毎木曜掲載・第198回(2021/4/1)
軍国主義が深化した時代の流行語
『戦前尖端語辞典』(平山亜佐子 著、山田参助 イラスト、左右社、1800円)評者:大西赤人
この本の内容は、「おわりに」において、「本書は、大正八年から昭和一五年にかけて発行された新語、流行語辞典およそ三〇冊から、発想に新鮮さを感じたり、すでに一般語となったものの由来がわかるものや、今見ても面白い言葉を取り上げて解説した辞典風の読み物である」と端的に説明されている。「大正八年から昭和一五年」とは、西暦で言えば1919年から1940年までの約二十年間。時代背景的には、第一次世界大戦終結(パリ講和会議)以降、関東大震災、昭和恐慌、五・一五事件、二・二六事件、日中戦争勃発、日独伊三国軍事同盟条約締結などが起き、いわゆる大正デモクラシーからエロ・グロ・ナンセンスを経て軍国主義が深化した時期ということになるであろう。
現代においても新語、流行語は大いに人々の興味を惹き、毎年、新語・流行語大賞が選定されたりもするわけだが、その過半は一過性の――刹那的な――ブームに留まり、何年か経てば、どんな機会にどんな意味合いで使う言葉だったかさえ朧げになってしまうことも珍しくはない。本書に収録された三百ほどの「尖端語」においても、たとえば「アルバイト」「イミシン」「艶歌」「ツンドク」「猟奇」などのように、多少のニュアンスの変化こそあれ時を経ても日常に定着している例もある一方、今からでは語意の見当さえつかない言葉も多い。本書は、単に当時の辞典から語句を選んだだけではなく、それらが実際に用いられている文章を様々な小説、随筆等から丹念に引いており、具体的にイメージが喚起される(当時のカット類に加え、いかにもその時代を感じさせる山田の数多い「新作」イラストも効果的である)。
大西の父親は1916(大正五)年に生まれた人間だったから、まさにこの『戦前尖端語辞典』に収められた新語、流行語をリアルタイムに見聞きしながら少青年期を過ごしたものと思われる。実際、「鉄管ビール」や「シャン」くらいはその口をついていた記憶があるけれども、一般にその種の言葉を好んで使うタイプであったとは考えにくいし、そもそも、年齢を重ねても新語、流行語を連発しつづける人間は限られるところではあろう。さはさりながら、上記のような「まさにこの『戦前尖端語辞典』に収められた新語、流行語をリアルタイムに見聞きしながら少青年期を過ごした」人々は既に皆無に等しく、従って、これらの言葉がどこまで世間に広まっていたのか、世相を的確に反映していたのかに関しては、いささか疑わしく思われる部分はある。
もちろん大西も当然その時代を知らず、それゆえの浅慮かもしれないが、たとえば「寄生聴」に「自分の家にはラジオを備えず、隣家のを聞いて、それで間に合わせること」との(辞典原物から引いた)語釈がありながら、「当時の受信機は七割が鉱石ラジオ。(中略)一台に寄り集まって聞くしかない」との(平山による)解説が付されていると、両者に幾分の矛盾を感じる。あるいは、「赤大根」には「表面は赤く左翼的であるが、実際はそうでない人を指して言う」との語釈に加え、解説では「プロレタリア文学の流行とともに『プロ青年』たちがこぞってルパシカを着て闊歩していたが、関東大震災【1923年9月:大西注】後に大杉栄と伊藤野枝が虐殺された途端に影を潜めた」と正岡容の文を引いている一方、「築地型」の語釈では「築地小劇場が創立【1924年6月:大西注】された当時は、同劇場に属するものは、揃いも揃ってルパシカに黒のハンチングと云うソヴエット仕込の恰好で、銀座狭しとばかりに練り歩いたものである」と説明されており、いささか辻褄が合わない。
また、「一人一殺主義」には「社会主義者用語。乃《すなわ》ち一人の主義者が一人の資本家を殺して、その目的を達せんとする意で、理論より実行を主とした語である」との語釈を示した上で、「テロ集団『血盟団』(後に検事がつけた名称)が掲げた標語」として、「テロリズムは暴力や脅迫で社会を動かそうとする忌むべき方法だが、一人が一人を殺すというこの話は妙にわかりやすく人口に膾炙しただろうことは想像がつく」と補足している。昭和初期において〝一人一殺主義=社会主義者用語〟と解した原書のバイアスはさておき、現代では、この言葉は、明らかに右翼、国家主義、ファッショとの関係性で位置づけられるべき性質の物だろう。約九十年前の語釈を言わば漫然と踏襲・再生産する解説に関しては、労作であることを認めた上で、なお違和感を拭いがたかったところである。
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