垂れ下がっている細い枝が、黄色くなっている。人々の大移動が始まっているらしい。もっぱらバス利用だが、安くて便利な乗り物である。お年寄りは無料なので、よく利用している。彼らは、若者に負けないでスマホを駆使して、車内もにぎやかだ。14億人の中国は、何処をつついても堂々としている。
現在困っていることは、使用しているライブドアのブログの使用変更で、思うように扱えない点である。元に戻せ!

竹田恒和の父親は731部隊の参謀 竹田宮恒徳
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/331.html
投稿者 良寛 日時 2019 年 1 月 16 日 18:20:38: Vgi3QvtUnz6pE l8eKsA
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 竹田恒和氏の父親は、中国で人体実験を行っていた731部隊の関東軍参謀の竹田宮恒徳(偽名で帰国し宮田と名乗る)。戦後、戦犯に問われることなくJOC会長になる。 昭和天皇の従兄弟にあたるが、アベシンゾーを支持する日本会議とは、こんな鬼畜ばかりのカルト集団だ。息子はご存知ネトウヨの竹田恒泰。オリンピックは彼らカルトが主導している。忘れてはならない。
「21世紀の戦争論 昭和史から考える」より

コメント
1. 2019年1月16日 18:30:00 : UPaJl6yzxQ : Sabv9K00ubk[123] 報告
▲△▽▼

●731部隊参謀の竹田宮恒徳1964五輪JOC会長
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/2c4167cec36865ccdfa3a2154b6b7dbc
●日本の事実上の植民地である満州で悪逆非道な人体実験を行っていた731部隊が属していた関東軍の参謀は、昭和天皇の従兄弟にあたる竹田宮恒徳
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-2126.html
●竹田恒和の父親は中国で組織的な財宝略奪を指揮した人物
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901140000/

ファシズム五輪<本澤二郎の「日本の風景」(3218)

2019年01月23日 | 犯罪
<フランス司法当局に暴かれるか東京五輪の闇>

 フランス革命を成功させたフランス人は、国際的にも特別、誇り高い民族として知られる。戦後の政界随一の英語使いの宮澤喜一も、フランス人との英語対話は無理なので、国会議員になっても、フランス人教師を雇って、フランス語の勉強を怠らなかったほどである。現在、そのフランス司法当局が、2020東京五輪の不正を暴こうとしている。ファシズムと五輪の関係について、被侵略国のフランスは悲劇を受けた側だから、ファシズム五輪に詳しい。したがって、ヒトラー五輪をなぞったような東京五輪の不正暴きゆえに、捜査に手抜きはなさそうだ。現に、JOC会長の開き直り会見は、質問なしで逃げたため、疑惑の深さをより鮮明にさせた形となった。

<主役は戦前を引きずる安倍晋三・森喜朗らヒトラー信者>
 安倍・自公の日本会議内閣は、ヒトラーの政治手法のみならず、具体的な政治目標までそっくりであることが、ローレンス・ブリットのファシズム研究で、くっきりと証明している。中でも、芸術や知性を軽視する一方で、スポーツを武器に国際世論を欺きながら、民族主義の高揚も図るという一石二鳥作戦であることが分かる。

 したがって、フランス人にとってファシズムの手口は、手に取るように分かるため、多くの日本人がそのことに無関心でいることに驚いている。
 思うに五輪獲得の主役は、いずれもヒトラー信者ばかりである。安倍、森に加えて麻生太郎を入れると、もっと正確かもしれない。
 安倍の祖父・岸信介は、戦前の商工大臣で知られる。岸の親類に、ヒトラードイツと三国同盟を結んだ外相の松岡洋右がいる。この一族はヒトラー信者に相違ない。
 国家神道を引きずる安倍も森喜朗も、政治と宗教を一体化させるというヒトラーの手法を用いて恥じない。憲法違反どこ吹く風の「神の国」信者だ。ファシストと見られて当然であろう。
 ヒトラー五輪は1936年、今から83年前のことになる。83年ぶりのファシズム五輪にフランス司法当局が、力こぶを入れるのは、いわば当然なのだ。
 JOCから振り込まれた巨額資金は、シンガポール裁判所が問題企業を有罪と認めた。動きは急ピッチだ。
<JOC会長の竹田の父親が731部隊の参謀>
 JOC会長の父親を知らなかったが、戦前の関東軍、それも生体実験で有名な731部隊の参謀だった。敗戦直前に、彼はそそくさと日本に逃亡、戦争責任からも逃亡、戦後はJOC会長に就任している。呆れてモノも言えない。ここからも日本ファシズム化を読み取れそうだ。
 ドイツだと、ヒトラーのナチス党幹部が戦後のスポーツ界をリードする?ありえないことである。息子もJOC会長として逃亡会見をした。どうなるか?
2019年1月18日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3199696.html
日時 2006 年 1 月 10 日 01:30:22: 5/1orr4gevN/c
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731部隊隊長の「日記」初公開
2006年01月09日(月) 21時56分
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3199696.html
 細菌兵器を開発し、使用していた旧日本軍731部隊の石井四郎隊長が、敗戦直後に書き記していた直筆の日記が、60年ぶりに発見されました。JNNは発見者のノンフィクションライター・青木冨貴子さんの協力のもと、初めてこの日記のすべてを撮影しました。ナゾに包まれていた石井隊長の戦後・・・その姿が浮かび上がりました。
 「あれはもうA級戦犯として当然裁かれるべきことだったと思いますね。あれが裁かれていれば・・・」(元731部隊員 篠塚良雄氏)
 元731部隊員、篠塚良雄氏は改めて歯噛みをする。捕虜の命を奪う人体実験に関わた。今でも細菌兵器の後遺症に苦しむ旧満州の人々がいる。その罪を悔い、償いの日々を送る。それにしても・・・と思う。
「もしあの男が裁かれていれば」と。
 細菌戦を遂行した旧日本軍731部隊。その創設者であり、部隊長が石井四郎・軍医中将であった。部隊が行っていた人体実験まぎれもない「戦争犯罪」だった。しかし、厳重なかん口令や隠滅工作によって事実は闇に葬られようとしていた。発見された本人の日記は、隠された秘密を静かに、語りはじめている。
 日記は、60年の一巡りを待っていたかのように発見さた。東京、羽田空港に近い運河沿いの街。石井四郎元中将が、ただ1人信を置いた女性は、戦後この街で暮らし続けてきた。
 渡邊あきさん、92歳。家族の希望により、仮名である。渡邊さんは、一日中ほとんど寝たきりだ。認知症の症状が、進みはじめている。しかし、日記を手渡された時のことは、決して忘れていない。

 「隊長が書いたんですね。これ」
Q.どうやって渡されたんですか?
 「これはね『もしアメリカ人が来て没収すると困るからと』といって預けてくださいました」
Q.誰がですか?
 「隊長が」
Q.石井四郎隊長ですか?
 (うなずく渡邊あきさん【仮名】)
 渡邊さんは、昭和7年(1932年)に石井家のお手伝いさんとなった。以来6年間、東京の石井邸で働いた後、石井元中将の勧めで満州に渡り、731部隊の総務部庶務課の軍属となった。仕事は隊長室周りであったから、終戦まで13年間、石井元中将に仕えた関係である。
 「なんか満人(=満州国内の中国人)を使って色んな研究していたみたいですね」
Q.細菌の研究をしているというのはわかっていましたか?
 「うん」(渡邊あきさん【仮名】)
 石井元中将の日記は、表紙に『終戦メモ』と書かれたA5版の大学ノート2冊。敗戦時から同年末までの「部隊撤収」「対GHQ対策」「家族への仕送り」など日々の出来事が、鉛筆で書き込まれている。
 ニューヨーク在住のノンフィクション作家の青木冨貴子さんはこのノートを発見し、苦労の末、解読した。そして去年『731』という本にまとめた。
 「彼自身はあの戦犯に問われるということことを十分知っていて、それで隠れていた」
 「証拠隠滅を指示していたこと自体が、何かやってたということを隠そうとしていたことになりますね」(金平茂紀)
 日記の中に「焼却」の2文字がある。何を焼却したのか?目撃した部隊員は・・・。
Q.何を焼却した?
 「丸太(=捕虜)を。約200名。殺すのはね2棟の倉庫に入れて、毒ガス」(元731部隊 鈴木進さん)
「12月14日 戦犯の件はどうなる、どうする」(日記より)
 この時点ではまだ、戦犯免責は決定していなかった。石井元中将は、その後、しばらく怯え続けていた。
(09日14:46)


竹田恒和の父親は731部隊の参謀 竹田宮恒徳
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/331.html
投稿者 良寛 日時 2019 年 1 月 16 日 18:20:38: Vgi3QvtUnz6pE l8eKsA
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竹田恒和氏の父親は、中国で人体実験を行っていた731部隊の関東軍参謀の竹田宮恒徳(偽名で帰国し宮田と名乗る)。戦後、戦犯に問われることなくJOC会長になる。 昭和天皇の従兄弟にあたるが、アベシンゾーを支持する日本会議とは、こんな鬼畜ばかりのカルト集団だ。息子はご存知ネトウヨの竹田恒泰。オリンピックは彼らカルトが主導している。忘れてはならない。

女漁り<本澤二郎の「日本の風景」(3223) <中国人観光運転手の見た日本人>

2019年01月23日 | 犯罪
女漁り<本澤二郎の「日本の風景」(3223)
<中国人観光運転手の見た日本人>

 昨夜は、実にひょんなことから、北京で観光会社の運転手として、長く勤務してきたという人物が語ってくれた、本当の日本人男の評判を聞いてしまった。「日本の男たちは、夜遊びが大好きで、そのため、なかなか仕事が終わらない。夜が遅くて泣かされた」というのだ。台湾や韓国への日本人観光の多くの目的が、女漁りとは聞いていたが、北京でもという話は、これはニュースであろう。

<北京の公安に見つかった政治家>
 深夜、中国人女性と戯れていた大物政治家のことは、何度か聞いたことがある。そこへと通報を受けた公安(警察)が踏み込んできた。
 以前は、ソウルや台北で、その筋の機関から女性の接待を受けていたようだ。直接、政治家本人から聞いていたが、北京では女性接待を禁じていたものだから、北京での日本人観光客の女漁りの話には、驚いてしまった。
<ナベツネ名詞をドイツの女性が見せびらかしていた!>
 読売OBの衆院議長の話を思い出した。確かドイツのフランクフルトの売春婦が、かの数百億円の資産を蓄財したとされるナベツネの名詞を持っていた、というすごい話である。
 「そのことだけは言わないでほしい」と拝み倒されたといって大笑いしたものである。ナベツネの恩師で仲人は、平和軍縮派の戦闘的リベラリストの宇都宮徳馬さんである。最近は、この事実さえ知らない記者がいるのに、時代の流れを感じてしまう。

 宇都宮さんは、改憲軍拡派の新聞に転向させたナベツネを、何度も「忘恩の徒である」と吐き捨てたものだ。
<安倍晋三の好きなモスクワ?>
 1月22日の安倍晋三とプーチンの日露首脳会談は、もう25回も続いてきたという。
 これを女漁りの日本人男性に言わせると、心臓はモスクワが大好き、ということになろうか。憶測を交えなくても、確実なことである。
 返還されもしない北方四島を「戻るかもしれない」とのムードを流布することが、心臓の強いところである。主権者を小馬鹿にすることは、心臓にとって屁でもないのだろう。
 「今度ばかりは、心臓も相当疲れているので、夫人も同行させている」と消息通は指摘するのだが。「交渉加速」と「交渉継続」を6年間聞かされてきた日本人も心臓も辛抱強い。
<ロシアの素敵な女性を政治家が打ち明けてくれた!>
 残念ながら、まだロシアの地を踏んだことがない。行ったことがないので、よくモスクワへと足を延ばしていたロシア通の自民党政治家から、話は聞いていた。その機会が、何度もあった。
 アルコールが入ってなくても、自然にモスクワの女性が話題になった。すばらしい、素敵なロシア女のことである。
 彼は、東京では見返りに、同じような接待をしたという。
<心臓はポチか猫か>
 国民の多くは、心臓のことを「ワシントンのポチ」と決めつけている。亀井静香さんなどは、そのことで大いに怒っている。
 だが、心臓のプーチンに対する態度は犬というよりも、猫ではないか。最近、そう思うようになった。
 幼いころ、我が家には、いつも猫がいた。冬には猫が布団の中で、暖をとってくれた。猫の特徴は、よくじゃれることである。心臓はプーチンにじゃれている、そんな感じだから、これは外交ではない。

 プーチンの一挙手一投足にじゃれている?間違っているのであろうか。
<同行記者は襟を正せ!>
 心配なことは、同行記者らの素行についてだ。
 心臓とは6年の間に何度も何度も同行する新聞テレビ記者は、様々な経験をするため、それだけで大変な資産である。真実を報道すれば、の話だが、それは出来ない。国民の多くは彼らの「女漁り」を心配している。

 昔の話を披瀝すると、1973年12月のことだった。田中角栄・東南アジア歴訪の時のことである。日本がエコノミックアニマルと言われていたころで、アジア諸国民の日本批判は頂点に達していた。
 角さんは、一番手ごわい娘の真紀子さんを連れて各国を訪問した。彼女の英語力が爆発した瞬間だった。
 初めての首脳外交の同行のため、健康管理に失敗ばかりしていた。つまりは、下痢の日々だった。他方、当時の各国の生活は貧しかった。
 宿泊するホテルの前には、地元の女性が記者の到着を待ち構えていた。それをバンコクで体験した。部屋で下痢対策をしていても、同僚の記者が女性を連れて押しかけてきた。閉口したものである。

 こうした経験は、外交官や商社マンにとって日常茶飯事であろうが、未経験のモノには驚きの連続だった。

 そこで心配なことは、心臓に同行してきた多くの記者団の、夜の大活躍のことである。血税投入の、心臓のモリカケTBS山口強姦魔事件隠しの外遊費用は、諸外国向けのバラマキだけでも50兆円を超えている。

 ジャーナリストの矜持を忘れてはなるまい。ナベツネ化は日本沈没の因であろう。
2019年1月23日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

amebaでブログを書いている「ソウイチ」さん貼り付けます。
原発と水俣病
2008年02月16日 09時32分43秒
テーマ:
ブログ
チッソの創業者・野口遵からはじまる人間関係は、広大であった。野口は曽木電気という電力会社を設立したあと、余った電力を利用して日本窒素という肥料会社を設立した。すでにこの出発点から、化学と発電が同じ人間によって経営されていたことになる。そして野口は、日本がアジアを侵略する新興財閥として朝鮮半島に渡ると、1926年には水力発電をおこなう朝鮮水電を設立後、朝鮮窒素肥料を設立して、両者を合併した東洋一の電力化学コンビナートを建設したのである。

当時、この現場で野口コンツェルンに勤務していた人間の名前として、吉岡喜一、西田栄一、久保田豊、角田吉雄、朝香三郎、宗像英二の6人が記憶されなければならないだろう。
吉岡と西田は、のちにそれぞれ水俣病大量発生時に、水俣工場の排水口から水銀の放流をとめなかった日本窒素の「社長」と「水俣工場長」として、最高裁で有罪が確定した。
 すでに登場したように、久保田豊と角田吉雄は、薬害エイズを放置した83年の厚生大臣・林義郎の身近な一族であり、特に久保田は、戦後も日本のアジア経済侵略の代表者として、アジア各国に膨大な借金をつくらせた人物でもあった。朝香三郎は、これもすでに述べたように、危機管理の第一人者・佐々淳行と、満州事変時に内務大臣として弾圧をおこなった安達謙蔵の身近な一族である。
 1931年に関東軍によって満州事変がひき起こされたあと、野口遵は 中国大陸北部へ進出し、満州の利権にも介入していったが、当時、満州国の商工次官をつとめて水力発電事業の責任者であった岸信介と折衝して、満州~朝鮮の共同水利開発の条約を締結することに成功した。このころ、満州の産業を支配していたのは、満州重工業の初代総裁となった鮎川義介であり、彼ら三人はライバルというより、互いに利権をあいだに置いて、協力的な関係にあった。
 
しかも鮎川義介のごく近い一族が、のちに総理大臣となった岸信介当人である。しかし、さらに近い一族が東急電鉄の五島昇であり、この五島昇の親友が、はかならぬ「エイズ研究班班長」の安部英であった。あらゆることが、戦時中に仲間となった人間関係から生まれてきた。- - - 内務省特高警察を指揮していた正力松太郎と、東急電鉄創業者の五島慶太は、東京帝国大学法学部で同期であった。この五島慶太の息子が、五島昇である。

この鮎川義介の義兄弟として、やはり満州・朝鮮の大きな利権を握っていた久原房之介が、日立製作所の創業者であった。三菱重工、東芝と並ぶ、今日の原子炉メーカー "御三家"のひとつである。鮎川義介、岸信介、久原房之介、正力松太郎たちが、いずれも戦後に戦犯として巣鴨刑務所に入獄した仲間であるのは、このような親しい関係では当然であった。また、彼らに比べて一世代あとのもうひとりの人物、中曽根康弘の場合は、鹿島建設会長・渥美健夫と子供同士が結婚しているが、渥美健夫の弟・渥美昭夫の義父・篠原三千郎が、東急電鉄社長として、五島慶太の大番頭であった。

朝鮮現地で野口コンツェルンの中に頭角を現わしたのが、チッソ社長の吉岡喜一らと共に働いていた前述の宗像英二であった。
 宗像は、戦後、財閥解体と共に日本窒素から分離した旭化成の重役に一度転じたあと、チッソの野口研究所で理事長として君臨したが、この時こそまさに、チッソの排水口から水銀が放流され続け、水俣病がすさまじい勢いで被害者を発生した時代にあった。その宗像が、やがて、68年には、別の世界でトップの座についた。日本原子力研究所(原研)の理事長となって、原子力時代を動かしはじめたのである。
水俣病と大気汚染公害など、あらゆる影を背負って、その内部から原子力発電所が誕生してきた。また、その影を背負って、薬害エイズが誕生してきた。それが、岸信介、鮎川義介、久原房之介、武田長兵衛、宗像英二、五島昇、中曽根康弘へとつながる一族を中心として生み出されたものであったことが、系図から見事に浮かびあがってくる。

梅澤邦臣が科学技術庁の原子力局長だった71年、中部電力最初の浜岡原発1号炉の建設がスタートし、彼は事務次官に昇格した。メーカーの東芝では、その一族として重要な役割を果たした玉置敬三が翌72年に社長に昇格、同じ一族に、初代の原子力委員会委員長・正力松太郎と原子力委員会の委員長代理・井上五郎があった。
井上は中部電力の社長から、日本原子力産業会議理事、さらに動燃理事長という履歴を飾ったのである。その一族に、浜岡建設業者の鹿島建設・鹿島守之介の姿があった。
梅澤邦臣が科学技術庁の原子力局長だった71年、中部電力最初の浜岡原発1号炉の建設がスタートし、彼は事務次官に昇格した。メーカーの東芝では、その一族として重要な役割を果たした玉置敬三が翌72年に社長に昇格、同じ一族に、初代の原子力委員会委員長・正力松太郎と原子力委員会の委員長代理・井上五郎があった。

井上は中部電力の社長から、日本原子力産業会議理事、さらに動燃理事長という履歴を飾ったのである。その一族に、浜岡建設業者の鹿島建設・鹿島守之介の姿があった。

日本では、官僚から天下りして企業の経営者となり、巨大な利益を懐に入れる者が、夥しい数をかぞえる。官僚から政界に転じ、国会を覇府として、さらに大きな利権を手にする慣習がある。

大地震があれば、プールはコンクリート製であり、そこにばりばりと亀裂が入れば、水が抜けてゆく。また原子炉には制御棒があるが、使用ずみ燃料プールには制御棒がないので、万一の臨界反応(核分裂反応)の暴走という危険性が潜在している。いずれの場合にも、使用ずみ燃料が出す巨大な熱によって、燃料が灼熱状態になり、メルトダウンを起こしはじめる。原発を何十基もまとめた事故であるから、チェルノブイリ原発事故とは比較にならないほど大きな地球規模のカタストロフィーになる。
原発で事故が発生した場合、一般の被害者が原子力事業者(電力会社)の過失を立証することは不可能に近いので、「無過失責任」が採用されている。破局的な事故が発生しても、原子力事業者と保険会社を保護するためにつくられたのが、1961年に制定された「原子力損害の賠償に関する法律」であった。しかも、実際の原子力損害における責任限度額は、賠償金が原発1基あたり最大300億円、最小10億円という驚くべき小額である。これ以上の損害賠償は国家が肩代りすることになっているが、国家による賠償は、義務づけられていない。一方、原子力事業者の財産保険は、1000億円を超えている。
広瀬 隆 著「腐蝕の連鎖」薬害と原発にひそむ人脈より抜粋

この他、サリドマイドや薬害エイズにスモン病とこの国の公害とか薬害と呼ばれる事象に厚労省と製薬会社に連なる人脈と官僚や御用学者に政治家とこの国の腐敗の一大モニュメントが六ヶ所村の再処理施設なのだと思う。
薬害エイズの人脈が731部隊の人脈まで遡れ原発推進の人脈と重なるとは?などとこの本を昔に読んだ時に思った。
広瀬隆の調査能力には恐れ入った。
大多数の国民が原発など望まずクリーンエネルギーを望むのに何でこの国は?なんて素朴な疑問からこの本に行き着いた。
御用学者が原発は安全です大嘘をつき続けた結果この国は破局寸前まで来ている。
関東大震災が起きた時どうなるのか?
おそらく何が起きても誰も責任など取らずというこの国の不可思議な機能不全の歴史の正体は政官財による閨閥の生き残りでしか機能していないというこの国のお粗末な現実から来る。
だから機能不全に写るだけで・・・・・・
それで滅んだとしても人間の愚かさに変わりなく、電力会社の腐った人脈によってこの国が滅ぶ可能性は非常に高いかと思う。
で、こういう奴等が愛国心だの共謀罪だのと謳うのだから笑っちゃうのであります。
国を滅ぼしている奴等が国を動かし放射能を垂れ流す、その人脈に水銀を垂れ流し水俣病を起こした人脈があり閨閥を作り上げる。
ということであります。

危うい警察行政<本澤二郎の「日本の風景」(3222)

2019年01月23日 | 犯罪
危うい警察行政<本澤二郎の「日本の風景」(3222)

<清和会OBが千葉県公安委員会に怒りの申し立て>
 千葉県は得意な県である。筆者が「腐臭列島 房総半島の闇」(データハウス)を執筆したことから判明したことは、半島が首都圏の利権の巣となっている、そこに居座る三井財閥の存在、背後の三井と清和会の深い関係であった。千葉県も千葉県警も、利権の渦に呑み込まれていて、県民の利益は軽視されている、ということだった。
 千葉県人の一人として、永田町取材にのめり込んできたジャーナリストも、足ものと不甲斐ない正体に驚愕を覚えてしまった。

 いま徳洲会医療事故・業務上過失致死事件を追及する清和会OBの中原義正も、同じ思いではないだろうか。当たり前の対応をしない千葉県と千葉県警に対して、既に怒りの釘を、警察の最高機関の千葉県公安委員会に、鋭く刺し込んでいたことが分かった。こんな事案も珍しい。
<信じられない千葉県警の捜査手法>
 千葉県公安委員会の存在を忘れていた筆者であるが、警察のお目付け役は、間違いなく公安委員会である。中原は、まともな対応をしない千葉県警の実態を、自らペンを取って、公安委員会に直訴したのだ。昨年暮れである。

 彼は四街道徳洲会病院の医療事故に対して、電話一本で「捜査打ち切り通告」してきた千葉県警に「信じがたい捜査手法」と断罪した。

 申立人の肩書は、元内閣国務大臣秘書官・元福田赳夫総理大臣秘書・自民党本部情報局国際部主任。

 永田町と霞が関の中枢については、ジャーナリストのそれを優に勝る情報量の持ち主であることがわかろう。警察官僚の千葉県警本部長も形無しだ。
 政権党の情報局国際部という名称を、20年もの間、自民党平河倶楽部に所属してきた筆者も、初めて知るポストである。彼が、右や左や外国事情に詳しい理由も、これで分かった。しかも、記憶力がすごい。口からほとばしる激しい言動は、福田が「熱血漢」と呼んでいた理由を素直に理解できる。
 現役ではないが、古巣からの直球ボールに公安委員会も、いい加減に放置できないだろう。悲しいかな千葉県公安委員会のことを知らない筆者である。

 「申立人は、警察行政を熟知している。本事案で、被害者・遺族に対して、問答無用の捜査打ち切りは、常軌を逸したもので、到底承服できない」
 全くそうである。
<不祥事頻発し、捜査は劣化>
 「昨今の警察不祥事は信じられない」ほどである。
 証拠品の巨額現金が警察署内部から盗難に遭ったという事件を、中原はいつも口にしているが、当初は何のことか理解できなかった。想定できないことだから。
 銃の扱いもどうなっているのか。警察は国民のために奉仕する正義の行政をつかさどっている。国民の安心安全を提供する人たちであって、国民から尊敬を集める行政官であろう。
 現実には、持てるモノに味方する不正義の警察が際立つ昨今である。
 中原は、千葉県公安委員会に率直な指摘をして、千葉県警の覚醒を促している。

 筆者もまた、やくざに強姦・性奴隷の挙句、逃げ出そうとした途端、被害者が死んでも口にできない問題を「ばらしてやる」といって殺害した「木更津レイプ殺人事件」の犯人・やくざ浜名を極刑にすべく、決死の言論活動をしている身である。

 中原の怒りは、他人事ではない。
<病院と警察の癒着>
 病院と警察・検察は癒着している。中原はそこにメスを入れて「おかしい。許せない」と怒って公安委員会に釘を刺している。

 町田市のM子さんは、筆者とブログ読者だ。きっと中原行動に拍手を送っているに違いない。医療事故は、この日本に腐るほどある。反省・謝罪のない医療事故死は、山ほどある。
 大半が遺族の泣寝入りである。これは死者を冒涜する行為で、人間として許されざる行為であろう。
 既に中原は、義弟の医療事故死を経験させられている。「平成15年、兵庫県で発生した医療事故で、警察と病院の癒着を目撃してきている。もう沈黙は許されない」とも打ち明ける。

 「警察の捜査は劣化している。警察不信は募る一方だ」と中原が言う場合、それは拉致問題やオウム真理教事件をも指している。
<被害者の悲しみを理解しない傲慢な捜査打ち切り>
 彼は、今回の事案で、被害者の苦悩を理解しない傲慢な捜査に怒り狂っている。
 筆者は、次男の医療事故を不起訴にした東京地検の松本朗を、その都度、思い出す。悪しき検事や悪しき警察官がはびこる背景には、沈黙・泣き寝入りする被害者のすそ野が存在するからだ。
<沈黙は犯罪!声を上げろ!>
 昨年のノーベル平和賞の受賞者は「声を上げよう」と人類に呼びかけていた。先日のアメリカでは、#Mee Too運動の引き金を引いた女優が「声を上げて」と叫んでいた。
 泣き寝入りは犯罪、沈黙は犯罪である。「中原に続け」である。町田市のM子さんにも呼びかけたい。行動を起こすことが正義なのだ、と。四街道市の及川夫妻はどうしているか。
 今沈黙すると、ファシズムが襲い掛かろうとしている日本なのだ。
2019年1月22日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

 追記  このところ、筆者が利用しているライブドアのブログの調子が悪い。やり方が変わったらしい。ブログに掲載したはずが、掲載されていないことが、東京とのメールのやり取りで判明した。大事な記事が載っていないことが判明した。素人はライブドアを使わないことだが、北京ではどうしようもない。不掲載記事を再録させてもらったことを、読者にお詫びしたい。