幼児の頃、読書が多い、それはいいことだと思う。
けれど、それが外国語となると、いかにそれが語数
いくらいくらである、といっても、実際に家族や地域で
英語を喋っている環境にある人ほど英語に触れている
わけではないだろう。とくに音声については。
言語のインプットが大量にある場合でも子供は文法を
誤って使用したり、読みを間違えたりする。
私が記憶する有名人ブログのものは、そのあたりが
短期間で完璧に覚えていたものだった。
親が英語の誤った発音や文法を正しく指導できないと
いう話であった場合、それができる誰かがいたと推測
してしまうのはごく普通の推測でしょう。
まあ、たしかに、あれだけの量を読ませました。という
状況自体を作ることが至難の業なので、(ふつうの人に
できないので)それができればあたかも英語が獲得
できそうに思えてしまいます。
けれど、実際、それだけの量の絵本を読ませること自体が、
英語圏の家族で、親が上手に語り掛けたとしても、
あれだけの量をこなすのはなかなかできるものではない
と思われます。それなのに、それを読んだところで、それに
ついて感想などを述べる相手もいない児童が英語の本を
正しい発音も知らない、意味も辞書でひかずに文脈から
推測する、で、自分からどんどん読んで、正しく英語の
本が読めるようになれました、という話がいかに奇妙に
思えたことでしょう。
発音のこと、意味のこと、読んだ感想とか情緒面での
働きのこと、これらが英語のわかる人が周囲にいないで
続けられるというのは、非常に考えづらくて、それが
できたとあくまでも主張されるのであれば、およそそれは
普通の児童にはできないことをなされていたんですね、
としか言いようがない。
まあ、初日、というのですから、まだ秘訣のようなものが
これから出てくるのでしょうが、同時代を見ていた時、
あの有名人ブログを指標としている家がどれだけあったか、
いまさら種明かしなんですと言われても、どうしようも
ありません。
当時私も情報がない中、いかにも情報提供的な銘を打った
ブログで、そのようなおよそ考えられない状態が報告されて
いて、真似のしどころのない状態にあって、およそ現実
不可能な話で英語を話せるようになった話をされているので、
すごく虚無感のようなものを感じさせられました。
まあ、嘘ではなく確かに話せるようにははっているので、
何か記述されていないことがあるのだろうと思ったのですが、
その時点で記述されていることが、それができたらいかにも
英語が獲得できそうに思えるものであるために、支援者も多く、
およそ内訳を聞くことはできないだろうなと思わされました。
多くの人に、それは無理な話やと思う、ということが
言いたかったのですが、それ自体が敵を増やすみたいに
なってしまうので、人のために良かれと思って言うことが
自分の首を絞めるようないやな思いをさせられました。
それに、記録をとったからといって、記録をとれるほど
洋書で本を読む子にすることができることにはなりません。
英語で上手に語り掛ける親でさえも、意味を問題なく通じ
させてわからせてあげられた場合でさえも、それだけの
読書を普通の子にさせてあげられるわけではないのです。
ネイティブが自分の子に読書をさせるための指南本を見ると
そのへんはよくわかります。
英語の話せない親が英語の本を買ってあげて、読書記録を
つけて、ときどきかけ流し、で、あの状態にはおよそ
できないんです。
まあ、多読神話みたいなのをここで一刀両断できるとは
思っていないのでここでやめておきますが、多読は
有効な手段ではあるのだろう、それでも、英語を話さない
親、有効だと言われる教材を使わない、英語を話す環境
にも置かない、で、多読だけであの状態にするのは無理
だと思います。
うまく話をきることができないのですが、ここで終わります。
だいたいこんな感じです。
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けれど、それが外国語となると、いかにそれが語数
いくらいくらである、といっても、実際に家族や地域で
英語を喋っている環境にある人ほど英語に触れている
わけではないだろう。とくに音声については。
言語のインプットが大量にある場合でも子供は文法を
誤って使用したり、読みを間違えたりする。
私が記憶する有名人ブログのものは、そのあたりが
短期間で完璧に覚えていたものだった。
親が英語の誤った発音や文法を正しく指導できないと
いう話であった場合、それができる誰かがいたと推測
してしまうのはごく普通の推測でしょう。
まあ、たしかに、あれだけの量を読ませました。という
状況自体を作ることが至難の業なので、(ふつうの人に
できないので)それができればあたかも英語が獲得
できそうに思えてしまいます。
けれど、実際、それだけの量の絵本を読ませること自体が、
英語圏の家族で、親が上手に語り掛けたとしても、
あれだけの量をこなすのはなかなかできるものではない
と思われます。それなのに、それを読んだところで、それに
ついて感想などを述べる相手もいない児童が英語の本を
正しい発音も知らない、意味も辞書でひかずに文脈から
推測する、で、自分からどんどん読んで、正しく英語の
本が読めるようになれました、という話がいかに奇妙に
思えたことでしょう。
発音のこと、意味のこと、読んだ感想とか情緒面での
働きのこと、これらが英語のわかる人が周囲にいないで
続けられるというのは、非常に考えづらくて、それが
できたとあくまでも主張されるのであれば、およそそれは
普通の児童にはできないことをなされていたんですね、
としか言いようがない。
まあ、初日、というのですから、まだ秘訣のようなものが
これから出てくるのでしょうが、同時代を見ていた時、
あの有名人ブログを指標としている家がどれだけあったか、
いまさら種明かしなんですと言われても、どうしようも
ありません。
当時私も情報がない中、いかにも情報提供的な銘を打った
ブログで、そのようなおよそ考えられない状態が報告されて
いて、真似のしどころのない状態にあって、およそ現実
不可能な話で英語を話せるようになった話をされているので、
すごく虚無感のようなものを感じさせられました。
まあ、嘘ではなく確かに話せるようにははっているので、
何か記述されていないことがあるのだろうと思ったのですが、
その時点で記述されていることが、それができたらいかにも
英語が獲得できそうに思えるものであるために、支援者も多く、
およそ内訳を聞くことはできないだろうなと思わされました。
多くの人に、それは無理な話やと思う、ということが
言いたかったのですが、それ自体が敵を増やすみたいに
なってしまうので、人のために良かれと思って言うことが
自分の首を絞めるようないやな思いをさせられました。
それに、記録をとったからといって、記録をとれるほど
洋書で本を読む子にすることができることにはなりません。
英語で上手に語り掛ける親でさえも、意味を問題なく通じ
させてわからせてあげられた場合でさえも、それだけの
読書を普通の子にさせてあげられるわけではないのです。
ネイティブが自分の子に読書をさせるための指南本を見ると
そのへんはよくわかります。
英語の話せない親が英語の本を買ってあげて、読書記録を
つけて、ときどきかけ流し、で、あの状態にはおよそ
できないんです。
まあ、多読神話みたいなのをここで一刀両断できるとは
思っていないのでここでやめておきますが、多読は
有効な手段ではあるのだろう、それでも、英語を話さない
親、有効だと言われる教材を使わない、英語を話す環境
にも置かない、で、多読だけであの状態にするのは無理
だと思います。
うまく話をきることができないのですが、ここで終わります。
だいたいこんな感じです。
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