この夏の田舎(広島)での滞在では、母や姉とお喋りする時間がたっぷりあった。考えてみれば、姉もワタシもずっとすれ違い生活で、ゆっくりと話しあったことなど殆どない。幼いころも一緒に遊んだという記憶が、ワタシにはあまりないのだ。
どちらかというと、ワタシは一人遊びが好きだった。
姉は、只今は、ゆっくりズムで生活しているが、若い時から、父が亡くなるまでは、元軍人だった父の元で働きどおしだった。おそらく店の従業員の何倍も厳しくしつけられたと想像する。だから、その先どこで働いても、少々の困難は、なんてことなくクリア―していったのではないか?と思う。
< 小学生のころ >
父が大阪で商売の基礎を学んで、広島にもどったのは、姉が小学校の低学年、ワタシが幼稚園の時、姉は都会からもどってきた転校生ということで、小学校にいる間中、ずっと男の子にいじめられていたらしい。まあ今の時代のように陰湿ではないけれど・・・。
間借りをしていたうちの従兄たちは、姉に、学校へ行く道すがら、へびだのとかげだの「 ほら~ほら~。」と押しつけたらしい。
大阪では、あめや、おいもに、ちゃんづけしていたらしく、姉が「 あめちゃん 」「おいもさん 」などというと
これがまた、男の子達の標的になる。「 あめちゃんだって~。」
姉は、いけない、ト思いつつも、うっかり、ちゃんづけしてしまう。これによって、いじられキャラが定着したらしい。
姫( ふ~~ん そんなことあったんだ。)
< ワタシはというと・・・>
もの言わぬ子供であった。幼稚園の時の写真はどれも無表情の子供である。まあ元軍人の家であるから、上には絶対の服従。今のように、自己主張や、自己表現などできるわけもなかった。
大体ワタシが発言するとろくなことにならない。それによって、いつも母が父に叱られるのだ。
私が小学校の2年生ぐらいの時かな?給食で焼きそばがでた。お友達に「 口のよこに黒いものがついているよ。」と言われ、( ああ、もやしの豆の皮だな。)と思い、そのまま、口の中にほうりこんだ。
今でも確信できるのだけれど、それは ” ハエ ” だった。 ” 間違いなく、ハエ だった”
まあ、普通なら、”おえ~っ ”って感じで、口から吐きだすのだろうけれど・・・
その時のワタシは、のみ込んだ。なぜならば、そのあとに展開されていく状況が、幼いながらも一瞬で読みとれたから。
男のこ「 こいつ~ ハエ 食ったぜ~。」「 きったね~ 。」 みたいな反応がおこるにきまっている。ハエを飲み込むことより、そのように囃したてられることの方が、絶対に嫌だった。
今でも覚えている位だから、自分にとっては衝撃的な出来ごとだったと思うけれど、それを誰かに、例えば母や姉に、伝えるなんていうこともなかった。
姉もそうだと思うのだけれど、学校でおきた様々な出来事は、全部自分の中で処理する。そういう姉妹だったと思うし、そういう家だった。親に心配をかけない。というより、母が父に怒られないように気づかいながら、自分の居場所をさがす。そんな風だったと思う。
< 幼い時の夢 >
ワタシも姉も、どうやら、怖い夢をみることが多かったみたいだ。姉は高いところから落っこちる夢。
ワタシはというと、いつもろくな夢をみない。
例えば、骸骨に追いかけられる夢。荷車に骸骨の山、それを骸骨が曳いている。ワタシは生身の人間であるのだけれど、捕まったら同じように骸骨にされる。それが怖くて逃げるのだ。
階段の下の三角の空間、この狭い空間が納戸のようになっていて、その納戸の両側に扉がある。その扉にはドアノブがついていて、それを両手で必死でつかんで、骸骨の追手から逃れるという夢。ドアが ドンドンドンドン・・・とノックされる辺りで目が覚める。
だけど、「 おかあさ~~ん、こわいよ~。」なんて言って親を起こしたりはしない。
父も母も、昼間の労働で、ぐっすり眠っているのだから・・・。
それから、眠れない時間を一人まんじりともせずに過ごすのだ。 夜間 飛行機が飛ぶ。そうすると爆弾が落ちてくるのではないか?と怖くて眠れない。
恐らく、広島県の小学校に通っていたから、B29の話や、原爆の話は小学校一年生から聞いていたわけで、そのようなことも関係しているのだろうとは思う。
時代も時代だ。親は子供たちの学校生活のいちいちに首を突っ込んだりしなかったし、いわんや、放課後の遊びにも干渉しなかった。
ワタシは”橋の下で拾った子供” であったのだし、我がままで悪い子供であった。
注)本当に橋の下で拾われたわけではない。この時代に子供だったヒトの何割かは、このように言われたようだ。
>姉さんへ・・・
メール、こちらへは届いてます。しかし返信ボタンをおしても うんともすんとも動きません。ですから重要なことは電話、もしくは手紙にて伝えます。個人のメールにしても、パソコンが得意な人にとって、盗み読むことは簡単なんだそうですね。
機械文明の中での”生き残り”なんていうことを考えると、まあ一番に脱落するのはワタシだわね。
どこか、ほうきと雑巾(→これは 例え )で生き延びてやるわい!なんていうことを思います。
どちらかというと、ワタシは一人遊びが好きだった。
姉は、只今は、ゆっくりズムで生活しているが、若い時から、父が亡くなるまでは、元軍人だった父の元で働きどおしだった。おそらく店の従業員の何倍も厳しくしつけられたと想像する。だから、その先どこで働いても、少々の困難は、なんてことなくクリア―していったのではないか?と思う。
< 小学生のころ >
父が大阪で商売の基礎を学んで、広島にもどったのは、姉が小学校の低学年、ワタシが幼稚園の時、姉は都会からもどってきた転校生ということで、小学校にいる間中、ずっと男の子にいじめられていたらしい。まあ今の時代のように陰湿ではないけれど・・・。
間借りをしていたうちの従兄たちは、姉に、学校へ行く道すがら、へびだのとかげだの「 ほら~ほら~。」と押しつけたらしい。
大阪では、あめや、おいもに、ちゃんづけしていたらしく、姉が「 あめちゃん 」「おいもさん 」などというと
これがまた、男の子達の標的になる。「 あめちゃんだって~。」
姉は、いけない、ト思いつつも、うっかり、ちゃんづけしてしまう。これによって、いじられキャラが定着したらしい。
姫( ふ~~ん そんなことあったんだ。)
< ワタシはというと・・・>
もの言わぬ子供であった。幼稚園の時の写真はどれも無表情の子供である。まあ元軍人の家であるから、上には絶対の服従。今のように、自己主張や、自己表現などできるわけもなかった。
大体ワタシが発言するとろくなことにならない。それによって、いつも母が父に叱られるのだ。
私が小学校の2年生ぐらいの時かな?給食で焼きそばがでた。お友達に「 口のよこに黒いものがついているよ。」と言われ、( ああ、もやしの豆の皮だな。)と思い、そのまま、口の中にほうりこんだ。
今でも確信できるのだけれど、それは ” ハエ ” だった。 ” 間違いなく、ハエ だった”
まあ、普通なら、”おえ~っ ”って感じで、口から吐きだすのだろうけれど・・・
その時のワタシは、のみ込んだ。なぜならば、そのあとに展開されていく状況が、幼いながらも一瞬で読みとれたから。
男のこ「 こいつ~ ハエ 食ったぜ~。」「 きったね~ 。」 みたいな反応がおこるにきまっている。ハエを飲み込むことより、そのように囃したてられることの方が、絶対に嫌だった。
今でも覚えている位だから、自分にとっては衝撃的な出来ごとだったと思うけれど、それを誰かに、例えば母や姉に、伝えるなんていうこともなかった。
姉もそうだと思うのだけれど、学校でおきた様々な出来事は、全部自分の中で処理する。そういう姉妹だったと思うし、そういう家だった。親に心配をかけない。というより、母が父に怒られないように気づかいながら、自分の居場所をさがす。そんな風だったと思う。
< 幼い時の夢 >
ワタシも姉も、どうやら、怖い夢をみることが多かったみたいだ。姉は高いところから落っこちる夢。
ワタシはというと、いつもろくな夢をみない。
例えば、骸骨に追いかけられる夢。荷車に骸骨の山、それを骸骨が曳いている。ワタシは生身の人間であるのだけれど、捕まったら同じように骸骨にされる。それが怖くて逃げるのだ。
階段の下の三角の空間、この狭い空間が納戸のようになっていて、その納戸の両側に扉がある。その扉にはドアノブがついていて、それを両手で必死でつかんで、骸骨の追手から逃れるという夢。ドアが ドンドンドンドン・・・とノックされる辺りで目が覚める。
だけど、「 おかあさ~~ん、こわいよ~。」なんて言って親を起こしたりはしない。
父も母も、昼間の労働で、ぐっすり眠っているのだから・・・。
それから、眠れない時間を一人まんじりともせずに過ごすのだ。 夜間 飛行機が飛ぶ。そうすると爆弾が落ちてくるのではないか?と怖くて眠れない。
恐らく、広島県の小学校に通っていたから、B29の話や、原爆の話は小学校一年生から聞いていたわけで、そのようなことも関係しているのだろうとは思う。
時代も時代だ。親は子供たちの学校生活のいちいちに首を突っ込んだりしなかったし、いわんや、放課後の遊びにも干渉しなかった。
ワタシは”橋の下で拾った子供” であったのだし、我がままで悪い子供であった。
注)本当に橋の下で拾われたわけではない。この時代に子供だったヒトの何割かは、このように言われたようだ。
>姉さんへ・・・
メール、こちらへは届いてます。しかし返信ボタンをおしても うんともすんとも動きません。ですから重要なことは電話、もしくは手紙にて伝えます。個人のメールにしても、パソコンが得意な人にとって、盗み読むことは簡単なんだそうですね。
機械文明の中での”生き残り”なんていうことを考えると、まあ一番に脱落するのはワタシだわね。
どこか、ほうきと雑巾(→これは 例え )で生き延びてやるわい!なんていうことを思います。