正直、英検などを企画してみて、Noneがある程度
その意義を認めながら、それを「楽しい」と思って
もらえているかどうかとかは、かなり不安になるところです。
誰もがそうではないでしょうか、子どもが興味を持つような
素材をと思っていて、それが子どもの興味をそそるかどうか
なんて、まあ、ものすごく勉強が得意で、すべてをご存知、
というようなすごい方ならわかりませんが、けっきょくはみんな
不安な状態で手探りをしているのではと思うのです。
親の知識が高いから、子どもがそれを見習おうとする、
それはいいでしょう。でもそれ以外の例がないみたいに
言われると、私のように、あまり高い教育を受けたとも
いえない者にとっては、絶望的な状態になります。
まあ、私は、社会人入試という特殊な方法で、国立大学と
いう場所に入ることができて、そういう場所に現役で入学
する人たちというものを見ることができて、その人たちが
受けたという教育の中で、私がしてほしかったようなことを、
自分の子どもに与えるんだと思って、Noneが生まれる
前からの青写真のようなものを持って結婚出産したのですが、
それだって、結局はNoneの性格とは合わなくて、
使えたのはそのうちの一部にすぎませんしね。
技術が発達するのが速くて、(一般的な機器においても、
教育と言う分野のみにおいても)その情報をよく考えて
うまく早く使えるようになることがうちでのやり方になって
いますけれど。新しい時代を否定する人は、(親が旧い教育で
成功している人に多いけれど)自分たちだけが控えていれば
いいだけのことを、それをしている人たちのなかで、
ザッカーバーグのような人は例えには出さなくて、ただ
人の開発したものを使用するだけの、どちらかというと
技術をうまく身に着けられなかった人を、新しい機器の
使用した教育を受けた人の代表のように言いますよね。
しかも、子どもに教育上よいものを目の前に与えて、それに
興味を持てるように誘導するのがうまくできるかどうか、
とかいうのは、親の出来不出来ではなくて、子どものオムツが
早く取れたかどうかぐらいの、その子本人の問題のように思うのです。
私が上手なので子どもが勉強に興味を持ちました、なんて
いわれると、努力しているのにうまくいかない人とかが読むと
どのような思いになるのか考えてないな、と思います。
昨日はスタディギアをやった後は、Noneと話し合って
もう前日前々日、みたいになると語彙ぐらいしかやれないよね、
ということで、語彙の本を見てもらいました。
今日の午前中も、スタディギアで、その後は余裕を持った時間が
あったので、過去問の答え見ながら読むのをやっていました。
スイミングとピアノはいつも通りで、ピアノの後はいつもは
自由時間なのですが、英語をしてもらいたいので、ハリポタを
提案したら、(英語音声ですが日本語字幕で、思うほど効果が
あるかどうかは別ですが)喜んで見たいと言ってくれました。
夕食後は、キンドルでナルニアを読んでもらう話になって
います。
私が教育を上手にNoneに与えられているのかどうか、そして
その結果がうまく出るのか、出たとしてそれが将来Noneが
感謝するものになるのか、
それらはすべて親は不安に思いながら子どもに教育するもの
だと思うのです。
ちょっと、ものすごく不安になっているときに、私は何でもお見通し、
みたいなものを読んでしまったので、落ち込んでいます。
まあ、でも、子どもが勉強に興味を持つ方法なんてご存知で
あるかのようにタイトルが出ていたら、気になって読んでしまい
ますよね。
まあ、高学歴な方が、子どもを自然に私のように勉強する人間に
できるんですよ、ってだけのお話のようですね。なんか、似たような
高学歴の方のために書かれたもののようですし、
私のような無学な者には手が届かないもののようです。
だいたいこんな感じです。
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その意義を認めながら、それを「楽しい」と思って
もらえているかどうかとかは、かなり不安になるところです。
誰もがそうではないでしょうか、子どもが興味を持つような
素材をと思っていて、それが子どもの興味をそそるかどうか
なんて、まあ、ものすごく勉強が得意で、すべてをご存知、
というようなすごい方ならわかりませんが、けっきょくはみんな
不安な状態で手探りをしているのではと思うのです。
親の知識が高いから、子どもがそれを見習おうとする、
それはいいでしょう。でもそれ以外の例がないみたいに
言われると、私のように、あまり高い教育を受けたとも
いえない者にとっては、絶望的な状態になります。
まあ、私は、社会人入試という特殊な方法で、国立大学と
いう場所に入ることができて、そういう場所に現役で入学
する人たちというものを見ることができて、その人たちが
受けたという教育の中で、私がしてほしかったようなことを、
自分の子どもに与えるんだと思って、Noneが生まれる
前からの青写真のようなものを持って結婚出産したのですが、
それだって、結局はNoneの性格とは合わなくて、
使えたのはそのうちの一部にすぎませんしね。
技術が発達するのが速くて、(一般的な機器においても、
教育と言う分野のみにおいても)その情報をよく考えて
うまく早く使えるようになることがうちでのやり方になって
いますけれど。新しい時代を否定する人は、(親が旧い教育で
成功している人に多いけれど)自分たちだけが控えていれば
いいだけのことを、それをしている人たちのなかで、
ザッカーバーグのような人は例えには出さなくて、ただ
人の開発したものを使用するだけの、どちらかというと
技術をうまく身に着けられなかった人を、新しい機器の
使用した教育を受けた人の代表のように言いますよね。
しかも、子どもに教育上よいものを目の前に与えて、それに
興味を持てるように誘導するのがうまくできるかどうか、
とかいうのは、親の出来不出来ではなくて、子どものオムツが
早く取れたかどうかぐらいの、その子本人の問題のように思うのです。
私が上手なので子どもが勉強に興味を持ちました、なんて
いわれると、努力しているのにうまくいかない人とかが読むと
どのような思いになるのか考えてないな、と思います。
昨日はスタディギアをやった後は、Noneと話し合って
もう前日前々日、みたいになると語彙ぐらいしかやれないよね、
ということで、語彙の本を見てもらいました。
今日の午前中も、スタディギアで、その後は余裕を持った時間が
あったので、過去問の答え見ながら読むのをやっていました。
スイミングとピアノはいつも通りで、ピアノの後はいつもは
自由時間なのですが、英語をしてもらいたいので、ハリポタを
提案したら、(英語音声ですが日本語字幕で、思うほど効果が
あるかどうかは別ですが)喜んで見たいと言ってくれました。
夕食後は、キンドルでナルニアを読んでもらう話になって
います。
私が教育を上手にNoneに与えられているのかどうか、そして
その結果がうまく出るのか、出たとしてそれが将来Noneが
感謝するものになるのか、
それらはすべて親は不安に思いながら子どもに教育するもの
だと思うのです。
ちょっと、ものすごく不安になっているときに、私は何でもお見通し、
みたいなものを読んでしまったので、落ち込んでいます。
まあ、でも、子どもが勉強に興味を持つ方法なんてご存知で
あるかのようにタイトルが出ていたら、気になって読んでしまい
ますよね。
まあ、高学歴な方が、子どもを自然に私のように勉強する人間に
できるんですよ、ってだけのお話のようですね。なんか、似たような
高学歴の方のために書かれたもののようですし、
私のような無学な者には手が届かないもののようです。
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