
しかしながら・・・自分のこと( 例えば病気治療 )だけやるのって、大変じゃあない(自分が投げださなければなんとかなるんじゃあなかろうか?)けれど、家族のことってハンパなく大変。気持ちよくおきたって、どこからともなくマイナスの気分がどっと押し寄せてくる。
話合いをいくら重ねようと、殆ど分かり合えないと(・・・言っても過言ではない )とうちゃんとの、子供を挟んでの距離感も少しづつわかり、このところいい感じで生活できるようになってきたと思っていたが・・・。
子育てのやり直しは疲れる。本当に疲れる。疲れ果てる。
聞き、考え、相談し、あれこれ、行い、よかった~。ト、息をする。
しかし、次の瞬間には、悉く(ことごとく)ひっくり返される。( エ~~~っ は~~~~っ? )ってな感じ。
( これまで積み上げたものは一体何だったんですか?)
( じゃあ 本当にしたいものは 何なのですか?)
( こう言ったのは あなたでは ありませんか? )
とうちゃんは、会社や年寄りたちの問題で疲れているだろうから、出来得るかぎり、様々な問題をこちらが飲み込み飲み込み・・・暮らしてはいたが・・・。
昨晩は、いつ以来だろう? めちゃくちゃ久しぶりに家族全員揃い、話し合う。
子供には伝える。
「 みんな 違うんだって。おとうさんとおかあさんなんて、価値観、真逆なんだから・・。」
「 わかりあえないもの同士がともに暮らしているんだから・・・。」
「 わかりあおう とするのが そもそも間違っているんだから・・・。」
「 ねえちゃんだって、全然違うこと思っているでしょう? 」
「 おとうさんと、おかあさんのいいとこどりするしかないのよ。」
「 社会だって 同じ、世間様はいろいろなことを言うのよ。その中から自分が、自分に必要なものを頂いて、自分自身を構築していくしかないんだって。」
・・・などなど。
注)( おかあさんの いいところ ありますかね?)

だからといって、それがそのまま、他の人なり、家族のものに応用できるわけではない。
みんな 各々が、たった一人で、自分と向き合って 闘って 手にできるものなのだと思う。
医者にかかろうとも、薬を飲もうとも、誰かにすがろうとも、解決できるわけがない。
誰かを恨むに至っては、おそろしくマイナス方向へ引っ張られるだけで、それでも、そうしたい衝動にかられるなら、やるしかないのかも知れないが、地獄におっこるのは必定て、そんな無駄なことやらないほうがよい。
賽ノ河原で、石を積み上げて、やっとここまできた。と思ったら、鬼がきて 蹴飛ばして行った。そんな絶望感にもにた気持ちになる。自分一人のことだったら、あきらめさえしなければ何とかなる。だけど・・・自分じゃあないヒト達が相手なわけでね。
自助への扶助
ワタシが高校二年生のころ、こころに刻んだ言葉。その響きがすごく好きだった。
この年になって、やっぱりそれしかないよな~って思う。
一人ぼっちというのは、一人暮らしをしていると身にしみるものだけれど、大勢の中にいて一人ぼっちになることのほうが、もっと孤独感がます。
だけど、人生ここまで生きてきてわかったことは、”そうだ みんな一人ぼっち”なのであって、人に頼ってというか、よっかかって生きているから辛いんだ。
誰かにわかってもらいたい。なんていうのは甘ったれている。一人 一人はみんな異なるのであって、分かりあえることなどない。
そういういうことが理解できたら、各々の 重なっている部分で、”そうです(よ)ね。”と理解、共鳴しあって生きていけばいいのだ。それが”一番、楽”というか、”それしかできない” のだと思う。
ヒトは他のヒトと全く同じ経験などできない。どんなにイマジネーションを駆使しても無理。自分と同じような経験( 例えば同じような病気を抱えている )をしたヒトの気持ちが僅かばかりわかるのだと思う。
家族という小さな集団は、実は、社会において、一番難しい人間関係なのだト思う。
>写真は、家庭内 フリースクールにて描いた姫の作品。ちょっとお気に入り。
その赤い花の美しさに目を奪われるけれど、花って、太陽をガンガンにあびて、苦しいことだってあるんだろうな~。御苦労さま~、の ありがとう!
美しいものって 苦しさを乗り越えるから きっと綺麗で人々の目を引くんだと思う。
